息子へ。被災地からの手紙(2013年7月27日) iRyota25 2013.07.29 3 2,842 0 宮城県石巻市へ0泊3日の弾丸ツアー 石巻で最大のお祭り「川開き」。 7月31日から8月1日にわたって供養祭、灯篭流し、花火大会、孫兵衛船競漕などで盛り上がる。「ぜったい来なきゃダメだよ!」とたくさんの人たちに誘われたんだけど、宿も交通機関もいっぱいで、どうにも当日
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月24日) iRyota25 2013.07.26 0 2,092 0 静岡県賀茂郡西伊豆町・集中豪雨災害復旧ボランティア 東北から帰った週末あたりから、Facebookに「静岡の被害状況」という石巻エリア発の書き込みが見られるようになった。頭がぼーっとして理解するまでに時間が掛かってしまったが、17日から18日にかけて大雨被害を受けた西
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月19日) iRyota25 2013.07.25 2 2,708 0 岩手県陸前高田市 小学校の校舎が簡易宿泊施設になった二又復興交流センター 陸前高田の町はいま、夏草に覆われた広い平坦地になっている。建物は数えるほどしか残っていない。かなしいほど見晴らしが良くなった町を工事車両など町の再建を進める車両が走り回る。高田の町の平
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月18日) iRyota25 2013.07.23 3 2,648 0 宮城県石巻市→女川町→石巻市→南三陸町→気仙沼市 昨夜遅くから石巻は雨。それもかなり激しい降り。朝起きて気象情報をチェックしたら宮城県東部には大雨警報が出されていた。 まいった。今日は女川から海沿いの道を通って雄勝、南三陸、気仙沼と走って陸前高田まで入る予定。大
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月17日)その1 iRyota25 2013.07.23 1 1,898 0 2013年7月17日、曇り。(石巻市狐崎浜) ◎本日曇天なれど、引き続き驚くべき一日なり! 東松島市の宿舎を出発したのは午前2時。 牡鹿半島の真ん中あたりにある狐崎浜への道すがら、何頭もの鹿に出会ったよ。カーブを曲がったとたん、光る目が4つ。ヘッドライトに照らされて、
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月16日) iRyota25 2013.07.19 1 1,897 0 2013年7月16日、晴れ。(宮城県仙台市→七ヶ浜町→東松島市) ◎「驚くべき一日」インクレディブル! あったこと、感じたことのみ記す。 本当は昨日会ったロシナンテスの人たちと一杯やりたいと、熱望に似た思いを募らせつつ、仙台に宿をとった次の朝は早かった。 ホテルでの朝食
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月15日) iRyota25 2013.07.16 1 1,646 0 宮城県亘理郡亘理町・宮城県名取市閖上 亘理町の民家を一軒借り受けて、活動の基地としているNPO法人ロシナンテス。その名前はドンキホーテの愛馬の名にちなんでいる。この会を立ち上げたのは九州のある高校のラグビー部出身の人たち。部は違うが、父さんと同じ高校の人たちだ
スリランカ旅行記 Vol.2 ~ベンツをヒッチハイク (その3)~ sKenji 2013.07.11 5 1,893 0 シルヴァ(※)と共に店を後にする。 宿に帰ろうかと思っていたが、シルヴァが家族を紹介するからうちに来いと言う。 海外で知り合った人の家に遊びに行く際に、一番気になるのは安全面だった。その人が信頼できる人間かどうか。中には、睡眠薬を飲ましてお金を盗んだり、別の場
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月29日) iRyota25 2013.07.05 2 1,745 0 こんな人がいるものなのか、と思った。 大曲浜獅子舞保存会の会長、伊藤泰廣さんを紹介された瞬間、その瞳に射抜かれた。 黒いダイヤ。 というと比喩で石炭や黒曜石なんかのことを言うけれど、その瞳は正真正銘、 黒い金剛石そのものだった。 相手の瞳孔を貫いて、心の底まで
いわき市からのショートステイ。田植え体験へようこそ! iRyota25 2013.07.02 5 2,857 0 6月22日からの土日を使って、伊豆の国市にこども達がやってきました。 いわき市の久之浜第一小学校から。 今回のショートステイは、福島から静岡に避難している県外生活者をサポートしている「はままつ東北交流館」の佐藤大さんと、伊豆を拠点に被災地支援を続ける「伊豆どろ
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月23日) iRyota25 2013.07.02 3 2,816 0 2013年6月23日 福島県いわき市久之浜→静岡県伊豆の国市 震災で負った被害が、そのまま2年以上放置されていた富岡町から、楢葉町、いわき市の久之浜、薄磯海岸、豊浜とまわって帰った翌日の朝――。 父さんは、久之浜からやってきた小学生たちが乗るバスに手を振って、お見送りし
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月22日) iRyota25 2013.07.01 4 2,584 0 2013年6月22日 福島県いわき市久之浜~富岡町 伊豆への短期ツアーに出かけるこども達を乗せたバスを見送った後、久ノ浜の駅前広場で佐藤大さんと長く話した。 大さんは第一原発の5・6号機がある双葉町の出身で、彼自身も原発で働いていて、巨大地震の瞬間は敷地内の事務棟にい
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月21日) iRyota25 2013.06.24 3 2,375 0 2013年6月21日 福島県いわき市・小久地区 久之浜の商店街の前の道を山の方に向かてクルマで5分も行くと、小久という集落に着く。行政区は大久といって、久之浜ではないけれど、久之浜の町の「在」(田舎)にあたる集落。きっと昔から海辺の久之浜との間で、人や物をはじめいろ
