越喜来の「潮目」から2015年の謹賀新年 iRyota25 2015.01.08 8 5,610 1 引き戸を開けて中に入ると、手作りのベンチの上に小さな鏡餅。元日の日差しを受けてやわらかに、あたたかに光っていた。 ここは岩手県大船渡市越喜来(おきらい)にある「潮目」。震災で流されてきた廃材などを組み合わせて作った、まるで秘密基地みたいな手作りプレイパーク
ガレキと呼ばないで(時計) iRyota25 2013.05.10 6 9,188 1 被災した地域に行くと、いまでも時計を見つけることがよくあります。 女川町(2012年11月19日) 女川の町なかと石巻を結ぶ女川街道のすぐ近くに残されていた時計です。 震災から1年8か月後。建物の解体や撤去が進んだ女川町でも、こんな生活の遺産が見られました。 「時」を示
原発から10km。富岡町のいま iRyota25 2013.06.28 5 9,077 0 JR常磐線富岡駅。 たんまりと水がたまった「立入り禁止」の標識。 印刷した紙をパウチしたものらしいが、 虎ロープに括り付けるための小さな穴から入ってきたのだろうか。 原発事故から2年余り、警戒区域に指定され続けていた時間の重さを感じる。 月の下交差点から駅方向へ
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-2) iRyota25 2013.05.09 5 1,867 1 2013年4月19日・楢葉町木戸-1 の続きです。 【ぽたるページ】ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-1) 昨秋の草黄葉が残る荒地のような田んぼの中に巨大な貨車。あまりに唐突なとり合わせに、思わず「アートみたいだ」と感じてしまいました。不謹慎ですが。 この貨
リアス・アーク美術館にある「被災物」と震災のリアリティ iRyota25 2013.10.31 5 3,021 0 「ノアの方舟」から名付けられた美術館で、会期が定められていない展覧会が続けられている。会場に足を踏み入れると、「モノ」と「言葉」が絡まり合った記憶の森が目の前に広がる。森は見た目の広さからは想像できないほど深く、そこここに物語の果実があふれている。たとえば
ガレキと呼ばないで(2013年4月17日・陸前高田) iRyota25 2013.05.08 4 2,096 0 4月3日の再オープンから「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展が行われている気仙沼市のリアス・アーク美術館に向かいました。少し早く着きすぎたので、陸前高田まで足をのばしてみると、数か月前まで残っていた市役所やマイヤ(ショッピングセンター)などの建物
越喜来はきらいですか? いえ、大好きです! iRyota25 2014.04.11 4 3,225 0 岩手県大船渡市越喜来。知らなきゃ読めない地名ですが「おきらい」と読みます。 その越喜来でずっと気になっていた、まるでおもちゃ箱のようなこの施設。掲げられた手描き看板には――。 ここがオキライですか? いいえ地名はオキライでも、だ~い好きです! 場所は、道の駅三陸
かさ上げされた盛土の上の別世界 iRyota25 2016.06.20 4 7,048 0 津波被害を受けた地域では、これから先の津波災害に対処するため、各地でかさ上げ工事が進められている。かさ上げとは、他の場所から土を持ってきて土地を高くすること。大げさな言い方をすれば、高い所から低い場所へという自然の摂理に抗って行われる、人類ならではの地球改
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-3) iRyota25 2013.05.14 4 1,883 2 貨車から消防自動車のところまでの途中で、見慣れないものに出会いました。 海も近いので、最初は漁船の燃料をためるタンクかと思いました。 でも缶の内部が白く塗装されています。近くで見るとホウロウ引きされているようにも見えます。食べ物を入れるものだったのでしょうか
復興支援ベース アーカイブス -3 iRyota25 2014.07.25 4 2,337 0 お世話になったその方の仮設住宅へは港から山の方へ向かう道を通って行った。津波で大きな被害を受けたその道の両側は、いつしか町中のガレキが集められ、積み上げられてガレキ置き場に変わっていった。 震災から1年。その方の仮設住宅へ通うたびにガレキの山はどんどん高くな
「がんばろう!石巻」灯びが教えてくれること iRyota25 2015.01.16 4 3,062 0 大晦日の朝、「がんばろう!石巻」のかんばんに行った。もしかしたら会えるかもしれないなと、少し期待をもちつつ門脇地区に入る。 期待したとおり、その人はいた。震災前まではこの場所で店舗を構え、震災から1カ月後の2011年4月11日に「がんばろう!石巻」のかんばんを作り
ガレキと呼ばないで(石巻・門脇にいまも残る軽自動車) iRyota25 2014.08.19 3 1,796 0 真夏の石巻、まちなかから日和山を越えた海近くの町、門脇(かどのわき)を歩きながら、ちょっと気になることがあった。 まさか、あの軽自動車、まだあったりはしないよな。 石巻市で被災した自動車がまとめて保管されていたのは、すぐ近くの南浜。高く積み上げられていた被災
