息子へ。東北からの手紙(2014年1月1日)

iRyota25

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岩手県の沿岸部を走るたび、釜石湾内の半島から東の海を見ていらっしゃる釜石大観音に立ち寄りたいと思っていた。だから初詣では迷うことなく観音様に決めた。

駐車場から見上げると、高台に立たれた観音様はかなりのスケール感。高さは48.5メートルということだから自由の女神像にほぼ匹敵。岬の絶壁の上に立っているから海面からの高さはスタチュー・オブ・リバティをはるかにしのぐ。

駐車場からは仲見世のようにお店が並ぶ参道を通り、山門で拝観料をお納めした後はエスカレーターと階段で観音様の足元まで登っていく。

だんだん観音様が近づいていくにつれて、「お参りする言葉はどうしようか」という考えで頭の中がいっぱいになっていく。考えてみれば東北で元旦を迎えるのはスキー場以外では初めてだ。きっと気持ちが高揚していたのだと思う。

しかしなかなか言葉が出てこない。「今年もよろしくお願いします」では味気ないし、かといって山中鹿之助みたいに「七難八苦を与えたまえ」などとお願いするほど若くはない。考えがまとまらないまま観音様の背中側から正面に向かって歩いていたら、台座に刻まれた文字が目にとまった。

世界平和。

その文字を見た時の気持ち、何と説明しよう。音として書き写すとすれば「はー」。声というよりお腹の底からゆっくり息を吐き出すような音。そしてこころの中ではこんなことを思っていた。

そういえば観音様のような宗教施設には、世界平和とか世界人類が平和でありますようにといったメッセージに出会うことが多いけど、具体性に乏しい遠い遠いスローガンのように感じていたなぁ。

そんな言葉の断片が頭の中で回り続けるまま、観音様のお賽銭箱の前に立った。鈴をならし、手を合わせこころに念じたのは、

世界平和。

自然に出てきて驚いた。この言葉以外のなにも浮かんでこなかった。

去年一年間、いろいろな人に出会って、たくさんのことを教えられて、自分自身の考え方も少しずつ変化して、大晦日に思ったような宝物を手にして、だからこの言葉なのかと自分なりに納得する。東北も大島もフィリピンもスーダンもアフガニスタンも広島も長崎も沖縄も渋谷も学徒出陣の慰霊碑も、つながっている。

もちろん世界平和なんて大きすぎて、具体的にイメージできるようなものではないことは変わらない。

考えがそこに至った時、20年以上前の夏のある日のことを思い出した。山登りの仲間3人で山梨県の甲斐駒の渓谷に沢登りに行ったけど、台風豪雨で登山は中止。でもせっかく来たのだから登り口近くの大きなお釜のような滝で水遊びして行こうということになって、巨大な滝つぼで泳いだり、潜ったりして楽しんでいるうち、滝の巻き込む流れに吸い込まれて溺れそうになった。沢泳ぎは苦手じゃなかった。滝つぼの巻き込みからの逃れ方とか、岸辺近くの逆向きの流れをつかまえることとか経験的に知っていたはずなのに、吸い込もうとする水の流れと自分の泳ぐ力が拮抗して、どんなに掻いても水中での自分のポジションが変わらない。そんな時にはいったん潜って…と頭の中で誰かが言うが、すでに恐怖心の方が大きくなっていて潜ることができない。何とか水面に顔を出し、渦巻く水の中、必死の思いでようやく岸の岩に指先が届いたが岩を掴めない。右手の中指を岩の小さなでっぱりに引っ掛けて、爪を割りながらギリギリで生還することができた。ガタガタ震えながらマジで溺れそうになった、と仲間に言うと「えぇっ、遊んでるかと思ってたよ」。こっちは灯篭が回り始めるのさえ見えた気がしたほどだったのに。

どんなに水を掻いても届かないものが、爪の先に辛うじて触るかさわれないか。ぎりぎり観音様の裳裾に手が届くかどうか。

いや、まだまだそこまで近づいてはいない。霞の中に白い観音様の後姿がうっすら見えるか見えないか。でも抽象的な概念ではないと信じることができるような気がする。なんとか爪の先で触れて引き寄せてたどり着きたい。

そうしなければ暗い水の底に吸い込まれてしまうのかもしれない。

世界平和。

この日は大槌町や釜石市で何カ所か、初詣でのハシゴをしたけれど、どの神社仏閣にお参りする時も、念ずる言葉は同じだった。

近づくために、前へ。それが今年のモットーです。

釜石大観音からの2014年元旦の朝日
釜石大観音からの2014年元旦の朝日
 【つづき】息子へ。東北からの手紙(2014年1月1日)その2
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文●井上良太

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