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月11日) iRyota25 2013.06.19 3 2,005 0 2013年6月11日 静岡県伊豆の国市韮山 違和感のあるニュースだった。震災から2年と3か月目の夜、NHKが流したニュース。それは、女川町生涯教育センターの話から始まった。 宮城県女川町の生涯教育センターの最上階、機械室まで逃げ上がった末に、なんとか生き延びた人たちの話
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月6日) iRyota25 2013.06.14 3 2,010 0 2013年6月6日 静岡県三島市 テラセ、テラセ サンリクテラセ。。 福島で〈暗闇の思想〉を知り、帰って来てからもくらくらするような状態が続いていた6月6日、Facebookの画面から飛び込んできたのがこの言葉だった。 文章の主の名は新沼暁之さん。直接会ったことはない、ともだ
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月4日) iRyota25 2013.06.13 3 1,863 0 2013年6月2日 岩手県大船渡市越喜来 あれからもうすぐ2年と3か月だ。 津波の悲惨さを伝えるような写真記事はどうしたものだろう。 「もうそろそろ。」 撮ってきた写真をモニタに並べながら、そう思った。でも違うぞと思い直した。 ひとつの出来事をすぐに思い出した。最初に被
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月3日) iRyota25 2013.06.12 2 1,666 0 2013年6月2日 岩手県陸前高田市 陸前高田の町なかは、ほんとうに建物がほとんどなくなってしまって、まっ平らになった。ランドマークがほとんどなくなったせいで、クルマを走らせていて道に迷ってしまう。実際に、道を間違えて、舗装が剥がされたままの砂利道の一本道を延々走
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月2日) iRyota25 2013.06.11 1 1,899 0 2013年6月2日 宮城県石巻市 関東地方では、汗ばむくらいの陽気らしいけど、こちらはすっきり爽やかなお天気だ。というより、昼間でも少し肌寒くて、長袖の上着を持ってこなかったことを後悔しているくらい。 北東方向からの風、やませが入ってきているとのことで、最高気温で
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その3) iRyota25 2013.06.10 2 1,765 0 2013年6月1日 福島県いわき市大久町小久 いわき市久之浜町の山手に広がる田園地帯、小久に佐藤三栄さんを訪ねた。 佐藤さんの田んぼはすでに田植えを終えていた。田んぼに張られた水に、近くの山の姿が映る。田植えされたばかりの背の低いイネの緑が、風にそよぐ。 なんとも平
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その2) iRyota25 2013.06.07 3 2,098 0 2013年6月1日 福島県白河市 アウシュビッツ平和博物館で一冊の本に出会った。 小出裕章・京都大学原子炉実験所助教による『今こそ〈暗闇の思想〉を』(一葉社)。 大分県中津市出身の作家で、公害や大規模開発に反対し続けた松下竜一さんの八回忌の記念講演をまとめた書籍だ。
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その1) iRyota25 2013.06.07 1 1,668 1 2013年6月1日 福島県白河市 東北の初夏ならではの淡い新緑の中、真っ白なオオデマリの花が咲いていた。なだらなかな丘に囲まれた畑のような場所に、木造の古民家が1軒。レンガ造りの小屋が1軒。貨車が2両。そして「原発災害情報センター」と掲げられた、まさに建設途上の木造
息子へ。被災地からの手紙(2013年5月31日) iRyota25 2013.06.06 2 1,726 0 2013年5月31日 東京 ▼ 金曜日の夜の東京の街なかを通って、東北へ向かった。 終電前の時間帯。渋谷も新宿も、相変わらず夜遅くまで人通りが絶えない。街灯、ネオン、水銀灯、自動車のヘッドランプ…。街は光であふれている。 駅と繁華街のあいだを流れていく人波を見ながら、こ
戦争の記憶を風化させないための活動(1) Rinoue125R 2013.05.30 3 2,952 0 父の話をしよう。 父は昭和が始まった数カ月後、福岡県の小倉市(現:北九州市)に生まれた。そして、平成が始まってから数年後、事故により他界した。ほぼ、昭和という時代をまるごと生きて、亡くなっていったわけだ。自分の父親ながら、頭脳明晰なひとであった。料理の上手
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月18日) iRyota25 2013.04.22 1 1,518 1 2013年4月17日21時03分の地震 気仙沼からの移動中で、自動車専用道路を走っている時だったので、地震にはほとんど気づかなかった。 高速を降りて国道を走っている時に、道路情報の電光掲示板に「大地震発生」という赤い文字が見えて何事かと思った。「大地震発生」という文字
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月17日) iRyota25 2013.04.18 2 1,852 0 2013年4月17日 宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館 気仙沼港の岸壁では、オイルフェンスのようなものが張られて(たぶん地上から汚れが海に流れ出さないようにしているのだろう)、埠頭の工事が進んでいた。その手前には工事の進展を待っている被災した岸壁。 港の岸壁って、