息子へ。被災地からの手紙(2013年5月31日)

iRyota25

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2013年5月31日 東京

▼ 金曜日の夜の東京の街なかを通って、東北へ向かった。
終電前の時間帯。渋谷も新宿も、相変わらず夜遅くまで人通りが絶えない。街灯、ネオン、水銀灯、自動車のヘッドランプ…。街は光であふれている。
駅と繁華街のあいだを流れていく人波を見ながら、こないだ発表された南海トラフ巨大地震が発生したらどうなるんだろうということを考えた。

停電で真っ暗になった街に、割れたガラスや看板が落下してきて、通りはパニックになるだろう。地下街はどうなるんだろう。電車は? 車は?

新宿や渋谷は津波の影響はないだろうが、長周期地震動で高層ビルは大変だ。地震の揺れの周期にシンクロして倒壊する高層ビルもあるかもしれない。むかし川だった土地では液状化も心配だ。東京でも、下町や東京駅周辺や品川などの沿岸部では、津波の被害も出るかもしれない。津波想定は最大2.5mとされるが、地震の揺れや液状化で堤防が被害を受ければ、津波は街なかに侵入してくる。想定をはるかに超える被害が生じるかもしれない。

夜の時間帯の地震だったら、すべての出来事が、停電後の暗闇の中で起きるんだ。

この都市に住んでいる人はもちろん、夜の街に繰り出してきた人にも、旅行者にも、ただ東京を通過しているだけの人にも、分け隔てなく惨禍は及ぶ。大都市は自然災害に対して脆弱だ。ふだん光にあふれているだけに、それが失われた瞬間に何が起こるのか、想像するだけでも恐ろしい。

▼ 明日は、まず福島の白河に行く。
不夜城のような東京と、白河という地名を並べた時、南相馬の知り合いに聞いた話を思い出した。

2011年3月16日、彼女たちは行く宛てもない西への逃避行に家族全員で出発した。東電の原発が爆発事故から逃れることしか頭になかったという。ガソリンを入手することも思うにまかせず、福島県を出た時には夜になっていたという。

「白河までは真っ暗でした。停電でいっさい電気が来てなかった。それが県境を越えて栃木県に入った途端、街灯もロードサイドのお店も煌々と明かりがついていたんです。別世界。暗闇から光の中に出てきたような不思議な気分でした」

彼女は食事に立ち寄ったお店で、気の毒がられたという。小さなこどもを連れて南相馬から逃げてきたと告げたからだ。しかし、後になって調べてみたら、福島の南端の白河市も、栃木県北部も、放射線量は南相馬と大差なかった。場所によってはうんと高い場所もあったことに驚いたという。

闇の世界と光の世界。人為的に引かれた県境で分けられた世界。しかし、そんなものなど関係なく、大地を汚していった放射能。もともとは人間がしでかしたことなのに、人知が及ばぬ状況。

▼ 闇より光の方がいい。そう考えるのは自然なことだろう。暗闇は恐怖を呼ぶから。お前だって、夜ひとりで留守番する時には、家中の電気を点けていたりするもんな。でも、この光はほんとうに必要なのだろうかということを、夜の東京を走っていると考えてしまう。

大地震のような災害で現出する暗闇は恐ろしい。でも、それ以上に恐ろしい光もあるのかもしれない。


旅は始まったばかりだ。

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