列車に乗っている時に津波警報が出されたら iRyota25 2016.09.28 1 1,821 0 東京から来たボランティアさんが、東北の被災地で開催された手芸のワークショップでこんな挨拶をした。 「東京の方ではもう東北は復興したんでしょ、って感じです。テレビでも3月11日の前に特集が組まれるだけなんですよ。だから、私たちが実情を伝えると皆さん一様に驚かれる
今年も開催される陸前高田気仙町の「けんか七夕」 iRyota25 2016.07.23 2 6,595 0 その「けんか」は一度見たら忘れることができない。肚の底にドスンと響くぶつかり合い。そしてお囃子。長い長い綱の引っ張り合い。 勇壮という言葉はこの祭りのためにあるのではないかと思えるほど、力強く魂を揺さぶる祭り。陸前高田の気仙町に長く伝わる七夕祭りだ。 けんか
【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(2)奇跡の一本松 iRyota25 2016.06.22 2 2,372 0 復興工事がおおむねお休みの日曜日でも、陸前高田の海沿いは砂埃が風に舞う。それでも今日もたくさんの人たちが、一本だけ残った奇跡の一本松目指して歩いていく。 団体の人も、家族連れも、仲好さそうなカップルも。むき出しの造成地に日差しが照りつけ、砂埃が舞う中を、あ
【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(1)大槌町役場旧庁舎 iRyota25 2016.06.21 2 2,283 0 梅雨時に奇跡的に晴れた日曜日、岩手県大槌町で震災遺構として保存されている町役場の旧庁舎前には、たくさんの若者たちの姿があった。 ひとりひとり、あるいは2、3人のグループになって、パネルに囲まれた大槌町役場の遺構の周辺を歩き回りながら、写真を撮ったり、何かに見
シーパルピア女川はなぜテナント型なのか iRyota25 2016.04.08 6 4,547 0 新しいスタートが世界一生まれる町へ。 JR女川駅前に誕生した真新しい商店街「シーパルピア女川」。駅から海に続くプロムナードを中心に、おしゃれな平屋建ての建物で構成されたこの場所は、2016年現在、日本で最も注目を集める商店街のひとつだろう。 店舗の数は27。そのうち
【熊本地震点景】東北からきたキッチンカー iRyota25 2016.04.30 5 3,099 0 熊本県益城町の小学校に設置された避難所で、大型ワンボックスから支援物資の積み降ろし作業があったので手伝っていた時のこと… [熊本大地震]クルマのナンバーは「4701」 支援物資を届けにきてくれたクルマなのだと思い込んでいたのだが、荷下ろしが終わった後、クルマの主
【熊本地震点景】住宅の応急危険度判定 iRyota25 2016.04.27 5 4,150 0 熊本の大地震で被災した地域では住宅などの建物の入口に、緑・黄・赤の紙が張り出されている。 [熊本大地震]応急危険度判定の意味 紙の色によって書かれている文面は違っている。 赤は「危険」 ◆この建築物に立ち入ることは危険です ◆立ち入る場合は専門家に相談し、応急措
からすや食堂さんが「持ち込みOK」なワケ iRyota25 2016.03.02 7 1,918 0 いわき市久之浜に植樹の手伝いに行った帰り、いつものように浜風商店街のからすや食堂で食事を兼ねた軽い打ち上げをした。 生ビールを注文する人、しない人、「コーラ1本お願いね」と誰かが注文したら、こんな答えが返ってきた。 「うちは持ち込みOKだからね、コーラはお向か
【熊本地震点景】熊本県庁 iRyota25 2016.04.27 3 2,071 0 熊本県の健康福祉政策課のある県庁行政新館は、物資集積のため1階入口が閉鎖されていた。本館の受付で、途中階の渡り廊下を通って本館から新館に行けると丁寧に教えてもらった。 [熊本大地震]堂々たる県庁舎の中で見たのは しかし、その渡り廊下は地震のために段差ができて
【遺構と記憶】メリケン波止場の震災遺構【神戸】 iRyota25 2016.04.07 3 5,337 0 元町駅から海に向かって歩いて行くと、ポートタワーや海洋博物館、ホテルオークラが立ち並ぶ、いかにもいかにも神戸らしいメリケンパークまでは徒歩10分ほど。寒い冬の夕方でも家族連れや恋人たちが散歩するこのエリアの一角に、不思議な景色が広がっている。 地割れで陥没し
息子へ。東北からの手紙(2016年3月18日)「二杯目のお茶の温かさ」【神戸・新長田】 iRyota25 2016.03.25 5 2,035 0 神戸・新長田、大正筋のアーケード街を歩いていて「南三陸さんさん商店街」の青いのぼり旗を見つけた。いや本当は、コーヒーの温かさを探してこの商店街を何往復も歩き回っていたのに、ほぼまる2日、気づかずにいた。さんさん商店街のロゴマークに見慣れていたせいか、何度も
堤防が造られる前の川辺の景色【石巻】 iRyota25 2016.03.25 3 2,568 0 石巻市を流れる旧北上川のほとりに、物見ヤグラのようなものができていた。 場所は旧北上川の中洲、中瀬と市街地の南にある日和山の中間あたり。ほんとに川のすぐ近くの空き地の中。 近づいてみると、立て看板が「登ってみよう」と誘っている。 お言葉に甘えて登ってみると、
