村の暮らしが成り立たなくなるということ
68人の命が奪われた中越地震から10月23日で10年を迎えます。震度7を記録した激烈な直下型地震で被災した住宅は12万棟にのぼるとされます。そして深刻だったのが数えきれないほど多数発生した土砂崩れで、道路などのライフラインが寸断され、山間部の集落を中心に孤立する場所が多発したことです。
「マリと子犬の物語」で有名になった旧・山古志村では、3日後に全住民がヘリコプターで避難する中、地震当日の朝3匹の子犬を生んだマリが残され、飼い主の五十嵐さんが愛犬マリと再会できたのはほぼ2週間後のことでした。
村に残されたマリの話が物語っているのは、大きな地震によって発生する山間部の集落孤立がいかに深刻かということです。寸断されたライフラインを復旧し、村の暮らしをもう一度やり直すことの困難です。旧・山古志村では震災の後、人口が半数に減ってしまったといいます。
地震が起こる前から過疎化が進んでいた集落では、震災で孤立、避難生活を送る中で、集落に戻ることを諦めた人も少なくなかったといいます。ただでさえ過疎が進む集落からさらに人口が減少していくことは、その集落の「限界化」をも意味しています。
都会から「夢」を求めて訪ねてくる若者たち
NHKの番組「おはよう日本」は10月12日に「新潟県中越地震10年 被災後に“夢”を語り続けて」という特集を放送しました。
「地震でズタズタになったけど、夢を語ることで次の活路を見いだせる。」
今、その夢に引き寄せられるように集まってきた若者が、集落を維持する大きな力になっています。
小千谷市南部の山あいにある36世帯の若栃集落。そこには都会から10人ほどの若者が定期的に訪ねてくるそうです。地震の直後、地割れや土砂崩れで農業ができないほどの被害を受けた若栃集落では、将来に絶望する声があふれていたといいます。
そんな中、未来に夢を語ることを掲げて、地元の人たちがグループを立ち上げます。ボランティアに来ていた若い人たちにも夢を語ってもらうように呼び掛けます。
70代、80代の人たちが夢を語る中、都会からやってきた若い人たちも夢を語り、語った夢を実現していくことの素晴らしさに目覚めていったというのです。
その様子、なんだか目に浮かびます。東日本大震災の後の東北の被災地でも、同じようなことがたくさんの場所で起きているからです。シャッター通りだった旧市街に移り住み、世界一おもしろい町にしようと活動する若者たち。漁師さんの家に長期滞在して養殖や漁の仕事を手伝う若者たち。就職内定をけって被災地のNPOに就職した後、独立してアルバイト漁師兼アルバイト塾教師としての道を歩き始めた若者。
ある人はこう言います。「震災で集落から半分以上の人が流出してしまった。これはもう人間から血が流れていったのと一緒だよ。そんなことになったら輸血するしかないだろう。失われた血を外から輸血しなければコミュニティは立ち行かないよ」。
中越地震は、大規模な自然災害が山間部のコミュニティが崩壊して行く危機をもたらすことを示しました。そして同時に、都会の若い人たちを迎え入れる「魅力」や「夢」を発信することで、集落が元気を取り戻していく可能性をも示しています。
国の調べによると、地震などで孤立する恐れがある集落は1万7000以上といいます。津波被害で地域コミュニティが危機に瀕するおそれのある集落を加えれば、さらに数は増えていくでしょう。
災害への備えの万全を期するとともに、それぞれの地域の「らしさ」に日頃から磨きをかけておくことの大切さを、被災から10年を経た中越の山あいの村は教えてくれているように思います。
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