ガレキと呼ばないで(打ち上げられた漁船・請戸) iRyota25 2013.09.26 3 2,541 0 道の両側に夏草に覆われるようにガレキの山があった。 ガレキの山のそばには、何隻もの漁船が打ち上げられたまま放置されていた。 打ち上げられた?――しかし、それがとんでもない考え違いだと、ガツンと思い知らされることになる。 はままつ東北交流館などが企画した「3年目の
ガレキと呼ばないで(大槌町役場のニコンFM2) iRyota25 2014.01.24 3 2,027 0 この写真は2014年の元日に撮影したものです。 同じカメラを持っていました。ニコンFM2。当時のフラッグシップ機に匹敵する性能をコンパクトなボディに凝縮して、たしかにペンタプリズムの交換ができなかったり、外付けモータードライブの性能が劣っていたりはしましたが、F3を
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月4日) iRyota25 2013.06.13 3 1,797 0 2013年6月2日 岩手県大船渡市越喜来 あれからもうすぐ2年と3か月だ。 津波の悲惨さを伝えるような写真記事はどうしたものだろう。 「もうそろそろ。」 撮ってきた写真をモニタに並べながら、そう思った。でも違うぞと思い直した。 ひとつの出来事をすぐに思い出した。最初に被
ガレキと呼ばないで(誰かが落とし穴に落ちないように) iRyota25 2013.06.06 3 1,826 0 シロツメクサがいっぱい咲いている陸前高田の町なかで、不思議なもの見つけた。 これなーんだ? たぶん一升瓶のケースの壊れたものなんだけど、どうしてこんなところに入っちゃったのか。それが問題なんだ。 下の写真のように見れば、分かりやすいかな。 そう。歩道に開いた穴
ガレキと呼ばないで(あの電柱との再会) iRyota25 2013.06.14 3 2,757 0 クローバーが咲き乱れる陸前高田の町なかで、あの電柱と再会した。 初めて会った4月には、周囲は寒々しい景色が広がっていたが、シロツメクサが白い花を咲かせているだけで印象が少し違って見える。 2カ月ほどの間で変化したことといえば、日中ならそろそろ半袖でも過ごせるか
ガレキと呼ばないで(2013年4月19日・楢葉町木戸-1) iRyota25 2013.05.08 3 1,505 0 3月に被災した消防自動車が置かれていた楢葉町の木戸地区です。少し奥まで足を進めたところで、目を疑う光景に遭遇しました。 おそらく田んぼだった場所に、被災した自動車が横向きに立っていたのです。 運転席は潰されているようです。 ここまで潰れるものなのか、と驚かされ
ガレキと呼ばないで(富岡町のクルマたち) iRyota25 2013.07.11 3 5,654 0 震災から約2年間、立ち入りが制限されてきた福島県双葉郡富岡町。 避難指示解除準備区域として昼間の限られた時間の立入が可能になった町には、 津波で被害を受けたクルマが多数残されていた。 もしも、自分が運転している時にクルマが津波に巻き込まれたら…。 青い初夏の空の
【東北の風の道】まつり・つどい・いのり(第2号) iRyota25 2016.07.23 3 6,300 0 東北の各地が夏の祭りに向けて燃えている。 陸前高田の町でも8月7日の七夕祭りの準備がたけなわだ。お手伝いしている祭り組では、平日22時、23時過ぎまで作業が続けられることもざらだ。それでも祭り組の人たちは「今年はまだ午前0時を回ったことはないんですけどね」と笑う。
ガレキと呼ばないで(クツ) iRyota25 2013.07.10 2 1,893 0 長く警戒区域に指定され、自由な立ち入りが制限されてきた富岡町を歩くと、いろいろな場所でクツを見かけた。 震災と原発災害に見舞われるまで、誰かがきっと履いていたクツ。人が歩くためにつかってきた身近なアイテム。 被災地でクツを見かけるたびに持ち主のことが気にかか
ガレキと呼ばないで(2013年6月4日・岩手県大船渡市越喜来) iRyota25 2013.06.13 2 2,491 0 岩手県大船渡市から国道45号を北上。三陸道路と呼ばれる自動車専用道路区間が終わって、坂を下ったあたりから海沿いへ。 地名は越喜来。「おきらい」と読む。吉浜村、越喜来村、綾里村が合併して気仙郡三陸町になった後、2001年に大船渡市に編入された海辺の町だ。 45号から海
東北には「ひまわり」がよく似合う iRyota25 2014.08.01 2 2,505 0 いまから3年前、廃墟のようになった町に小さな双葉が芽を出した。ガレキと呼ばれる被災物に覆われ、町はまだくすんだモノトーンの世界だった頃のことだ。津波に襲われた後、晴れた日には塩が浮き上がるような固い地面から芽生えた若葉に、たくさんの人たちが心を撃たれたとい
「どこがどう変わった?」2016年末の富岡町 iRyota25 2016.12.23 2 4,598 0 北から南まで、事故原発のすぐ近くを通って通り抜けできるようになった国道6号線。南相馬方面から南下していわき市に向かう途中、帰還困難区域を抜けた先の富岡町南部を歩いた。 歩道橋に括り付けられた「富岡は負けん!」という横断幕は、これまで何度も付け替えられて来たも
【遺構と記憶】がれきがなくなるとは? 2013年12月30日の大槌町 iRyota25 2014.01.22 2 3,828 0 2013年の年末、岩手県大槌町に行った。約1年2カ月ぶりだった。 上の写真は津波に持って行かれた住宅の跡地。まだ新しそうなコンクリート基礎の天端に、上屋を固定していたはずのボルトだけが残されている。(ここにはどんな家が建っていて、どんな人たちが暮らしていたのだろ