この道路案内標識が示すところに道はまだない。
標識が示す場所へ、被災した町をぐるっと回っていくと、その場所には広大な造成工事現場が広がっている。ここは……
中学生や高学年の子どもたちが小さな子どもたちを引率して、避難場所に指定されていた場所へ、そしてさらに高台へと避難したことで、たくさんの命が救われた舞台となった場所。鵜住居小学校と釜石東中学校があった場所。後に「釜石の奇跡」と呼ばれることになった出来事の起点となった場所。
工事現場のフェンスのそばで休憩していた作業員の若者たちに声を掛けた。
「ここって、ラグビーワールドカップの競技場になる場所ですか?」
2人の若者はこちらを振り向いて笑顔で答えた。
「そうっすよ」
だけど、この工事現場には、ラグビーワールドカップの競技場であることを示す表示はひとつもない。そのことを聞くと、
「そうなんっすよね。でも、何でなのか分かんないんすよね」と、2人は両手を横に広げてやはり笑顔で応じてくれた。
2019年、日本で開催されるラグビーワールドカップ。釜石市はその開催場所のひとつとして正式に剪定された。3年後、いや2年半ほど後には、かつて日本のラグビーの聖地だった釜石で、世界を代表するラガーメンたちの世界レベルのプレイが繰り広げられることになる。
しかし、その割に釜石市内ではワールドカップ開催を示す横断幕などが掲げられた場所はごく少ない。復興に向けての工事が進められている鵜住居地区の埃だらけの道に建てられた道路案内標識には、ラグビーのアイコンが描かれているが、標識の矢印が示す道路はまだ工事中。道路の姿すら見えない。
JRの釜石駅には横断幕が張り出されたが、設置したのはJR東日本。釜石市役所の建物に「ラグビーワールドカップを成功させよう」なんてバナーはいまもなお掲げられていない。県庁所在地の盛岡市にはワールドカップ開催までのカウントダウン看板まで登場したのに、だ。
釜石市のラグビーワールドカップ2019推進室に聞いてみると、ワールドカップ開催の宣伝を控えているということではないのだという。現在も市で行われるイベントや、釜石をホームとするラグビーチームの試合などで、ワールドカップ開催を伝えるための特設ブースを設置するなど、普及には力を入れてきた。気運を盛り上げていく市内での活動も順次行っていく予定だと。
たとえ横断幕やバナーがなくても、釜石の市民の間ではラグビーワールドカップ開催への関心はとても高い。工事現場に表示されていなくても地元の人たちはどこが競技場なのか知っているし、わざわざ見に行ったりしないのは、鵜住居地区全体が復興工事の真っ最中で、工事の邪魔になるようなことをしたくないからだと話してくれた人もいた。
11月に地元の新聞が、ラグビー競技場の建設予算が膨らむとの報道(32億円規模の工事予算だったが、主催団体から求められた施設の充実を実施すると約40億円に予算規模が増大してしまう)があってから数日は、地元岩手の県全域をカバーするラジオや釜石のコミュニティFMで、このニュースが繰り返し話題にされていた。「復興の真っ最中にある釜石にとって、差額の8億という金額はとても捻出できるようなものではない」。しかし、「観客席の設備の追加など、『おもてなし』のための予算増であれば、何とかするしかない」
釜石のラーメン屋さんでも、昼時のお客さんたちがその話題で「困った話だけど、何とかするしかないんだろうな」と話し合っていた。
東京で進められているオリンピック関連の施設建設予算の比べると、桁が1つ、2つも違う。数字だけからは大したことないなんてイメージすら覚えかねない。しかし、競技場建設予算の差額8億円というお金を、わたしは見たことがない。日本人、いや世界中でも、そんな大金を実際に見たり手にしたりしたことがある人はごくごく少数だろう。
陸前高田の奇跡の一本松の保存のためのお金、約1億5000万円は全国からの募金でまかなわれたが、それでも市民の間には、「それだけのお金を集めることができるのなら、どうして被災した市民のために直接使うアイデアを打ち出せないのか」といった意見も根強かった。一時的な利用であるワールドカップ開催のための競技場建設費増額分を「一本松5本分以上」と換算して考えたら、皆さんはどう思われるだろう?
開催まで3年を切った段階で打ち出された主催団体からの要請。復興途上の現地の現状。「ひどい話」と多くの人が話す反面、「それでも何とかするしかない」という意見が多いのが、わたしが聞いた限りでの地元の人たちの意見だ。
ラグビーワールドカップの開催は、釜石の復興を世界に示す大きな機会になるだろう。しかし、それは大きな苦難と引き換えのものであることを知ってほしい。釜石の人たちの、ワールドカップを歓迎する気持ちの中にあるものを知ってほしい。
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