2013年4月19日・楢葉町木戸-1 の続きです。
昨秋の草黄葉が残る荒地のような田んぼの中に巨大な貨車。あまりに唐突なとり合わせに、思わず「アートみたいだ」と感じてしまいました。不謹慎ですが。
この貨車がどこから来たのでしょうか。近くの常磐線の線路から流されてきたのか、それとも古くなった貨車をどなたかが譲り受けて、倉庫か何かとしとして利用されていたものなのか・・。
ボディに書かれた「ワラ」という記号から調べてみると、この鉄製の貨車は国鉄時代の末期にたくさん使われたもので、現在はすべて廃車になっているそうです。つまり、誰かに下取りしてもらって、第二の人生を送っていたもののようです。
誰が、どこで、どんな用途で使っていたのでしょう?
いずれにしろ、津波によってこの場所に落ち着いた、この巨大な漂流物には(ガレキ)という言葉は不似合です。不思議な存在感を感じます。
貨車のすぐ近くには、自動販売機も流れついていました。
おもて面を下にして倒れた状態です。こじ開けられたような痕跡はなく、それどころか外見もとてもきれいな状態でした。
国土地理院の「浸水範囲概況図」で見ると、この付近は浸水範囲の限界に近いので、あまり長い距離を津波に流されなかったのかもしれません。
それでも、周囲には激しい被害の跡が見られます。
竹が地下茎ごと根こそぎ倒されて、原形をとどめないほど揉みくちゃになって流されたものでした。
竹は地震に強いと言いますが、今回の巨大津波には抗しきれなかったようです。
こんな姿になる前は、おそらく庭木として植えられていたのでしょう。
和風の、瀟洒なお宅だったことでしょう。
震災から2年も経っているのですから、あり得ないことですが、
この光景を見て、津波に襲われたのがごく最近のことのように錯覚しました。
倒れた草が水の流れの方向に倒れているように感じてしまうのです。
倒れた草が水の流れを表しているように見えるのは錯覚でしょうが、流れ着いた流木のようなものにまとわりつくように、被災した物が積み重ねられている様子は、震災直後からそれほど変わっていない姿のようです。
田んぼの荒地の中に点在する(ガレキ)の山のひとつに近づいてみました。
材木と材木を組み合わせるためのほぞ穴や、面取りされた柱がはっきり見て取れます。
倒木らしきものを起点にして積み重なっているのは、津波に壊される前までは住宅だった木材でした。
3月に楢葉を訪れた時には、震災から2年を経て、まだ片付けすらままならない場所があるということに驚きました。でも、何度か足を運ぶうちに、この場所に残された被災した物たちが、いろいろなことを話しかけてくれる場所なのだと感じるようになりました。●早く復旧に向けて進んでほしいのはやまやまですが、被災した物の声をもう少しの間、取り上げていきたいと思います。
楢葉町木戸駅周辺
いまも震災直後の空間が広がる場所
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
最終更新:
iRyota25
かつて貨車があった辺り、Google Earthの画像によると、きれいに整地されて消波ブロックの置き場になっているようです。2016年4月時点ではそのように見えました。今後も楢葉町の風景は時間の経過とともに変化していくのでしょう。