広島を知る休日(2)

orangeoor18

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原爆投下により、甚大な被害を受けた本川小学校(当時は本川国民学校)。敷地内にある資料館を見学するため、学校の正門から入ります。

入ってすぐ右手にある事務室に行き、記帳後、見学者用のバッジを受け取ります。外に出て、校舎の窓を見ると児童がちらほら。若干声も聞こえてきます。

保護者でも学校の関係者でもないのに小学校に入るということで若干そわそわしながらも、校舎の前を通過し裏手にある資料館に到着しました。

外で掃除をしている係の方から案内を受け、さっそく中へ。

この後に訪れた広島平和記念資料館は最新の手法を取り入れた展示品の見せ方や構成が素晴らしく、洗練されたミュージアムという印象。一方、こちらの小学校は当時の校舎がそのまま保存されているということもあり、この校舎内だけ時が止まっているかのように思いました。

入口に受付(無人)があり、その先に上ではなく下へと続いていく階段があります。

地下?
資料館用に造られたのでしょうか?

階段を降りると、いきなり目に入ってきたのが、配電盤や電源といった熱線により溶けてしまった実物です。

小学校の地下室

自分にとって、馴染みがない「小学校の地下室」。一体どんな用途で造られたのか。

資料館の説明を読むと、この本川小学校で地下が使われていたのはごく一部だったそうです。当時は主に下足置き場として使用され、その隣に配電室、浄化槽などが配置されていました。
(平和記念公園の東側に位置する、もう一つの小学校「袋町小学校平和資料館」にも地下室があり、今は展示室として使用されています。)

地下室全体が薄暗く、見学した時は自分たち以外に人がいなかったこともあり、物静かな館内。

校舎の形は残ったものの、地上階の窓は吹き飛び、校舎の中は瓦礫と曲がりくねった鉄の枠だけという状態。黒板など校舎にあった物は消え去ってしまいました。
そして、地下室にあった配電室までも焦げてしまうほどの熱とそこまで及ぶほどの威力。あまりの凄惨さに胸が痛みます。

これらの被害はすべて一瞬の出来事によるものです。原爆の威力はいかに凄まじいものだったのか、思い知らされました。

地下室の奥には、爆心地を中心とし、半径2.5~3キロメートルの範囲内の広島の街を再現したパノラマ模型が展示されています。以前は広島平和記念資料館にて展示していたもので、こちらに移動されて来たのです。(現在、広島平和記念資料館では動画を使用したホワイトパノラマが展示されています)

1階では被爆遺物やパネルを展示

熱線によって溶けたガラス、破れた衣服、変形した建物の破片などの遺物が展示されています。

そして、それを取り囲むように壁には多数のパネルが並んでいます。小学校、広島市内で何が起きたのか···。写真中心で振り返っていきます。

特に印象に残ったのが、当時3年生以上の学年児童が体験したエピソードです。原爆で亡くなった児童は小学校に残っていた1、2年生が中心。高学年の児童は学童疎開によって市内を離れて生活していました。

直接の被害は受けなかったものの、以下のことから過酷さが伝わってきます。

・疎開先で食べ物がなくなり、摘んだ野草ばかりのご飯だった
・衣類に食い込んだシラミを取ることが児童の仕事だった
・あるお寺に泊まっていた児童40名のうち、30名以上の児童は原爆によって両親が亡くなった

学校の中にある平和資料館

これまでテーマ問わず様々な「資料館」を見学してきましたが、小学校の敷地内にあるケースは初めてでした。

通っている児童はもちろん、様々な学校が見学に来るでしょうし、学校の中にある意味は大きいと思いました。埋もれることなく、当時の出来事からきちんと戦争、原爆について学べる機会があります。

そして、校舎を当時のまま残していることで、その場でしか得られない感覚も。原爆投下という今の時代からは想像し難い出来事が、当時と同じ空間にいることで想像しやすくなるのではと思いました。

本川小学校平和資料館を後にして、平和記念公園に移動します。

続きます。

本川小学校から相生橋に向かう途中の路面電車
本川小学校から相生橋に向かう途中の路面電車

前回までの旅の記録

 広島を知る休日(1) by orangeoor18
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最終更新:

コメント(4

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  • B

    baikinman

    小学校の敷地内に原爆の資料館があるんですね。
    知りませんでした。
    私も行ってみます。

  • A

    akaheru

    >通っている児童はもちろん、様々な学校が見学に来るでしょうし、学校の中にある意味は大きいと思いました。
    その学校に通う児童はそれだけ長い間その空間で生活をすることできっと忘れることはないでしょうし、いいことですね。

    恥ずかしながらその資料館には行ったことがないので、一度足を運んでみようと思います。

  • P

    pamapama

    本当に子どもたちを大事にする日本、世界であってほしい。それに尽きますね。

  • C

    cha_chan

    疎開していなかった1、2年生が犠牲になってしまったのが、同じ学年の子を持つ親として切ないです。
    ただ疎開していた3年生以上の生徒も、ほとんど両親を亡くしているというのが本当に悲しいです。
    そんな歴史が実際にこの国にあったという事実を発信し、戦争のない未来にしていかなければなりませんね。