「どこがどう変わった?」2016年末の富岡町

iRyota25

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北から南まで、事故原発のすぐ近くを通って通り抜けできるようになった国道6号線。南相馬方面から南下していわき市に向かう途中、帰還困難区域を抜けた先の富岡町南部を歩いた。

歩道橋に括り付けられた「富岡は負けん!」という横断幕は、これまで何度も付け替えられて来たものらしい。横断幕を取り替え続けること自体が、負けないというメセージなのだとも聞いた。

震災と原発事故の後、富岡町に立ち入りで切るようになった直後の2013年夏以降、常磐線の富岡駅周辺や夜ノ森公園周辺を何度か訪ねてきたが、震災6年をもうすぐ迎える今、町に変化はあるのだろうか。2016年11月の光景とかつての記事からの写真引用で紹介する。

原発から10km。富岡町のいま
 原発から10km。富岡町のいま
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ガレキと呼ばないで(富岡町の町なかで見たもの)
 ガレキと呼ばないで(富岡町の町なかで見たもの)
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(2016年11月、月の下交差点から富岡駅に向かう道に入ったところで)
(2016年11月、月の下交差点から富岡駅に向かう道に入ったところで)
(2013年6月、月の下交差点から富岡駅に向かう道に入ったところで)
(2013年6月、月の下交差点から富岡駅に向かう道に入ったところで)

横断幕が掲げられた交差点から富岡駅に続く道に入るとこんな状況。壊れた建物そのものが、「手がつけられないんだ」とでも語りかけてくるようだ。

駅前に続く道に歩を進めると、変わらぬ光景が次々と眼前に繰り広げられる。言葉は不適切ながら「なつかしい」とつぶやいてしまったほど。

駅前通りの医療機関のエントランス(2016年11月)
駅前通りの医療機関のエントランス(2016年11月)
新興住宅地の折れた電柱(2016年11月)
新興住宅地の折れた電柱(2016年11月)
震災前に建設された集合住宅(2016年11月)
震災前に建設された集合住宅(2016年11月)

しかし、駅前に続く道は途中で通行止め。駅から続く商店街の現状を見ることはできなかった。何も変わっていないかのような印象と、着実に進められていく工事。そのコントラストが際立っているのも、富岡町の現在を象徴していると言えるのかもしれない。

駅前に続く通りから離れると、突如として、まさに突然といった感じで、廃棄物が詰められた黒いトンパックの山が現れた。

昔ながらの雰囲気を残す通りから北側には、新興住宅地と思しき造成地と線路の向こう、海まで続く広い土地があったのだが、そこには黒いトンパックが積み上げられる。駅の東側には大きな白い仮設の建物がつくられていたが、それも廃棄物の貯蔵施設なのかもしれない。

踏切から線路を越えて海の方向を望む
踏切から線路を越えて海の方向を望む

海岸線に残された木の特徴的なフォルムに注目してほしい。

(2013年6月)
(2013年6月)

小さな変化は数々見られるものの、町全体としての印象に大きな違いは感じられない。そんな中、歩くことのできない植物は震災後も同じ場所に立ち、この土地の変化を見続けている。

津波で破壊された常磐線の線路では、復旧に向けての工事が始まっている。震災からもうすぐ6年、2016年11月の光景だ。

踏切の遮断機は壊れたままの姿をさらしている。そのすぐ隣では新しい線路の敷設工事。駅のホームに残されていた自動車の姿は遠望する限り見当たらない。

富岡駅(2013年6月)
富岡駅(2013年6月)
富岡駅(2013年6月)
富岡駅(2013年6月)
富岡駅(2013年6月)
富岡駅(2013年6月)

踏切に立って、北と南へ線路方向を見る限り、線路沿いの景色は大きく変わりつつあることがよく分かる。ただ——

踏切のすぐ近くの工場の建物は、3年半の時間経過を感じさせない。

前に記事にした時には悲惨すぎて写真を掲載しなかった建物だ。近くには、遠くから見ると無事に見えるが別の角度から見ると1階部分が大きくえぐられた住宅や、最高レベルの耐震性をうたう銘板が付けられながらも廃墟となった集合住宅などが、以前と変わらぬ形のまま残されていた。

反対側から見ると津波に堪えたように見えた新しい建物だったのだが…
反対側から見ると津波に堪えたように見えた新しい建物だったのだが…
3年半前には気づかなかったが、入口ドアにはバールでこじ開けた跡がある
3年半前には気づかなかったが、入口ドアにはバールでこじ開けた跡がある
耐震等級3、つまり最高レベルの耐震性がうたわれていた集合住宅
耐震等級3、つまり最高レベルの耐震性がうたわれていた集合住宅

ここまで写真で紹介してきたのは、立ち入りで切るようになった直後と変わらない富岡の町。しかし、3年半の時間経過とともに、この町は大きく変わりつつある。ひとつには、人の姿を見かけるようになったこと。この後、6号線の月の下交差点では、小さな子どもを連れた人の姿を目にすることができた。国道沿いに建設された「さくらモールとみおか」もオープンした。

人が帰ってきた富岡町
 人が帰ってきた富岡町
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3年前にこの町を訪れた時には、ゴミ集積場に震災直後のゴミがそのまま放置されていたところもあったが、2016年には明らかに最近のゴミが出されていた。

一見する限り大きく変わったようには見えない3年半。それでも、外からの目には見えにくいところで確かに変わりつつあることがあるのかもしれない。それも、無人だった場所に人が帰ってくるという、とても大きな変化が進んでいるのかもしれない。

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