モンゴルを後にして向かったのが北京です。この中国の首都には以前から訪れたかった場所があります。「紫禁城(※現在は故宮博物院)」です。
紫禁城は明と清の2つの王朝において、24人の皇帝が492年という長きに渡って暮らしていた皇城です。北京に到着してまず最初に向かったのが、この歴代の皇帝たちの住まいでした。
まさに巨大迷路の紫禁城
紫禁城は1420年に完成した宮殿群で、規模は南北961メートル、東西753メートル、部屋数は8700室以上あり、現存するなかでは、世界で最も大きい宮殿と言われています。
高さ10メートルの城壁と巨大な堀に囲まれた広大な宮殿は、明・清王朝の栄華を今に伝えています。
紫禁城に行ってみたいと最初に強く思ったのは、映画・ラストエンペラーのワンシーンを目にした時でした。
紫禁城のなかでも最も格式が高く、象徴的な建物である太和殿。この間口66メートル、高さ35メートルの中国最大の木造建築の前の広場に、数千人とも思える大勢の臣下たちがひれ伏す、あの有名なシーンです。
その憧れの場所がここです。
一段高くなった土台の上に建つ太和殿から、美しい石造りの階段が広場へと伸びています。この広場を数千もの臣下が埋め尽くしていたのです。絶大な権力を誇った皇帝たちとその暮らしに思いを馳せてしまいます。
紫禁城で印象的だったことのひとつは建物の数です。皇帝やその家族が暮らしたエリアは迷路のようだと話には聞いていましたが、まさにそのとおりでした。。いくつもの建造物が密集する居住地区は複雑を極め、ある種、神秘的ですらあります。
天安門事件について
紫禁城の正門にあたるのが天安門。その門の前に広大な広場があります。天安門広場です。南北880メートル、東西500メートルの敷地には100万もの人を収容することができるといいます。
かつて、紫禁城が皇帝たちの住まいであった頃、この広場には皇帝専用の通路があり、その両脇には役所が建ち並んでいました。
しかし今、この広場の名を耳にすると負の場所としてのイメージが沸き起こってきます。天安門事件が発生した場所だからです。
ご存知の方も多いかと思いますが、天安門事件は1976年と1989年の2つがあります。
私の記憶に強く残っているのは1989年の方です。この年の4月、民主化運動に理解を示したことにより失脚した胡耀邦(こようほう)前総書記が亡くなりました。その追悼デモが北京で行われ、これに参加した学生や市民が6月4日、天安門広場に集まり民主化を要求します。
しかし、これに対して中国政府は、デモを抑えこむために人民解放軍を投入して発砲、多くの死傷者が出ました。
民主化を求めて亡くなった方は中国政府の発表によると319人。しかし実際には、それ以上いるとも言われており、2,000人という話も聞きます。
国民主権や言論などの自由があたりまえの日本に住み、民主主義の本当のありがさを十分に解っていない自分にとって、この場所を訪れることはその価値を改めて考える貴重な場所でした。
北京の料理といえば北京ダック。しかし、それ以外にも食欲をそそる料理があります
北京の料理と言えば「北京ダック」が有名。街の食堂で食べて美味しかった記憶があります。しかし、さすがは料理大国の中国です。他にも食欲をそそるものがあります。
北京ダックとならび、よく知られているのは宮廷料理です。中国各地の名物や珍味を素材にして作られる豪華絢爛な料理で、明・清の時代の宮中で発展し、王朝が倒れた後に庶民にも広まったと言われています。北京ダックも元は宮廷料理のひとつだったそうです。
個人的に食べてみたいと思うのは「涮羊肉(シュワンヤンロウ)」。(※旅行当時はその存在を知らずに食べていません)
薄くスライスされた羊肉(ラム肉)を熱湯にさっと通し、胡麻ダレなどをつけて食べる料理で、いわゆる羊の肉のしゃぶしゃぶです。
一説によると、モンゴルのフビライ・ハーンが遠征している際に考案されたとのことで、日本のしゃぶしゃぶの起源は涮羊肉とも言われています。
北京・紫禁城
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