息子へ。東北からの手紙(2013年8月30日) iRyota25 2013.09.10 3 1,893 0 石巻市・蛤浜のCAFEはまぐり堂で 牡鹿半島の付け根にある小さな「浜」、蛤浜(はまぐり)で杉林の枝打ちボランティアに参加した後、おしゃれなCAFE・はまぐり堂で美味しいお昼ごはんをいただいた(もちろん自費ですよ)。 その経験自体とても貴重なものだった。もう少し詳しく
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月26日) iRyota25 2013.08.27 3 1,885 0 安全な米作りの会、父さん的には「放射能に負けない米作り」というタイトルで伝えてきたいわき市北部での稲作。 出張の前に電話して、「もうブンゲツはもとより、シュッスイも終わってしまったから、山場をいくつも越えた時になってしまっていてごめんなさい」と伝えると、 「
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月11日) iRyota25 2013.06.19 3 1,881 0 2013年6月11日 静岡県伊豆の国市韮山 違和感のあるニュースだった。震災から2年と3か月目の夜、NHKが流したニュース。それは、女川町生涯教育センターの話から始まった。 宮城県女川町の生涯教育センターの最上階、機械室まで逃げ上がった末に、なんとか生き延びた人たちの話
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月10日) iRyota25 2013.03.14 0 1,870 0 2013年3月10日 宮城県石巻市 ビーチクリーンの二日目。3月11日の前日。その夜、学んだこと。 今日もビーチクリーン活動。昨日は「大物班」の一員として、侵食が進んだ海岸で倒れてしまった木や流木の撤去に勤しんだ。(勤しむって、いそしむと読むんだよ。覚えときな) ただ
息子へ。東北からの手紙(2015年9月20日)自分に突き付けられた「風化」 iRyota25 2015.09.24 3 1,863 0 9月20日の日曜日、陸前高田市の海沿いの高台にある仮設住宅に行くと、集会所はチリ中部沖地震の津波注意報と土曜日未明の大雨警報の話題で持ちきりだった。津波注意報や大雨警報が解除されて1日以上たっているのにだ。 「津波注意報は解除されるまで長かったねえ」 「まる1日
息子へ。被災地からのメール(2013年1月31日) iRyota25 2013.02.01 2 1,854 1 2013年1月31日 宮城県女川町・石巻市 「口はね、食べるためだけにあるんじゃないの。しっかりしゃべらないと」 女川町の清水仮設住宅に住んでいる石田志寿恵さんが雑談の中でそんな言葉を語った。取材した話をページにレイアウトして、文章の内容や写真について相談しにおじゃ
銀河鉄道の夜と銀座の夜 iRyota25 2014.07.11 3 1,844 2 息子へ。東北からの手紙(2014年7月5日) 6月半ばの夜以来、ほぼ連夜参加している人もいるらしい。父さんは今年2回さ。伊豆から電車に乗って東京の銀座へ。新幹線が発達したこんにちでは、仙台あたりの人が東京に来るのと大して変わらないくらいの、ちょっとした小旅行。 だ
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月17日)その1 iRyota25 2013.07.23 1 1,841 0 2013年7月17日、曇り。(石巻市狐崎浜) ◎本日曇天なれど、引き続き驚くべき一日なり! 東松島市の宿舎を出発したのは午前2時。 牡鹿半島の真ん中あたりにある狐崎浜への道すがら、何頭もの鹿に出会ったよ。カーブを曲がったとたん、光る目が4つ。ヘッドライトに照らされて、
息子へ。被災地からのメール(2013年2月3日) iRyota25 2013.02.03 2 1,838 1 2013年2月3日 宮城県女川町・石巻市 約1週間の東北から帰って来て、今日はちょっとだけお金の話をしよう。 女川で事業を新たにおこした人が、地元の方を雇おうとパート募集のチラシをポスティングしていた頃のお話。 「応募してくれた人たちの仮設住宅にお邪魔すると、どちら
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月2日) iRyota25 2013.06.11 1 1,835 0 2013年6月2日 宮城県石巻市 関東地方では、汗ばむくらいの陽気らしいけど、こちらはすっきり爽やかなお天気だ。というより、昼間でも少し肌寒くて、長袖の上着を持ってこなかったことを後悔しているくらい。 北東方向からの風、やませが入ってきているとのことで、最高気温で
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月16日) iRyota25 2013.07.19 1 1,834 0 2013年7月16日、晴れ。(宮城県仙台市→七ヶ浜町→東松島市) ◎「驚くべき一日」インクレディブル! あったこと、感じたことのみ記す。 本当は昨日会ったロシナンテスの人たちと一杯やりたいと、熱望に似た思いを募らせつつ、仙台に宿をとった次の朝は早かった。 ホテルでの朝食
息子へ。被災地からのメール(2012年12月30日) iRyota25 2012.12.31 3 1,810 0 12月30日 福島県いわき市久之浜 言葉にすることができないんだったら、何もしゃべらなくていい。そのことを教えてもらったよ、きみに。 雨が降る中、ずっと歩き続けて、iPhoneで撮り続けていた動画とスチルを、ホテルで借りたPCで夜中まで編集していたんだね。こっちはいわき
