ガレキと呼ばないで(2013年6月4日・岩手県大船渡市越喜来)

iRyota25

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岩手県大船渡市から国道45号を北上。三陸道路と呼ばれる自動車専用道路区間が終わって、坂を下ったあたりから海沿いへ。

地名は越喜来。「おきらい」と読む。吉浜村、越喜来村、綾里村が合併して気仙郡三陸町になった後、2001年に大船渡市に編入された海辺の町だ。

45号から海に向かってすぐの場所に、赤いレンガ風の印象的な建物が建っている。

大型土嚢に隠れたあたりに立派な石造りの標石がって、「三陸町中央公民館」と記されていた。

遠くから見る限り、構造体としては残っているようだが、窓ガラスがほとんどない。国土交通省の資料によると、この辺りは15メートルを超える高さの津波に襲われたのだという。

近づくいて見ると、天井は落ち、壁は破れ、惨憺たる状況。

津波の後に残されたのは鉄筋コンクリートの構造物だけだと気づいた。

(左)天井から衣類が垂れていた。
(中)天井を見上げると、天井裏へのハッチの割れたところに本が引っかかっていた。
(右)窓の外には、さら地になった風景が広がる。

時計があった。

指し示された時刻は、3時23分の少し前。

全面ガラスの下から3分の2辺りに、水で付けられたような跡がある。時計の中に溜まった水の高さを示すものだろう。津波ははるかに高く、2階以上のものまで壊していったのだから。

(左)エレベーターがひどいことになっていた。頑丈そうに見える扉も歪んでいる。
(中)エレベーターホールの天井にはゴミ箱があった。
(右)本来なら見えるはずのないエレベーターのタワー内部。玩具の車が引っかかっている。

海がすぐ近くに見える場所だが、国土地理院の「標高がわかるWeb地図」で調べると、この辺りの標高は9メートルほどもある。この地を襲った津波は、どれほどの力を持っていたのか。空恐ろしくなった。

これも、エレベーターのタワー内部。

津波は、あってはならないものを、そこに運んでくる。やすやすと。

真ん中の写真の窓に残されていたのは、長座布団だった(右)。これも、あってはならないもの。

建物の奥はステージのあるホールだった。

津波はホールを突きぬけることはなかったようだ。それでも、この空間で押し止められた津波は、ホールの内部を破壊していった。

客席が床ごと崩れ落ちそうになっている。

行き場を失って暴れ狂う津波の波の音が聞こえてこないか。

エントランス近くの天井板は失われ、チャンネル材のフレームと、照明と、空調ダクトが残されていた。

そんな建物の中に、鳥の声が行きかう。
天井裏や高いの壁の上部に、たくさんのツバメの巣。

窓ガラスもエントランスもなくなって、自由に出入りできるこの場所は、かっこうの子育て環境らしい。

飛び交っていたのは、イワツバメ。
ふつうのツバメより一回り小さくて、海岸の断崖などに巣を掛けるとされるツバメだ。

天井が高くて、たぶん外敵も少ないだろう建物の中を、すいすいと鋭く飛んでいた。

津波の破壊力は、想像を絶しています。

この場所は標高約9メートルの場所なのです。それでも、津波が去った後には、あるべきではないたくさんのものが、あるべきでない場所に残されていました。

本も毛糸もおもちゃも長座布団も、みんな誰かが愛用したものなのです。

建物を出る時に、正面玄関だった場所に「立入禁止」と書かれた看板が置かれていたのに気が付きました。ごめんなさい。

それでも、写真を公開させていただきます。少しでもたくさんの人に、津波の恐ろしさを考えてもらいたいと考えるからです。
この場所に、ツバメたちだけではなく、多くの人たちの声が響く日が、早く訪れることを願います。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

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