息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その3)

iRyota25

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2013年6月1日 福島県いわき市大久町小久

いわき市久之浜町の山手に広がる田園地帯、小久に佐藤三栄さんを訪ねた。
佐藤さんの田んぼはすでに田植えを終えていた。田んぼに張られた水に、近くの山の姿が映る。田植えされたばかりの背の低いイネの緑が、風にそよぐ。

なんとも平和でのどかな風景。

でも、何度も話したとおり、ここの土は空から降ってきた放射能で汚されている。東京電力の原発事故で放出された放射能によって。

絶望的だろう。原発から30キロくらいしか離れていないんだよ。
でも、この土地でおいしいお米を作り続けてきた佐藤さんたちは、諦めなかった。これも、何度も話したね。勇気ある人たちの物語だ。

最初は現実を自分たちで確かめたいという思いから測定を始めた。
土や水やワラなどのベクレルを測っていくうち、イネの食べる部分、つまりお米に移行するセシウムの量を下げられるのではないかと考えるようになった。
さまざまな工夫をしてイネを育てた。育てる過程で、さまざまな工夫や田んぼの条件ごとにサンプルを検査した。検査した結果を活かして、さらにセシウムを抑える工夫を続けた。

その結果、佐藤さんたちのグループが作ったお米の多くが、出荷前の検査で「検出限界以下」だった。国の基準は1キロあたり100ベクレル。でも佐藤さんたちは10ベクレルのラインで自主規制した。自主的に定めたラインをはるかに下回るお米を作ることができた。

昨年までの努力が見事に実を結んだということだ。

でも、佐藤さんたちは、今年もさまざまな条件で測定を行いながら、放射能に負けない米作りに努力を重ねていくという。

去年のやり方で成果が出ているんだから、その通りでいけばいいじゃないか、という安直な考えは存在しない。ここが、佐藤さんたちのすごいところ。

たとえば、森の落葉樹の葉っぱにセシウムが付着していたとする。事故から時間が経って、葉っぱは分解が進んで細かくなっているかもしれない。大雨が降った時など、細かくなったセシウム付きの葉っぱが山から流れてくるかもしれない。

去年うまく行ったことが今年もうまくいくかどうかは、まだわからない。

自然環境が変化していっていることを念頭において、さまざまな可能性を考えていく。

そんな作業を、市でも県でも国でも農協でも農業試験場の先生でもなく、農家の人たちが自分たちの手で、地元企業の協力を得て進めている。

――同じ福島でも残念な話を聞くこともある。国の基準の100ベクレルを切りさえすれば、と米作りをしている人たちもいるという。中には、米は作るが自分たちが食べる分は他所から買ってくるという人もいるという。

違うんだな。同じ福島の農家だからといって、ひとまとめにして考えてはいけない。

自分が食べれるもの。安心してこどもや孫に食べさせられるお米をつくる。そんな安全なお米をお客さんに喜んで食べてほしい。

目には見えないところで、すごいことをやっている人がいる。
大変な努力を、当たり前のように払って、おいしい農作物を作っている人たちがいる。

立派すぎると思う。でも、彼らは「当たり前のことだよ」と言うんだ。
そのすごさを伝えるためには、もっと農業を知らなければと思う。

米作りに必要という「八十八」の手間。「米」という字を「八・十・八」に分解した言い伝えだけれど、きっとそれ以上のたくさんの手間と苦労が、ここにはあると思うんだ。ところが、農業についての知識が足りな過ぎるから、佐藤さんたちの苦労がどれほどのものなのか、理解できない。

都会で暮らしてきた自分たちは、農業という仕事からは遠ざかってしまっているけれど、日本人ならほぼ全員、3世代~5世代ほども遡れば農業に従事していたはず。遺伝子の中に眠っているはずの農の記憶を呼び覚ましながら、佐藤さんたちの米作りを体験しながら学習していきたいと考えている。

そして、秋には美味しい福島の新米で、お握りをつくって食べるんだ!
収穫の時は、いっしょにどうかな?

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