震災を経験して(5)「きのう銀行の窓口で・・・」 onagawa986 2014.04.17 7 2,501 0 「那須野さんって新聞のコラム書いていた方ですよね? 文章がすごくお上手で毎回読ませて頂いてましたよ。大変な経験されましたね、頑張ってください!」 きのう銀行窓口で名前を記入した用紙を見せた途端、担当の女性行員からこのように声掛けされ、あまりの出来事に面食らっ
東北この一枚。東北・宮古の新巻鮭 iRyota25 2014.01.17 6 3,317 0 新巻鮭。かつてはメジャーな冬の保存食だった。お年賀の贈り物としてもメジャーで、漫画「サザエさん」にも描かれた。あっちの家からこっちの家へ、こっちの家からそっちの家へと届け歩いているうちに、新巻鮭のしっぽがだんだんすり減っていくという4コマ漫画。大きな鮭だか
南三陸・長須賀ビーチ「最高のガッツポーズ」 iRyota25 2013.08.16 6 2,770 0 午後の日差しが波に乱反射する長須賀ビーチに、こどもたちの歓声が上がる。 「気をつけろよ! こいつ、凶暴だぞ!」 こどもたちが大人を追いかけ回す。ビーチ狭しと走り回って逃げるのは勝又三成さん。頑張るこどもたちと一緒になって、南三陸・歌津の長須賀ビーチ再生に取り
いちご畑日誌 2014年8月8日 iRyota25 2014.08.08 6 2,396 0 春菊の苗の根元を包み込むようにして、路地畑に植え替えるおばあちゃんの手。腰は曲がっているけれど、驚くほどの早さで、しかもひとつひとつ丁寧に植え替えていく。時折りひょいとこっちを向いて「こうやって植え替えるんだよ」と教えてくれる瞳はまぶしいほど。 本日参加の
仮設がなくなる前にもう一度… iRyota25 2016.11.09 6 1,873 0 「交通整理の人を出した方がいいんじゃない?」仮設住宅の支援員さんが冗談とも本気ともとれないことを言う。 仮設にたくさんの人が帰ってきた日 大船渡市のある仮設団地の自治会長さんから「イベントの手伝いに来ない?」と誘われて行ってみたら、それは仮設団地のお別れ会を
亡くなった人たちの無念を追体験する場所。人と防災未来センター【神戸市】 iRyota25 2016.03.16 6 6,198 0 震災後の神戸の新しい都心として灘・摩耶エリアの海辺に建設されたHAT神戸。HATとは「Happy Active Town」の略で、公募で決められた名称なのだという。大規模複合商業施設や広々とした海辺の公園、震災被災者を対象としたURの住宅や大型マンション、WHOやJICAのビル、震災後移
サプライズ大成功!!! onagawa986 2014.06.13 6 3,425 0 みなとまちセラミカ工房のタイルに愛を込めて… 本日、うれしいプレゼントが届きました。女川のタイルです。思いがけずほんとにうれしかった。。。しかもうれしいお手紙が、、思わず泣いてしまいました。ふんばろうを通じてお付き合いが始まりました。初めは押入れ整理の毛糸を
【ネパール地震】現地入りした「TSUNAGARI」さんのFBは必見! iRyota25 2015.05.19 6 1,772 0 津波被害を受けた南三陸町で海水浴ができるビーチの再開に力を尽くしたり、こどもたちために本物のサンタクロースを招致したり、マンモス防潮堤の問題点を訴えたり、昨年の8月豪雨で大きな被害を受けた広島で救援活動を行ったり、まさに八面六臂の活動を展開してきた勝又三成
岩手県最大規模の災害公営住宅オープンへ iRyota25 2016.07.08 6 3,875 0 このごろ陸前高田では、「栃ヶ沢にできる新しい公営住宅に入居するのよ」という嬉しそうな言葉が仮設住宅などで時々聞かれる。近々入居が始まる予定の「災害公営住宅(陸前高田市栃ヶ沢地区)」は、9階建て2棟合計戸数301戸の大きな復興住宅。その建物は見上げるばかり。壮観
【伝える】石巻市復興まちづくり情報交流館「雄勝館」 iRyota25 2016.07.08 6 2,190 0 6月に雄勝に行った時にはあいにく休館日だった「石巻市復興まちづくり情報交流館 雄勝館」に行ってみた。場所は旧雄勝小学校から300mほど。5月末に移転した仮設商店街「おがつ店こ屋街」のすぐ近くだ。 情報交流館は管理棟、展示棟、交流棟、そして交流テラスの4つのパートか
復興を目指すお店リポート(石巻・雄勝のホタテ) iRyota25 2012.11.05 6 2,854 0 雄勝の海が育んだ甘くて旨いホタテ(宮城県石巻市雄勝町・光洋さん) 出会いは仙台市の中心部、勾当台公園で開催された「海の幸・山の幸 うまいもの復興市」だった。 雄勝の仮設商店街からやってきた「南三陸うまいもの屋 光洋」さんのブースで炭火で焼かれていたホタテ。貝殻
東日本大震災・復興支援リポート「雪の石巻に咲いた真夏のひまわり」 iRyota25 2013.01.30 6 4,811 5 め組JAPAN「南浜ひまわりプロジェクト」写真展(2013年1月25日~1月27日) 添えられたコメントがぐっとくるのです。写真は会場で展示パネルを撮影させていただいたものです 「久しぶり!元気だった?」 「本当にお世話になったわね。いまどうしているの?」「あの時はありがと