いよいよ「川開き祭り」ひまわりみたいに咲きほこって♪ iRyota25 2015.07.29 1 1,798 0 夏の石巻は街中がひまわりの花でいっぱいです。 App絵本で日本中の涙をさそったヒマちゃんの子供たちも 「ヒマちゃんの気持ち」支援プロジェクト写真素材のimagenavi 津波に負けない魂で、暴風にだって耐える「がんばろう!石巻」のど根性ひまわりも ホームgannbarouishinomak
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月4日) iRyota25 2013.06.13 3 1,797 0 2013年6月2日 岩手県大船渡市越喜来 あれからもうすぐ2年と3か月だ。 津波の悲惨さを伝えるような写真記事はどうしたものだろう。 「もうそろそろ。」 撮ってきた写真をモニタに並べながら、そう思った。でも違うぞと思い直した。 ひとつの出来事をすぐに思い出した。最初に被
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月17日) iRyota25 2013.04.18 2 1,795 0 2013年4月17日 宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館 気仙沼港の岸壁では、オイルフェンスのようなものが張られて(たぶん地上から汚れが海に流れ出さないようにしているのだろう)、埠頭の工事が進んでいた。その手前には工事の進展を待っている被災した岸壁。 港の岸壁って、
息子へ。被災地からのメール(2012年12月2日) iRyota25 2012.12.04 2 1,781 0 「宿題はちゃんと終わらせたの?」 そんな声を振り払うようにして2人で歩いて行ったのは、前夜の夢の中にあった石巻の町ではなくて、伊豆の国市古奈のレストラン・アクアサンタ。パティオを通りぬけてレストランに入ったら、オウミさんが「おう!」っと声をかけてくれた。 「
息子へ。被災地からのメール(2012年10月22日) iRyota25 2012.11.06 1 1,761 0 2012年10月22日◆石巻(宮城県) 出張に出る前から、石巻日日新聞社の近江さんと会う約束をしていた。石巻に着いたら電話してねと言われていた。でも近江さんもなかなか忙しいようで、なかなか連絡が付かず、けっきょく話ができたのはあたりが暗くなった後だった。 「まだ出先
息子へ。被災地からのメール(2012年11月30日) iRyota25 2012.12.03 0 1,738 0 ◆ 11月30日 最終日の石巻 2週間の出張の最終日は、狐崎浜の漁師さんの船に乗せてもらって、ダイビング調査に同行した。まるで映画に出てくる秘密のプライベートビーチのような浜辺(ただし浜には瓦礫がまだ残っているけれど)や、カキ養殖のイカダなど、なかなかお目にかかれ
息子へ。東北からの手紙(2014年9月11日) iRyota25 2014.09.11 2 1,727 0 上空を何機ものヘリコプターが飛ぶ。水に浸かった町には独特のにおいが立ち込めている。通勤するためには膝より深い水の中を歩かなければならない。冠水した商店街では泥水に汚れた店の掃除が始まる。集中豪雨被害を受けた石巻市は、震災3年半となる9月11日の朝を「あの日」を
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月12日) iRyota25 2013.03.15 2 1,716 0 2013年3月12日 宮城県石巻市 石巻人たちの「言葉へのこだわり」から見えてくる生きざま。 石巻で際立つ活動をしている人から、言葉の使い方について教わることがよくある。 たとえば「できるだけやる」と「できることをやる」の違い、わかるかな。これは「がんばろう!石巻」
息子へ。東北からの手紙(2013年12月25日) iRyota25 2014.01.15 3 1,703 0 (クリスマスのプレゼントということで) 「また東北に行くんだ。大変だね」なんて言われると、けっこうムカついていた。中には「今度は岩手に行くのか。じゃあ女川の様子を教えてね」なんて、トンチンカンなことを言ってくる人もいて返す言葉に窮することもあった。(もちろ
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月29日) iRyota25 2013.07.05 2 1,689 0 こんな人がいるものなのか、と思った。 大曲浜獅子舞保存会の会長、伊藤泰廣さんを紹介された瞬間、その瞳に射抜かれた。 黒いダイヤ。 というと比喩で石炭や黒曜石なんかのことを言うけれど、その瞳は正真正銘、 黒い金剛石そのものだった。 相手の瞳孔を貫いて、心の底まで
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その3) iRyota25 2013.06.10 2 1,679 0 2013年6月1日 福島県いわき市大久町小久 いわき市久之浜町の山手に広がる田園地帯、小久に佐藤三栄さんを訪ねた。 佐藤さんの田んぼはすでに田植えを終えていた。田んぼに張られた水に、近くの山の姿が映る。田植えされたばかりの背の低いイネの緑が、風にそよぐ。 なんとも平
息子へ。東北からの手紙(2014年1月1日) iRyota25 2014.01.09 4 1,670 0 岩手県の沿岸部を走るたび、釜石湾内の半島から東の海を見ていらっしゃる釜石大観音に立ち寄りたいと思っていた。だから初詣では迷うことなく観音様に決めた。 駐車場から見上げると、高台に立たれた観音様はかなりのスケール感。高さは48.5メートルということだから自由の女
息子へ。被災地からの手紙(2013年5月31日) iRyota25 2013.06.06 2 1,667 0 2013年5月31日 東京 ▼ 金曜日の夜の東京の街なかを通って、東北へ向かった。 終電前の時間帯。渋谷も新宿も、相変わらず夜遅くまで人通りが絶えない。街灯、ネオン、水銀灯、自動車のヘッドランプ…。街は光であふれている。 駅と繁華街のあいだを流れていく人波を見ながら、こ