新潟県中越地震から11年

Rinoue125R

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2004年10月23日土曜日17時56分

11年前のちょうど今日、新潟県中越地方を震源とする最大震度「7」の直下型地震が発生しました。夕暮れ時に発生した地震だったため、テレビは局内やライブカメラの地震発生時の画像を繰り返すばかり。現地の詳しい状況がほとんど伝わって来ず、知人のことを案じたのを思い出します。現地への電話が輻輳し、ほとんど繋がらない中、友人経由の伝言で無事の知らせが伝わた時の気持ちは忘れません。本当にほっとしました。

しかし、想像してみてください。電気も水もガスもありません。電話もネットもつながりません。そんな中、最大震度5~6強の余震が10数回も続きました。日本の震度階級で最大の「震度7」を記録した被災地は、本震の後も繰り返される余震の中に不安な夜を迎えていたのです。

ライフラインが途絶した中、家族に連絡を取れずにいた人もたくさんいました。孤立した集落で、いつ助けが来るのか分からない不安な夜を過ごした人も少なくなかったそうです。知人は本震直後、山間部にある実家にとにかく走って走って駆けつけたと後に話してくれました。彼が走り抜けた後、道路は川に落ちて通行止めになったそうです。

翌朝から徐々に明らかになった被害は想像を絶するものでした。ヘリコプターからのテレビカメラは山崩れが各所で発生した山並みを映し出していました。たぶん緑豊かな山並みだったはずの山間部の景色が、茶色と緑色の明細模様のようになっているのが無残でした。陥没した道路、あるいはアスファルトが盛り上がった道路、土砂崩れに埋もれた道路の様子がテレビ画面に次々と映し出されていきます。日曜日のテレビに朝からしがみついていました。

レスキュー隊や警察、自衛隊のほか民間のボランティアも駆けつけて救助活動が行われましたが、68人もの死亡者、数千人の重軽傷者を出す災害に発展してしまいました。

地震だけに終わらなかった長い長い災害

震災後の中越地方で聞かれたのは「震災だけじゃなかった」という話です。土砂崩れで堰き止められた沢が天然のダムになり、決壊のおそれがあることから避難生活が長引いたこと。

震災には持ちこたえたものの、被害を受けた家屋がその後の積雪に耐えられず倒壊したり倒壊の危険が続いたこと。中越地方は日本を代表する豪雪地帯です。雪の季節が来る前に住宅などの修繕が急がれましたが、けっきょく間に合わず、家に戻れなかい人が多かったこと。(地元中越地方はもとより、新潟市周辺の建設業者もほとんどの中越地方に出突っ張りだったそうですが、それでも人手不足は深刻だったそうです。「今日も現場は中越だよ。通いだけで時間が掛かってかったるいけど、行かなきゃな」という知人の言葉を思い出します)

年が明けてようやく雪解けの季節になると、今度は雪崩のリスクが高まり、やはり自宅に戻れない、農地の手入れも出来ないという人も少なくなかったそうです。

2005年6月、中越地方は最大震度5弱の地震に再び襲われました。さらに1週間後から降り始めた大雨で数百戸が浸水する大水害にも見舞われました。

中越地方の人たちには、10月の震災から翌年梅雨の水害までを含めて、一連の大災害だったという意識が強いようです。

災害の継続がもたらした不安と困難

避難所に移動した後も、仮設住宅などへ転居した後も、不安はずっと続きました。寒くてプライバシーがない体育館に避難したくなかった人、ペットがいるから避難所に入ることが出来なかった人、その結果クルマの中で避難生活を送ってエコノミークラス症候群(深部静脈血栓症)で命を失った人もいます。ストレスが原因で脳梗塞や心筋梗塞で亡くなったと考えられる人もいました。これまでの生活や仕事を失ったことで急速に心身が衰える生活不活発病で亡くなっていった方も少なくないといわれています。救われた命が、避難生活の中で失われていったのです。

避難所や仮設住宅での生活が長引くことに加えて、生活基盤である住宅や仕事の再建も大きな課題となりました。

翌年の夏になっても、瓦が落ちた屋根に青シートを掛けた民家が点在していた光景は忘れることができません。米どころ新潟なのに田植えもせず、ただ地割れにビニールシートを掛けただけの田んぼもあったほどです。

地割れや段差が生じた田んぼの中には、地中から吹き出した砂によって農地が大きなダメージを受けたところもあったそうです。

災害は誰の身の上にも起こりえます。災害はいつ発生するかわかりません。そして一旦発生すると、想像をはるかにこえる甚大な被害、長期間にわたって生活再建を妨げるような被害をもたらすことがあるのです。経験したこともない不安、想像することもできない困難に襲われる状況は誰にとってもあります。

防災の備えが大切と口で言うのは簡単です。しかし、本当に備えているのかどうか振り返ることが大切だと痛感します。過去の災害に学ぶこと。心の準備を怠らないこと。それは震災で犠牲になられた方、そして今も被災地でがんばっている多くの多くの人々の教訓を無にしないため、最低限、私たちができることだと思います。

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