ギャラリーを抜けると東館へ戻ってきました。本館の『被爆の実相』と同じく3階に展示されているのが『核兵器の危険性』コーナーです。
原爆の投下までに至るまでの過程(なぜ原爆が投下されたのか?)を写真や文章を用いたパネルで紹介。
また、コーナー名の通り、核兵器がいかに危険なものであるか。にも触れています。
投下された原爆によって放出された放射線。
爆発の際に生じる熱線と爆風。
解説を通じて、その威力の凄まじさが伝わってきます。
爆心地周辺の地表面の温度はセ氏3,000から4,000度にも達し、爆心地から半径3.5キロメートルまでの地域にいた人も火傷を負いました。
広島平和記念資料館 | 展示を見る | 常設展示 | 5 核兵器の危険性 | 5-2 原子爆弾の脅威 | 5-2-3 熱線
その圧力は、爆心地から500メートルの所では、1平方メートル当たり約11トンに達したと考えられています。
広島平和記念資料館 | 展示を見る | 常設展示 | 5 核兵器の危険性 | 5-2 原子爆弾の脅威 | 5-2-4 爆風
中には実際に触れられる展示物も。被爆していない状態と被爆後の状態を比較することができます。
置かれていたのは、ガラス瓶を始めとする実物や原爆ドーム(広島県産業奨励館)の模型など。感触を確かめながら比べていくことで恐ろしさを体感しました。
2階へ降りると、復興までの道のりや平和に向けた活動を中心に紹介している『広島の歩み』コーナーへと進みます。
終戦直後の厳しい生活。
川沿いを中心としたバラック街からビル建設、道路整備などが進んだ復興への道。
平和記念式典、被爆者の証言活動、といった様々な形の平和活動。
これらをパネルを通じて伝えています。
1階に降りてきました。本館が工事中だった前回訪問時はこちらに被爆者の遺品(現在は本館に展示)が展示されていましたが、現在は企画展示が中心。工事によって発見された同館下の被曝した地層の展示、ミュージアムショップ等もあります。
開催中の企画テーマは『記憶と向き合う』です。写真としては範囲が限定され、わずかしか残されていない被爆直後の市内の様子。こちらでは、1200人の方々が記憶をもとに当時の光景を描いた絵が展示されています。
子どもをかばうように体を丸めた姿で発見された『黒焦げになった母子』。それは目撃した多くの方の脳裏に焼き付くほどの光景であり、各々が描いた合計9枚の絵が展示されていました。被爆翌日から河口付近に1ヶ月以上漂っていた女学生の遺体を複数枚に渡って時系列で描いた絵も。
現在のまちの様子からは想像もつかないほどの惨状に目を疑います。
証言映像からも当時の様子を知ることができます。『ヒロシマ 被爆者からの伝言』は3階へ上がるエレベーターの奥にあるシアタールームで午前と午後で複数回に分けて上映されています。
約22分の映像なのですが、時間の都合で全て観ることができませんでした。展示見学の順路からは少し離れているため、場所がわかりづらいのですが、こちらも貴重な資料です。
東館の地下一階は研修や講演等で使用する会議室(この日は修学旅行生が使用していました)、一番奥に特別展示室があります。
こちらでは、新着の資料展が行われていました。
広島平和記念資料館には、今日でも被爆者やその遺族の方々から、大切に守ってきた遺品や資料、被爆の惨状を描いた絵や写真が寄せられています。
昨年度(2017年(平成29年)4月~2018年(平成30年)3月)は、784点が寄贈されました。
この中から230点を紹介します。
本館の資料と展示されている要素(遺品や写真)こそ共通していますが、人それぞれに遺品に対する思いや、これだけの資料が今も増え続けていること自体も発見でした。
館内見学を終えて
今回は、本館・東館で合計約1時間30分ほどの滞在。全フロアの展示物を見学したものの、すべてをしっかり観るにはやはり時間が足りません。
原爆ドーム、原爆の子の像、本川小学校平和資料館も含めて約半日で見学しました。公園内や周辺の資料館を含めた遺構まで合わせると丸1日は必要なのだと思います。(心を休ませる時間も必要)
本館では音声案内を使用している海外の方が目立ちました。実物展示では説明を最小限しているため、じっくり立ち止まって聴いていたという印象です。
原爆に関する基本的な知識や被害の大きさ(規模や被害の種類)に触れる機会はあっても、犠牲になった方や生き延びても苦難の生活を送った方、一人一人にスポットを当てて、それぞれの人生や思いについて触れられる機会は自分の中で多くはありませんでした。
資料館とは知って学ぶことを目的とした施設と思い込んでいましたが、こちらでは見学を通じて学ぶというよりも“感じる”のほうがしっくりきました。
1日目の旅程はこれで終了。
2日目に続きます。
前回までの旅の記録
最終更新:
baikinman
溶けて変形した瓶が、原爆の高熱を物語っていますね。
触れることが出来るというのがとても興味深いです。
akaheru
>本館の資料と展示されている要素(遺品や写真)こそ共通していますが、人それぞれに遺品に対する思いや、これだけの資料が今も増え続けていること自体も発見でした。
戦争から75年。ずっと持ち続けていたのですね。
そういった遺品を大切に持ち続けた方の「思い」を遺品とともに残していかないといけませんね。
cha_chan
海外の方たちにも、多くの方に原爆の恐ろしさを見て感じとってもらいたいですね。広島の平和記念資料館に行く際には、1日かけてゆっくりと見学をしたいと思っています。
pamapama
> 見学を通じて学ぶというよりも“感じる”のほうがしっくりきました。
重いテーマにも関わらず、展示の仕方が洗練されている(←この言葉が適切かどうかわかりませんが)ように思います。自然に興味が湧いてくるように思えるのです。