【復興支援ツアー2015】防災・減災につなげる東北旅行レポート by sKenji

sKenji

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男性と別れた後、南下を開始して陸前高田へ。

市内へ入るとかさ上げ工事の土が高く盛られていました。以前、訪れた時とずいぶん様子が変わっていて驚きました。

道の駅・タピック45を訪れた後、奇跡の一本松を見に行きました。他にも数人、松を見に来ている方々がいます。

この後、震災遺構の気仙中学校に寄り、気仙沼へと向かいました。

気仙沼では第18共徳丸があった場所を訪れようと考えていました。

しかし、行ってみるとかなりの勢いで復興工事が行われており、以前来た時とはだいぶ様子が変わっています。跡地を少し探してみたのですが、見つけることはできませんでした。

その後、気仙沼の港付近を少し歩きながら見てから南三陸町へ。

南三陸町でまず最初に目指したのは防災対策庁舎です。しかし、ここでも道路工事やかさ上げ工事により道がナビとは異なっており、スムーズにたどり着くことはできません。

少し探して見つけた防災対策庁舎のまわりには見上げるような高い盛土があり、前回来た時からの変わりようにびっくりしました。巨大な土の山の前に立つと、まるで威圧されているようにも感じます。

防災対策庁舎を訪れた後、南三陸さんさん商店街にあるモアイ像を見に行きました。

なんとこのモアイ、本場イースター島から贈られたものなのです。話には聞いていたものの、自分の目で見たことがなかったのでぜひ一目見たいと思い、訪ねたのです。

モアイとの対面を果たした後、南三陸ポータルセンターで応急仮設住宅の部屋の中を再現した展示物などを見て、大川小学校を目指しました。

大川小学校を訪れるのは初めてです。小学校の校舎と言えば、3、4階建ての直方体の建物をイメージするのですが、大川小学校は2階建てです。津波はこの建物の屋根を越えたといいます。もっと高い校舎だったならばと考えてしまいます。

校舎の次に裏山へ行ってみました。実際に自分の目で見てみると、山の傾斜はそれほどきついようには見えず、なぜここへ逃げなかったのだろうかと思わずにはいられません。

大川小学校で日没を迎えると、この日の宿泊地である女川を目指しました。

女川で泊まったのは「El Faro」です。日本では珍しいと思われるトレーラーハウスの宿。部屋が綺麗で大満足です♪ぐっすりと眠ることができました。

3日目

ツアー3日目は、午前中に女川の街を歩いて見て回り、その後、南下をして石巻、東松島市内、宮戸島などに寄ってから、この日の宿泊地である山形蔵王に行く予定でした。

朝起きるとEl Faroのレストランで朝食をいただきます。

食べ終わって部屋に戻ろうかと思っていた時、従業員の方と話をすることができました。最初は積もっていた雪の話から始まったのですが、そのうち話題は東日本大震災へ。

話によるとEl Faroがある場所も津波に浸かったそうです。このことを聞いたとき、最初は聞き間違いではないかと思うほど驚きました。なぜなら、El Faroは海からかなり離れているのです。まさかここまで押し寄せていたとは考えてもいませんでした。改めて津波の恐ろしさを痛感します。

従業員の方は震災当時、女川ではなく別の街のご自宅にいたそうです。海から離れていたために津波は来ないだろうと思っていたら、真っ黒な水が押し寄せてきて、とても恐ろしかったと言っていました。

話の後、宿をチェックアウトをして女川駅へ。車を駅近くの駐車場に停めて周辺を歩いて見て回ります。

まず、最初に向かったのが女川交番です。柵があったために近寄ることはできませんでしたが、鉄筋コンクリートの建物をいともかんたんに引っこ抜いてしまう津波の破壊力は少し離れていても伝わってきます。

けっこう遠回りする必要がありましたが、回り込むように反対側からも交番を見ました。

女川交番の後、高い場所から街の全景を見ようと考えました。

そこで、高台にある熊野神社へ行ってみることに。ところが、工事中で神社には行くことができません。

そこで、かつて熊野神社への階段があったと思われる少し高くなった場所から街を見ると、ほぼ全域ではないかと思われるほど、大規模な工事が行われていました。前の晩、女川に着くとカーナビがほとんど役に立たなかった理由がよくわかります。

港の近くにある輝望の丘です。丘の高さは約16メートル。上には病院が建っているのですが、津波はこの病院にも達したといいます。

輝望の丘の後にすると港へ寄り、そしてテナント型の商業施設・シーパルピア女川へ行きました。

シーパルピア女川では最初に「まちなか交流館」を訪れてから、ぜひ一目見たいと思っていた「ダンボルギーニ」も見学してきました。

細かい部分まで精巧に作られているダンボールの車は想像以上の作りで、今にも走り出しそうな力強さが伝わってきます。もし、駐車場に停められているダンボルギーニを少し離れた場所から見たら、本物だと思ってしまうかもしれません。

ダンボルギーニの後、女川駅などを見て回り、最後に味が良い上に量も多いとうわさを聞いていたお店、「おかせい」でお昼ご飯を食べて石巻へ。

石巻に着いてまず最初に向かったのが日和山です。

山の上に登ろうと思って日和山の南側へ行ったものの、付近一帯は道路工事が行われており、車をどこに停めていいのかわかりません。

近くに犬と遊んでいる女性がいたので、駐車場を尋ねてみます。すると、すぐ近くにある彼女のご自宅の脇にある空きスペースを教えてくださいました。車を停めて御礼を言うと

「どこから来たの?」と聞かれたので

「静岡です」と答えると、「あらまあ、遠いわね」といった感じで話が始まりました。

最初は「がんばろう石巻」の移設場所や道路の工事状況などについて聞いていたのですが、そのうち話題は東日本大震災のことに移りました。

女性は「すぐそこまで海水が押し寄せたのよ」と付近の当時の状況を説明してくれました。20、30分ほどしゃべっていると、今度は彼女の家の隣に住む男性が現れて話に加わり、地震発生当日の津波に襲われたときのことなどを教えてくださいました。最初は停めた車の近くで立ち話をしていたのですが、

「もし、良かったら震災当時の写真があるので見ますか?」という男性の提案に、私が「ぜひ、見せてください」とお願いすると、近くの建物に移動して部屋で写真と一緒に説明してくださいました。

最終更新:

コメント(2

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  • O

    onagawa986

    時間がとれたらまた三陸に来てみてください。
    被災地に訪れた遠方の方に震災当時のことを伝えたい気持ちを皆、大なり小なり持っているんです。
    話しだしたら止まらなくなっちゃうかも。
    震災の事を想い、被災地に訪れてくれる方にせっかくだから当時の事を何か少しでも伝えられたらって・・・。
    あったかい気持ちで迎えてくれるはずですよ。

    • Y

      yazi

      ありがとうございます。また三陸を訪れます。旅先で出会った方々もとても親切な方たちばかりで、丁寧に震災当時のお話をしてくださいました。
      今回、初めて女川駅周辺を訪れたのですが、おかせいさんの女川丼、とっても美味しくて幸せになれました。また、海辺の小さな港町に行きたいと思います。