亡くなった人たちの無念を追体験する場所。人と防災未来センター【神戸市】 iRyota25 2016.03.16 6 6,198 0 震災後の神戸の新しい都心として灘・摩耶エリアの海辺に建設されたHAT神戸。HATとは「Happy Active Town」の略で、公募で決められた名称なのだという。大規模複合商業施設や広々とした海辺の公園、震災被災者を対象としたURの住宅や大型マンション、WHOやJICAのビル、震災後移
【復興支援ツアー2015】akaheruさんが聞いた「地元でしか聞けない話」 iRyota25 2016.02.29 4 1,879 0 3世代5人で東北を旅したakaheruさんが、こころに残ったと強調するのは語り部ガイドの方から聞いた話でした。 実際に被災された方の話を直に聞くことで、どう考えて行動し助かることができたのか、どういった判断ミスが起こって命を落としてしまったのかを、被災していない地域
【壊されゆくもの・つくられるもの】大船渡プラザホテル iRyota25 2016.06.19 1 5,371 0 解体が始まるとあっという間だ。1週間ほど前にはまだかつての面影が残されていたが、もはや外壁も一面を残すばかり。 復興の象徴でもあった明るい茶色のホテル 解体が進められている建物の名は、大船渡プラザホテル。震災前から大船渡市民に親しまれてきたが、2011年3月11日の
全線再開2周年。今日も明日も明後日も走り続ける三陸鉄道 iRyota25 2016.04.06 3 2,207 0 岩手県沿岸部を南北に結ぶ三陸鉄道は、今日も宮古に久慈に、釜石に大船渡(盛)に入線してくる。そして三陸沿岸の数々の港を浜を、人々を結んで走っている。 あの日の熱い思いを胸に ホームに詰めかける多くの人たち。車両新調の支援をしてくれたクウェートからのお客様や、政
スティンギティンギ…… iRyota25 2016.03.11 4 1,289 0 とあるきっかけでアルベルトと友達になった。20代後半の頃のことだった。アルベルトは中部地方にある大手電子機器メーカーの技術者として働いていたインドネシア人。ちょっと小柄で、澄み切った瞳をしたイケメンくんで、私より3つくらい年下だった。 初めてアルベルトと会った
神戸市役所で見つけた岩手日報の号外 iRyota25 2016.03.25 2 2,393 0 神戸市役所4号館1階にある防災展示室。大きなガラスには、KOBE防災ポータルサイト「SONAE to U」のロゴマーク。中には防災に関するさまざまな情報やグッズが展示されている、とても役立つスペースですが、入口に置かれたテーブルの上に岩手日報の号外を発見! 号外の日付は201
【復興支援ツアー2015】バイキンマンさんが見つけた大切なこと iRyota25 2016.02.26 3 1,944 0 海から200mほどしか離れていない戸倉小学校(南三陸町)は、5年前の大津波で校舎がまるごと海に呑み込まれてしまいました。小学校の屋上は避難場所に指定されていたそうです。それでも児童は無事でした。お隣にあった保育所のこどもたちも無事でした。そのわけは――。 今回の復
【熊本地震の風景】支援物資は足りているのか? iRyota25 2016.04.26 2 7,458 0 [熊本大地震]熊本市など、支援物資受け入れを中断 この度は、多くの企業や団体、個人の皆様方に、様々な救援物資をいただき、誠にありがとうございます。 本市では、皆様方からいただきました救援物資を必要とされているところにお届けするため、全力を挙げているところでご
鮭のように逞しく地域に戻ってきた戸倉小学校【南三陸町】 iRyota25 2016.03.10 3 3,097 0 2015年10月、南三陸町の戸倉小学校が生まれ変わって開校した。震災で校舎が破壊された後、ずっと隣の地区にある志津川小学校に場所を借りて授業を行ってきたが、ようやく自分たちの地域の校舎に帰ってくることができた。 避難場所だった校舎の屋上まで津波が到達したにも関わ
想像以上の大きさ!石巻の津波避難タワー iRyota25 2015.12.31 5 3,379 0 想像以上に大きい。石巻市が整備を進めている津波避難タワー。その第1号として市東部の渡波地区に2015年3月に完成した「大宮町津波避難タワー」は高さ約13メートルの鉄骨造。冬期の気温に考慮して、高さ10メートルの位置に約120平方メートルの居室も設けられている。 津波避難
戦争の足音の中にあった昭和三陸津波 iRyota25 2016.02.26 3 7,981 0 1933(昭和8)年3月3日午前2時31分――。 その時刻、三陸一帯はうっすら小雪に覆われ、氷点下10度前後の厳しい寒さのなかで寝静まっていた。そこに突如として襲ってきた震度5の強震であった。 「人々は夢もなかばに驚いて起き出て、あるいは陰惨の空を仰いで、あるいは海を臨ん
「ちょっと寂しさも」陸前高田のコンベア解体 iRyota25 2016.02.19 4 4,814 0 ずっとその場所にあるような気持ちでいた。風が吹けば顔面に細かい砂粒がぶつかってくるし、かつての町なかだった場所に1時間もいれば、クルマはサンドイエローに塗装されたかのように汚れる。髪の毛はホコリでぼさぼさになるし、心なしか鼻毛まで少し伸びるような気がする。
中学生たちが建てた「女川いのちの石碑」を歩く iRyota25 2016.01.15 3 11,401 0 東日本大震災で大きな被害を受けた女川町の中学生たちが、自分たちの手で1000年後の人々のいのちを守るために始めた「いのちの石碑プロジェクト」。津波到達点よりも高い場所での石碑建立が進められている。建立のための資金は生徒たちが自らが始めた「100円募金」を知っ後全