シーパルピア女川はなぜテナント型なのか

iRyota25

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プロムナードに並ぶポールには、力強い言葉が記されたバナーがはためく
プロムナードに並ぶポールには、力強い言葉が記されたバナーがはためく

新しいスタートが世界一生まれる町へ。

JR女川駅前に誕生した真新しい商店街「シーパルピア女川」。駅から海に続くプロムナードを中心に、おしゃれな平屋建ての建物で構成されたこの場所は、2016年現在、日本で最も注目を集める商店街のひとつだろう。

店舗の数は27。そのうち14店が被災した地元の人たちによる出店で、食料品など買回り品のお店や飲食店が並ぶ。一方、残りはシーパルピア女川オープンにあたって誘致や起業した人たちの店舗だ。

たとえば、いまや全国的な知名度となった段ボール製のランボルギーニ「ダンボルギーニ」を展示している今野梱包や、社会的活動でも知られるダイビングショップ、ハイブリッジはいずれも石巻からこの地に出店。これまでの町の商店街ではありえないスタイルで存在感を示している。

もともと強化ダンボールの梱包材を扱う今野梱包は出店にあたって、一般のお客さんに販売できるグッズの開発に大忙しだ
もともと強化ダンボールの梱包材を扱う今野梱包は出店にあたって、一般のお客さんに販売できるグッズの開発に大忙しだ
おしゃれな商店街の店頭にダイビングのボンベやフィンが置かれている。小物用の物干しまである。商店街らしくないこの光景に、シーパルピア女川の目指す姿がダブって見えてくる
おしゃれな商店街の店頭にダイビングのボンベやフィンが置かれている。小物用の物干しまである。商店街らしくないこの光景に、シーパルピア女川の目指す姿がダブって見えてくる

先日のご訪問の際に、天皇皇后両陛下が立ち寄られたことでますます注目されるようになった今野梱包やハイブリッジだが、業務用梱包資材の工場やダイビングショップが商店街に出店する必然性はなかったはずだ。

さらに彼らは生活の場である家が別にあるので店舗は通勤先である。彼等のみならず、シーパルピア女川の全店舗が店舗専用、しかも買い取りではなく有料テナントとして入居しているのだという。従来よく見られた「店舗兼住居」の商店街ではないというところが、実はシーパルピア女川の最大の特徴でもある。

被災地での商業施設や商業ゾーンの再開発では、「その土地で被災したが商売を続ける意志のある人」の優先度が高いはずだ。店舗のほぼ半数が誘致や起業というスタイルはかなり大胆といえる。

利用する立場からすれば、店舗兼住宅でもテナント型でも構わないかもしれない。しかし、出店する側からすればとても大きな違いがある。なぜなら、店舗と生活の場をひとつの場所で再開するか別々に再建しなければならないかで、将来に向けての負担の大きさがまったく異なるからだ。

震災後、仮設商店街で商売をしている人たちに話を聞くと、「店舗と住宅という二重の負債を背負ってまで商売を続けていけるのかどうか」と将来への不安を語る声が非常に多かった。「年齢を考えるとそこまでは無理かもしれない。でも商売を止めると生活の不安がある」。そんな話もあちこちで聞く。とはいえ、商店の再開は町が町として復活できるかどうかを握る重要な問題。いくら復興住宅がたくさん建設されても、買い物できる場がなければ生活が成り立たないからだ。

テナント型の商業施設を町の中心にしようと計画している地域は多いが、店舗兼住居が実現できないことがネックとなって、有力店の多くが自力再建を選択したため施設規模の縮小を余儀なくされたところもある。

商店街をテナント型にし、さらに外部からの誘致を積極的に行った理由について、女川みらい創造の近江弘一専務に話を聞いてみると、理由は単純明快なものだった。

それはシャッター街化させないため――。

東北の多くの地域では震災の以前から、人口減少や高齢化など「日本全体の課題」ともいえる状況が加速していた。店舗はあってもほとんど店を開けていないシャッター街も目立っていた。たとえ公的な補助を投入して施設だけを整備しても、従来と同じ商売のやり方では、早晩行き詰まって、やがてシャッター街に戻ってしまうかもしれない。

それを「復興」といえるのか?

答えはNoに決まっている。しかしお店を出す側にしてみれば、「じゃあ、どうすればいいんだ」という話だ。震災前から人が減って、町そのものが衰退していたところに、震災で人口はさらに減少した。細々とでも商売を続けたいという気持ちをどうすればいいのか――。

近江さんは4月6日付けの繊研新聞に掲載されたインタビューで、こうも言っている。

ここは住むところではなく来るところです。町民のみなさんの日常生活を支えるだけでなく…

繊研新聞(2016年4月6日)

「来るところ」という言葉は、シーパルピア女川のグランドデザインとぴたりと一致している。新しくなったJR女川駅は、まるで翼を広げるような駅舎や温泉があることが印象的だが、もうひとつ忘れてはならないオリジナルな個性がある。それは駅のホームがそのままシーパルピア女川のプロムナードにつながっていることだ。

列車で女川を訪れた人は、ホームに降り立ったその時から、海に向かって伸びる女川の新しい動線に足を踏み入れることになるのだ。

繊研新聞のインタビュー記事、「町民のみなさんの日常生活を支えるだけでなく」の続きはこう記されている。

町民のみなさんの日常生活を支えるだけでなく、飲食店やアクション系というのでしょうか、ダイビングやスポーツ用品、ギターのお店があり、スペインタイルや段ボール製品もあります。

繊研新聞(2016年4月6日)

近江さんの話では、テナントの契約は数年ごと(たしか4年)に更新されるという。どうしても商売がうまくいかなければ撤退ということもあり得るわけだ。正直なところ、けっこうキツイんじゃないかとも思ったが、このような契約であればたとえ店主が変わっても続けていける。

商売を続けるためには、店主としても工夫し続けなければならない。また、そんな意欲のある人でなければ復興の厳しい現実に立ち向かっていくことはできないということかもしれない。あるいは、ダンボルギーニやハイブリッジ、そしてセラミカ工房のように震災前の女川には存在しなかった店舗の在り方が、地元の商店主たちを刺激することも大いにあるだろう。

シーパルピア女川はなぜテナント型なのか?

それは、衰退しつつあった震災前の町に戻すのではなく、外から人を呼び込むことで商店街だけではなく、町全体を盛り上げていくための装置であり、仕組みであるからだ。

いまは話題性もあって多くの人が訪れているシーパルピア女川だが、これから半年、数年後、10年後にどんな商店街でいられるか。そして女川の町そのものがどうなっているのか。シーパルピア女川のチャレンジは被災した町のみならず、日本中から注目されている。

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