まちに明かりが戻ることを願って hometown_of 2017.03.12 6 1,511 0 3月11日の朝を迎えてからのざわざわした気持ちが収まらない。陸前高田のまちで行われる灯火を見て回る前に、個人的にキャンドルを灯した。 それから3カ所の灯火の会場を駆け足で回った。お手伝いしますからと伝えていたのに、ほとんど見るだけで終わった所もあって心苦しかっ
雪とみかんとハンドバッグ iRyota25 2017.01.30 6 1,694 0 こんなつながりがあったとは! びっくりした。雪がしんしんと降りしきる陸前高田のとある復興住宅でのお茶っこ会。地元の人たちがお茶を飲み飲み、数人は手芸を続けながら「そういえば」と静岡の話になった。 残雪の町とハイヒールのお姉さん お茶といえば静岡だけど、静岡っ
鼻血・円盤・美味しんぼ iRyota25 2014.05.14 6 2,212 4 「鼻血」を否定するか信じるかという踏み絵 話題のスピリッツを買いに町の本屋に行くとすでに売り切れだった。でも近所のコンビニで最後の1冊を求めることができた。 目当ては当然「美味しんぼ」(原作:雁屋哲 作画:花咲アキラ ビッグコミックスピリッツ/小学館)の第604話
3年後にワールドカップを迎える釜石の2016年 iRyota25 2016.12.31 6 1,935 0 この道路案内標識が示すところに道はまだない。 標識が示す場所へ、被災した町をぐるっと回っていくと、その場所には広大な造成工事現場が広がっている。ここは 中学生や高学年の子どもたちが小さな子どもたちを引率して、避難場所に指定されていた場所へ、そしてさらに高台へ
【お囃子の練習スタート】祭りの音色がこの町の空に響く iRyota25 2016.07.27 6 2,529 0 町に太鼓が鳴り響く。夏日の落ちた空に鳴り響く。陸前高田の夏祭り「うごく七夕」。いよいよお囃子の練習がはじまった。 予定の開始時刻に先立って、6時前から鳴り出した太鼓。それが呼び太鼓となって、夕暮れの町から若者たちが集まってくる。 練習の最初は中学生を中心に小
気仙沼でラーメンなら、漁火ごだいの「海鮮塩」 iRyota25 2016.09.12 6 3,366 0 ホタテ、カキ、エビ、イカ、ワカメ、メカブにノリにフノリ。気仙沼の海の幸がふんだんに盛り込まれた海鮮塩ラーメンは、潮風香る豊かな気仙沼の海そのものだ。 気仙沼から太平洋に突き出す唐桑半島はカキ養殖のメッカ。カキのみならず、ホタテやワカメの養殖も盛んな上、暖流
小さな浜に3月11日にオープンしたカフェでのキャンドルナイト iRyota25 2013.03.11 6 2,765 1 牡鹿半島のつけ根、石巻市蛤浜。9軒の人々が肩を寄せ合って暮らしてきた、牡鹿半島の浜(漁業を中心にしたコミュニティ)の中でも一番ちいさな浜。浜の神社には江戸時代の年号が刻まれた碑石が、まるで当たり前のように置かれていた、暮らしが連綿と受け継がれてきた浜。その
陽光が差し込む教室 hometown_of 2017.03.17 6 1,474 0 午後の大川小学校、彼岸の入りの日、教室の壁を春の日差しが照らしている。 この時間帯ならまだ小学生たちは教室や校庭にいるかもしれない。走り回ったり、笑い合ったり、けんかしたり、また走り回ったり、笑い合ったり、歌ったり。 そんな声が聞こえてくるような気がする。壁
関東大震災のわだち iRyota25 2012.04.13 6 2,210 0 88年前の大震災の後に、こんな言葉がありました 1923年、大正12年9月1日11時58分32秒、相模トラフ付近を震源域とするM7.9の大地震が発生しました。大正関東地震(関東大震災)です。 地震発生から11日後の9月12日、次のような言葉が語られました。 9月1日の激震は突然の出来事
東日本大震災・復興支援リポート 田代島と空き家 tanoshimasan 2012.11.15 6 3,878 0 田代島仁斗田集落(1) 阿部ツ商店前 宮城県石巻市田代島。 石巻港から船で1時間前後。 のどかな景色と島に住みつく猫たちが魅力の島です。 田代島仁斗田集落(2) 阿部ツ商店前 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 田代島仁斗田集落(3)
どうして山に逃げなかった?【復興支援ツアー】 hometown_of 2017.03.30 6 1,816 0 大川小学校の裏山に登ってみた。途中に白い表示があったのが津波到達点なのかと思ったが、それより少し高いところまで津波は襲っていたきたのかもしれない。縦長の小さな窪地のような獣道に沿って、ゴミが点在していた。それが津波の時のものなのか、その後誰かが捨てたものな
震災を経験して(2)「女川第二小学校のがんばり坂」 onagawa986 2014.03.06 6 3,420 0 まるで二小のためにつくられた曲! 「お母さん!今日ね校内放送で”学校坂道”が流れたんだよ!曲が始まった瞬間に凜ちゃんとバっと顔を見合わせちゃったよ」 学校坂道とは子供が通っていた女川第二小学校で、校歌の次によく歌われていた曲です。 私はてっきり女川二小のために
つつじ野 第2回「震災体験-1」 onagawa986 2013.12.05 6 2,620 0 震災前、私たち家族は女川に暮らしていました。祖父、祖母、義母、義弟、私たち夫婦に子供三人の総勢9名の大家族です。玄関を開けば目の前に広がる海。潮の香りと船の音をいつもそばに感じながらの生活は楽しいの一言でした。 そんな女川へ嫁いで10年目となる年に、あの大震災