いい話です。ずっと伝えていきたい話です。
1945年8月6日午前8時15分、広島
1945年8月6日午前8時15分、広島の町におきた出来事はどれほど時間が経過しようとも決して忘れることはできません。人類が初めて経験した核攻撃によって、町の中心部では人も建物も一瞬にして姿を消しました。爆心から離れた場所でも人々は爆風に傷つき、熱線によってひどい火傷を負い、さらに爆発によって生じた大火災と火災旋風に包囲され、町は阿鼻叫喚の地獄のようなあり様に一変したそうです。水を求め、火を逃れる人々は群れをなして川に入り、そのまま息絶えていったといいます。
広島の「とうろう流し」は被爆から数年後、親族や知人を原爆で失った人たちが供養のために手作りのとうろうを川に流したのが始まりなのだそうです。もとは犠牲となった人たちへの追善供養だったとうろう流しですが、いまでは慰霊の意味に加えて「ピースメッセージ」としての意味を併せ持つようになっているそうです。
福島からのメッセージを未来へのかけ橋に
福島県相馬市で震災直後から活動を続ける「NPO法人 相馬はらがま朝市クラブ」が、8月6日のとうろう流しについてのメッセージを掲載しました。
「広島は被曝からの復興を遂げた福島の66年先を進む先輩」という冒頭の言葉に心が撃たれます。
『復興への願い』 メッセージ募集
広島は被曝からの復興を遂げた福島の66年先を進む先輩。
その広島と願いを結ぶ「復興灯ろう流しプロジェクト」がはじまりました。
福島の皆さまによる『復興への願い』を募集しています。
昭和20年8月6日午前8時15分、世界初の原子爆弾が広島に投下され、一瞬にして多くの命を奪いました。
即死を免れてもひどいやけどを負い、熱さと痛みに耐えかねて近くの川に入り、そのまま亡くなられた方も大勢いました。
親族や知人を原爆で失った遺族や市民たちが追善と供養のため、
手作り灯ろうを川に流したのが「灯ろう流し」の始まりと言われています。
灯ろうには亡くなられた方の名前と流した人の名前を書き込むのが一般的ですが、
最近では「平和への思い」を書かれる光景が目立つようになりました。
「慰霊」と「ピースメッセージ」の両方の意味を持つ「灯ろう」に福島から『復興への願い』を込めて流しましょう。
100文字以内でメッセージをご入力ください。当日の灯ろうに書いて広島の川に流します。
当日18時30分より灯ろうが流される様子をライブ中継いたしますので、お時間のございます方は、報徳庵までお越しください。
【食う処 報徳庵】
〒976-0042 相馬市中村字塚田72 はまなす商店街 TEL:0244-26-9119
さらにフェイスブックでも。
【広島-福島 インターネット生中継】
8月6日、69年前の広島に原爆が落ちました。追悼と平和への想いを込めた灯ろう流しが例年通り開催されます。そして、今年は広島と福島を中継し、復興への願いを共有しますお時間ございます方は、ぜひ福島会場の報徳庵へお越しください。
2014年8月6日(水)
18時30分~
報徳庵(https://www.facebook.com/hotokuan)
また、当日参加が難しい方は、下記URLより「復興への願い」のメッセージをお寄せください。一言でも結構です。どなたでも大歓迎!広島会場で灯ろうに書き川に流します。
被曝からの復興を遂げた66年先をゆく先輩・広島と、福島の人たち、そして日本中世界中の人たちが、復興への想いを共にすることができますように。
8月6日は祈りましょう。
私たちの祈りを込めた「とうろう」が
永遠の未来に架かる、美しい流れの橋となりますように…
8月6日とうろう流し ~Worldwide Peace Mega-Message project~ とうろう流し実行委員会のページより
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