2015年10月、南三陸町の戸倉小学校が生まれ変わって開校した。震災で校舎が破壊された後、ずっと隣の地区にある志津川小学校に場所を借りて授業を行ってきたが、ようやく自分たちの地域の校舎に帰ってくることができた。
避難場所だった校舎の屋上まで津波が到達したにも関わらず、2日前の地震の後の職員会議で急遽避難計画を見直し、児童や隣接する保育園児を守ることができた戸倉小学校。震災後は同じ南三陸町の志津川小学校に間借りすることで授業を続けてきた。いずれは合併されることになるのだろうと思い込んでいた。
しかし、かつて戸倉小学校があった辺りの道を走っていると、丘の上に向かって真っすぐにのびる真新しい舗装道路。その入口には「戸倉小学校までは通行できます」と書かれた臨時の看板。戸倉小が復活したのかと思って坂道を上っていくと、そこには新しい町の建設現場と、尖塔を頂いたまるで絵本に出てきそうな小学校があった。
ちょうど昼休み休憩していた現場の作業員に尋ねると、「俺んとこの工事は1月末が工期だけど、3月頃には入居になるんじゃないか」とのこと。とにかく工期が迫っていて忙しいという話だった。
工事内容を公示する看板には、1月31日とか3月15日とか完工予定日が記されている。新しい町の建設が急ピッチで進んでいるのが分かった。そして、その同じ場所に真新しい小学校もある。高台にあっても通学は至近距離。おそらく入居者の中には高齢者も多いことになるのだろうが、この町にはこどもたちの声があふれることになる。
なんかいいな、と思って小学校を見る。校庭にも校舎にもこどもの気配はない。しかし教室とおぼしき部屋には雑巾が干してあったりもする。
「新しい校舎はもうオープンしているの?」そんな疑問が湧いてきた。小学校の回りをぐるぐる歩いて、教室の様子をうかがってみたが確答は見つからない。うろうろしている自分の姿を第三者的に見てみるとまるで不審者だ。じゃあいっそのこと小学校に入って聞いてみよう。駐車場には明らかに工事車両ではない乗用車が何台もとまっている。きっと職員はいる。
校舎正面の入口を入って、靴脱ぎ場の脇にある小窓(職員室につながっていた)から声をかける。「すみません、ちょっとお伺いしたいのですが、戸倉小学校はもう開校してるんですか?」
「はい。」という返事とともに1人の先生が出てきて、「いま教頭を呼びますから」
いえいえちょっとお伺いしたかっただけなので……、と辞退しようとしているうちに、すぐに教頭先生がいらして、はからずも校舎内を見学させてもらうことになった。
最初に案内してくれたのは2階にある多目的室。窓の向こうに志津川湾の青い海が見渡せる。「特別の場所なんですよ」と教頭先生は笑う。以前の戸倉小は海から数百メートルしか離れていなかった。新しい校舎の多目的室から望む海とはきっとまったく違う海の景色だっただろう。津波の被害を受けることがないように移転してきたこの場所。校舎の周辺には森の木立の風景が広がっているが、この部屋にくれば海が見渡せる。
海の近くの小学校という戸倉小のアイデンティティに、津波被害を逃れるための高台移転、そして高台移転しても海とのつながりは続くという新たなアイデンティティが加わったことを実感できる場所だった。
校舎には木のぬくもりがあふれている。上履きやスリッパなしで歩きたくなるようなあたたかい印象。
図書室にも木のぬくもりがあふれていた。開校したばかりだから書棚には空きスペースの方が多い。だけど、これからどんな本がこの場所にやってくるのか、空きスペースが「未来」そのもののように思えて、かえってうれしくなった。
そう話すと教頭先生はちょっと苦笑していたが、戸倉小学校の新しい校舎にはそんな風に思わせてくれる空気が満ちている。案内してくれる教頭先生の言葉にも未来があふれている。
次に先生が案内してくれたのは体育館。
「どうですか」と教頭先生。聞かれて一瞬間を置いて、体育館の中に入ってふわっと感じたふしぎなものの理由が分かった。体育館も木造なのだ。木造でこのスペースを確保するのは大変だろうといった技術的な問題は抜きにして、からだ全部で感じる何かいい感じがこの場所にあふれていた。
ひととおり校舎内をまわって、最後に教頭先生が案内してくれたのは、入口を入った場所にある吹き抜けのロビー。海との関わりや木のぬくもりに加えて、たいせつなものがここにあった。
吹き抜けのロビーには、児童たちが新校舎の完成を祝ってつくったモザイクの壁画が飾られていた。
モチーフは鮭。
壁画はレゴブロックで作られている。児童たちが1つひとつブロックをつけて作られたものだ。
小さなレゴブロックを手に、こどもたちは何を考えていたのだろう。新校舎への期待? それだけではなく、もっといろいろなこと?
ふと思う。どうしてモチーフが鮭なのか。
そういえば、校舎を案内してくれた教頭先生が、廊下のちょっと暗い場所にあった水槽の幕をとって見せてくれた。鮭の卵だった。
「よく見ると、もう小さな眼が見えるんですよ。こどもたちもね、鮭が孵化するのをとても楽しみにしているんです。戸倉地区を流れる戸倉川は鮭が上る川として有名でしたからね」
ふるさと。
太平洋を何年も旅して、やがてふるさとに帰ってくる鮭。新しい戸倉小で学ぶこどもたちにとって、鮭はふるさとを象徴するものだったのだ。鮭の卵の水槽を見た時には、地元に根ざした自然観察というようにしか思っていなかったが、鮭の上る川、そして海と山は戸倉のアイデンティティそのものだったんだ。そんなことを考えている隣で、案内してくれた先生はうれしそうに微笑んでいた。
最終更新: