息子へ。東北からの手紙(2013年12月25日)

iRyota25

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(クリスマスのプレゼントということで)

「また東北に行くんだ。大変だね」なんて言われると、けっこうムカついていた。中には「今度は岩手に行くのか。じゃあ女川の様子を教えてね」なんて、トンチンカンなことを言ってくる人もいて返す言葉に窮することもあった。(もちろん女川は宮城県牡鹿郡女川町。市町村合併で拡大した石巻市に取り囲まれている宮城県の太平洋沿岸の町です)

震災の記憶を風化させないために――。

親しくさせていただいているところでは石巻日々新聞の近江社長や竹内さん。彼らは、震災の直後、現地がある程度落ち着いた頃からずっと、全国を回って震災の惨状、減災のために必要なこと、なにより災害が誰の身にも降り掛かることを伝え歩いている。本業そっちのけで大丈夫かと心配になるくらい精力的に。

今年の後半になってからは、被災地で活動している人たちが毎月のように東京で講演会を開いている。その最大の理由もまた、震災の記憶を風化させたくないから。

あの震災が起きた時、東京では何百万人もの帰宅難民と呼ばれる人たちが生まれた。震災はジブンゴトだった。

だけど、時間の経過とともに空気が変わった。「そういや、あの時はまいったね」なんて昔話のような話を耳にすることもある。そのたびにやはりカチンときた。

仕事で被災地に行ったり、休みを使って三陸の友人に会いにいったりするたびに、テレビや新聞のカメラのフレームの外側に切り捨てられた光景を目にしては、自分は自分なりに叫んできたつもりだ。伝えられていることがすべてではない。本当はもっとずっとずっともっと大変なんだ!

挙げ句には、「ご苦労様、また東北に行くんだってね」なんてねぎらってくれる言葉にすらムカつくようになっていた。頑張れよって言葉だったり、心配してくれたりしていたはずなのにね。

最近思う。ムカついていた自分はいったい何者なんだ。

記憶は風化させてはならないけれど、大きな実害を受けていない人たちが、震災のことをアタマの中の別の場所にしまっておこうとするのは仕方がないことなのではないかと。被災地の現状について知らなくても、それも仕方がないことなのではないかと。震災が起きるまで東北に縁がなかった人ならば、もしかしたら「岩手県女川町」なんて思い込みがあっても、それはそれで仕方がないことなのではないかと。

なぜならみんな目の前の現実にどう対処するかに忙しいのだから。学生さんや生徒たちなら期末試験や入試勉強、部活やはたまた友だち付き合い、恋愛などなど日々考えなければならないことがたくさんある。大人だって仕事や家事や家族のことなどなどで忙殺される時間をさっ引けば、東北のニュースを調べようなんて時間はなくて当たり前なのかもしれない。

目の前にないことは、とりあえず見えないことにしてしまいがち。それは人間が生きていくために授けられた能力、なのかもしれない。

それをダメだなんて、誰にも言えない。まして、ぼくのように外側にいる人間が言えた義理などない。

今日の手紙はまるで人を避難するような格好になってしまっているが、この手の文章は難しいな。

自分の仕事は東北のことをしっかりフォローすることだ。それでも知らないことだらけ。会社以外でもけっこうそればっかりのアタマになっているはずだが、それでも知っているのは一割一部一厘一毛のさらにさらに下の位の漠(10の-12乗)、模糊(同じく-13乗)、いやいや10のマイナス100乗にも満たない。

なんだか、バカみたいに方向違いのことを気にしていたんだと、この頃思うようになった。

大切なのは「風化させないこと」だ。目の前の現実をそっちに置いとくなんて、逆にかえって不健全なことだ。人間はできるだけ健全に生きた方がいい。

でもそれは、忘れていいということじゃない。断じてそうではない。

人類は古来から、他人のことを自分のことのように思いやる気持ちを持ち続けてきた。同時に、自分の目の前にあることに真面目に対処することを行ってきた。きっと何万年もそう続けてきたのだと思う。それが健全性というものなのだろう。

だから、震災の惨状を映像として見た時、他人事ではないと思えたのだろうし、まったくの同一人物が時間の経過とともに記憶を整理してタンスの中に収めていくのだろう。

まだまだ収めちゃダメなんだゼイィエィ~♪

とロックに叫ぶか。

わ~すれ~ないで~♪

と演歌に訴えるのか。

被災地と被災をまぬがれたものの、次の「被災地候補地」との中間に立っているぼくらは、「つなぐこと」について真正面から詰めていかなければならないということ。今日のこの手紙を君へのプレゼントにしようと考え始めてからたどり着いたのは、こういう結論だった。

たくさんの出会いから教えられることがあった。偏見としかいいようのない自分の考えによって、歪められたものもあり、逆に輝きを増したものもあったかもしれない。でもそれもまた仕方のないことなのだろう。シマウマが自分の縞から逃れられないように、オレもまた……。あ、クリスマスの酒が急に回ってきたらしい。この続きはまた明日。

堀口大学だったか誰かが、縞馬は死ぬまで自分の縞から治らないというステキな詩をよんでいて、それを文末に掲げるつもりだったが、原典不詳。九州の実家の書棚の中だ。ネットではどうも今日は探し出せそうにない。これまた失礼。また今度。

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