2004年10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震で最大震度6強を記録した新潟県小千谷市。その市内にある「おぢや震災ミュージアム そなえ館」は中越地震の教訓を生かし、災害から身を守るための備え方を学べる施設です。
施設内の後半部分に展示している復旧・復興ゾーン。応急仮設住宅の再現や地域の活動を紹介するパネルの次は、年表や写真で復興までの道のりがわかる展示スペースに進んでいきます。
【前回のレポート】
復興の軌跡ゾーン
小千谷での出来事を震災発生後の1年目(2004年10月23日~2005年10月22日)から写真で振り返ります。以降は2年、3年、4~7年、8~11年と続きます。
さらに奥へ進むと年表があり、日ごとの出来事を時系列に紹介しています。震災以降、復旧・復興のために行われた数々の取り組みや出来事を知ることができるのですが、特に印象深かったのが2011年の出来事です。
3月11日に発生した東日本大震災。小千谷市としては「避難所のつらさを体験しているからこそできる支援を」ということで、発生のわずか6日後には民泊での避難者受け入れを表明し、市内全体で114世帯の人々を迎え入れました。
「中越地震で全国から受けた支援の恩返しがしたい」という思いから
その後も被災地域への支援が行われていたことを年表で知ることができます。
遠く離れた地域の間にもこうして災害を通じてつながる絆の強さにあらためて気づきました。そして、このような関係性は今後も続いてほしいとも率直に思いました。
防災学習体験ゾーン
施設の最後は地震動シミュレータや防災グッズが展示されている体験ゾーンです。
身近なモノを代用して簡単に防災グッズを作る方法をパネルで紹介しています。体験コーナーにあったのは新聞紙で作るスリッパやキッチンペーパーで作るマスクなど(簡易的なもの)。
展示物が置かれているだけでなく作業ができるスペースもあります。過去の震災で起きたことを知るだけではなく、このように最後は未来の災害に対する備え(防災)を学ぶことができ、とても充実した施設だと思いました。
毎年、小中学校や消防団、自治会など全国各地のさまざまな団体が訪れて、防災学習体験プログラムに参加されているそうです。
そなえ館から駅へ歩いて戻る予定だったのですが、ちょうどその時間帯の小千谷市はよりによって大雨でした…。
傘も持っていない自分が歩いて帰るのは困難な状況だったので、近くのコンビニまで歩き、そこからはタクシーで駅に向かいました。
「こんな土砂降りの日に大変でしたね。」
と言って迎え入れてくれたタクシーの運転手さん。
短い移動の時間でしたが、移動中に震災当時の様子をお話してくださいました。
「車中でしばらく生活していた人も大勢いましたね。体育館など避難所では食事が出るんですが、車中避難は自分で調達していたそうですよ。」
「温泉を無料で解放したんですけどね。でも復旧する前は冷ます水がないから熱くてなかなか入るのも大変でしたよ。」
「今は残っていないのですが、ここには仮設住宅があったんですよ。」
時間が経つにつれ、風化も懸念される中、このように当時のお話を聴けることは大変貴重だと思いました。
「もっと時間があればいろいろ案内できたんですけどね。また来てくださいね。」
(時間があればもっとお聴きしたかったです。)
いろいろ教えてくださった運転手の方にお礼し、小千谷駅のホームへ。長岡駅に戻り、市内にあるもう一箇所の体験施設に向かいました。
長岡のレポートは次回に続きます。
最終更新:
baikinman
orangeoor18さんの記事で、息子の生まれた日と同じことに気づきました。
私も「おぢや震災ミュージアム そなえ館」に行って息子と学んできます。
jina
雨の中おつかれさまでした。タクシーの運転手さんから貴重なお話を聞けること被災地でしかできない体験ですので貴重です。ありがとうございます。
pamapama
> 「温泉を無料で解放したんですけどね。でも復旧する前は冷ます水がないから熱くてなかなか入るのも大変でしたよ。」
これは伊豆半島でも同じようなことがありえますね。いつもふんだんに使えるものが使えなくなってしまうのは本当に想像しきれないところでもあるでしょう。日常生活ひとつひとつを思い越しながら想像していかないといけないようです。
cha_chan
4回にわたるレポートありがとうございます。人の記憶だけではどうしても風化は避けられませんよね…。このような施設が震災の記憶を未来に残してくれているんだ、と実感しました。
akaheru
実際に体験した人の話ほど説得力のあるものはありませんよね。
運転手さんのおっしゃる通り、また行かないといけませんね!