熊本県益城町の小学校に設置された避難所で、大型ワンボックスから支援物資の積み降ろし作業があったので手伝っていた時のこと…
[熊本大地震]クルマのナンバーは「4701」
支援物資を届けにきてくれたクルマなのだと思い込んでいたのだが、荷下ろしが終わった後、クルマの主は炊き出しのための準備をし始めた。地震直後から学校避難所で活動している小中高生から何人かお手伝いを頼みたいなんて話もしている。ふとワゴン車に貼り付けられたステッカーを見るとそこには「伊達の屋台」と書かれている。
えっ!と思ってクルマのナンバーを見ると4701。間違いない、47都道府県に東北のきもちを届ける伊達の屋台のキッチンカーだった。
伊達の屋台さんに会ったのは3年前の石巻。再開発が始まる前の立町通りにキッチンカーを駐めて、地元の味である「石巻焼きそば」を提供していた。
そのキッチンカーに熊本で出会うとは!
炊き出しが持つ2つの効用
えっ! どうしてここで! というか、なんでここに!
言葉にならない挨拶を交わして握手した。伊達の屋台に出会うのは2年ぶり、店長さんに会うのは3年ぶり。でも、ここにいる。同じ場所にいる。大地震の後、大雨と強風に見舞われているこの場所で交わした石巻以来の握手だった。
その日、ボランティアとして手伝いに入った小学校の避難所では、小中高生、さらに地元出身の大学生を中心としたボランティアが震災からずっと活動していた。10代を中心とする彼ら彼女たちは、毎食のおにぎりを作ったり、物資の荷下ろしや仕分けや配膳といった、避難されている人たちの身近の世話に当っていた。
ティーンにも満たない小学3年生くらいの子から、20代の大学生までがひとつのチームになってあれこれ動き回っている姿は、避難所に明るさを灯していた。
大雨強風洪水警報が出されていた避難所にやってきて伊達の屋台のキッチンカーは、その明かりをさらに輝かせた。
小汚い格好のボランティアの自分と、キッチンカーのイケメン店長が握手しているのを見て、こども達はポカンとしていた。
小中学生の地元ボランティアから選抜された伊達の焼きそばチームは、校舎脇に設置されたテントの屋根の下で、野菜などの下準備にフル回転。伊達の屋台の焼きそばは、野菜のうまさが絶品だ(と個人的には思ってる)。
その野菜を刻むという、実は味の決め手となる作業が小中学生の不慣れな包丁さばきに委ねられることになる。しかしそこはさすが伊達の屋台のオーナー。ちょっとした声かけとトークで小中生チームをまとめ上げ、調理を進め、辺りにはおいしそうな焼きそばの香りと笑顔が広がった。
同じ時間、自分はおにぎりを握るチームの一員として、ラップを手に熱いご飯を三角おにぎりに握る作業を中高生&先生方&50〜70代のボランティアの人たちと一緒に、アッチッチ、アッチッチとやっていたんだが、風向きでふわっと流れて来る焼きそばの香ばしい香りに励まされた。
自衛隊によるご飯の炊き出しはある。それを受けて、小中高生たちがおにぎりをつくる。だけどおかずは乏しかった。別の避難所では、サバやサンマの缶詰の空き缶ゴミが山積していたりもした。この日この小学校の避難所では、こどもたちの作るおにぎりに加えて、東北からやってきた伊達の屋台さんが野菜がいっぱいの焼きそばを提供してくれる。
東北の大震災の時も、炊き出しは避難されている人たちの心を安んじてくれるものだった。いくらありがたいとは言え、毎食おにぎりでは人間は生きられない。おにぎりに加えて野菜がたくさん入った焼きそばの炊き出しは、避難されている人々の胃袋だけではなく、ほかの袋にもあたたかいものを届けたに違いない。
そしてその焼きそばを作るのに、被害を受けて、だけど避難所でボランティアとして活躍している小中高生たちが参加したことだ。
炊き出しには、ひとつには避難所で美味しいものを食べてもらうという意義がある。食べあきたものではない何かを提供することで、人々の目に光が灯る。笑顔が広がる。そしてもうひとつ、避難されている方達と一緒に調理をすることで、避難されている人たちの気持ちをもり立てていくというもうひとつの効果がある。
想像を絶する地震の被害を目の当たりにして、地元の人たちは精神的に大きなダメージを受けている。そんな中で、こどもたちが調理に協力しているということが、辛いたち場の人たちを少しでも勇気づけることにつながってほしい。
そして望むらくは、少し気持ちが落ち着いてきてからでもいいから、避難されている大人の人たちにもまた、伊達の屋台さんのような炊き出しに、ヘルプとして参加してくださいますように。
ほんの少しでもいいから役割を担い、その役割を果たす。伊達の屋台のキッチンカーは、被災地復興に向けてのあゆみを進める存在なのだと思う。
がんばれ伊達の屋台。応援してます!
ぜひみなさんもご支援を!
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