今回の東北旅行のテーマは「防災・減災」です。東日本大震災の被害を受けた地域の現在を見たり、震災を体験された方の話などを通じて、自分自身の防災意識の向上、そして次に来るであろう自然災害の被害軽減に役立てたいという意識で見て回ってきました。
1日目
いざ、東北へ!この日は岩手県の釜石市を目指します。7時半過ぎに自宅を出発し、途中、東京駅で乗り換えです。
岩手県の新花巻駅で下車しました。ここで釜石線へ乗り換えです。
しかし、次の釜石行きの列車が来るのは約2時間後。駅前の食堂でお昼を食べるなどしました。
釜石線の新花巻駅の看板です。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージさせるお洒落な看板です。宮沢賢治が作品中にエスペラント語をよく用いていたことから、駅にはエスペラント語の愛称がつけられているそうです。新花巻駅はステラーロ(星座)です♪
釜石線に乗ります!ローカル線の雰囲気が漂う列車にワクワクです♪
駅を出ると「釜石復興の鐘」がありました。震災の年に建てられたそうです。
駅から15分ほど歩いて、この日に泊まるホテルに到着です。
津波の被害は街中を流れる甲子川の東側が特に大きかったそうです。ホテルの方が「高台に登れば駅周辺に比べて街の灯りが少ないのがわかる」と教えてくださったので、尾崎公園へ行ってみました。いまだに空き地があるのがわかります。
尾崎公園の後、釜石の方たちが震災当日に避難した高台や街に残る空き地などを見て歩きました。
その後、晩ごはんを食べに「釜石はまゆり飲食店街」へ。
飲食店街はもともとは海の近くにあったそうですが、津波による被害で現在の仮設の建物に移ってきています。
お店は飲み屋が多いようです。大衆食堂と書かれた店があったので入ってみました。店内には座敷とカウンターがあったので、私はカウンターへ。
隣には仕事帰りの一人の男性がお酒を飲んでおり、私が席につくと話しかけてくれました。お店の奥さんも交えて話をしながらご飯を食べました。
男性は釜石の方です。震災当日は津波に襲われれて屋根の上に逃げ、他にも数人の方をひっぱりあげて助けたことなどの話をしてくださいました。
店の奥さんは今でも仮設住宅で暮らしているとのことです。店には私たち以外に座敷で飲んでいるお客さんがいたのですが、「彼らも同じ仮設に住んでいるのよ」と奥さんが教えてくれました。
今回の東北旅行中に、このほかにも話をした数人の方が仮設住宅に住んでいました。自分が考えている以上にまだ多くの方が仮の住居で暮らしていることを知りました。
お店に1時間ほどいた後、御礼を言ってホテルに戻り、ツアー初日が終わりました。
2日目
ツアー2日目は大船渡まで鉄道で移動した後、レンタカーを借りて女川まで南下する予定です。
朝起きると、釜石の方々が震災当日に避難をしたという昨夜行った高台をもう一度訪れてみます。
前の晩は暗くてよく見えませんでしたが、この日は高台や周囲の様子がよくわかります。
避難場所は崖の中腹、白いガードレールが見えるあたりです。崖下に停められている車と比較すると、その高さがわかります。
避難場所に上ってみます。以前見た釜石の街を襲った津波の映像を思い出し、当時この場所に逃げてきた人たちがどのような思いでここからの景色を見ていたのか考えていました。
避難場所から空き地が残る釜石の街が見えます。
ホテルに戻ると朝食を食べてチェックアウト。三陸鉄道の釜石駅へ向かいます。
途中、車窓から海が見える区間もあります。
三陸鉄道では車内アナウンスで見どころを教えてくれる上に、スピードを落として走ってくれます。アットホームで温かみを感じる鉄道会社です☆
レンタカーを借りるとまず最初に陸前高田を目指します。しかし、その前に大船渡市内も見てみました。写真は大船渡プラザホテル周辺です。
付近は復興工事中だったものの、この日は日曜日だったせいか作業は行われていませんでした。あたりを歩いている時に一人の男性に会い、震災当時の話などを聞くことができました。男性は地元の方で、今も仮設住宅に住んでいるそうです。寒風が吹く中、丁寧に説明をしてくださいました。
男性と別れた後、南下を開始して陸前高田へ。
市内へ入るとかさ上げ工事の土が高く盛られていました。以前、訪れた時とずいぶん様子が変わっていて驚きました。
道の駅・タピック45を訪れた後、奇跡の一本松を見に行きました。他にも数人、松を見に来ている方々がいます。
この後、震災遺構の気仙中学校に寄り、気仙沼へと向かいました。
気仙沼では第18共徳丸があった場所を訪れようと考えていました。
しかし、行ってみるとかなりの勢いで復興工事が行われており、以前来た時とはだいぶ様子が変わっています。跡地を少し探してみたのですが、見つけることはできませんでした。
その後、気仙沼の港付近を少し歩きながら見てから南三陸町へ。
南三陸町でまず最初に目指したのは防災対策庁舎です。しかし、ここでも道路工事やかさ上げ工事により道がナビとは異なっており、スムーズにたどり着くことはできません。
少し探して見つけた防災対策庁舎のまわりには見上げるような高い盛土があり、前回来た時からの変わりようにびっくりしました。巨大な土の山の前に立つと、まるで威圧されているようにも感じます。
防災対策庁舎を訪れた後、南三陸さんさん商店街にあるモアイ像を見に行きました。
なんとこのモアイ、本場イースター島から贈られたものなのです。話には聞いていたものの、自分の目で見たことがなかったのでぜひ一目見たいと思い、訪ねたのです。
モアイとの対面を果たした後、南三陸ポータルセンターで応急仮設住宅の部屋の中を再現した展示物などを見て、大川小学校を目指しました。
大川小学校を訪れるのは初めてです。小学校の校舎と言えば、3、4階建ての直方体の建物をイメージするのですが、大川小学校は2階建てです。津波はこの建物の屋根を越えたといいます。もっと高い校舎だったならばと考えてしまいます。
校舎の次に裏山へ行ってみました。実際に自分の目で見てみると、山の傾斜はそれほどきついようには見えず、なぜここへ逃げなかったのだろうかと思わずにはいられません。
大川小学校で日没を迎えると、この日の宿泊地である女川を目指しました。
女川で泊まったのは「El Faro」です。日本では珍しいと思われるトレーラーハウスの宿。部屋が綺麗で大満足です♪ぐっすりと眠ることができました。
3日目
ツアー3日目は、午前中に女川の街を歩いて見て回り、その後、南下をして石巻、東松島市内、宮戸島などに寄ってから、この日の宿泊地である山形蔵王に行く予定でした。
朝起きるとEl Faroのレストランで朝食をいただきます。
食べ終わって部屋に戻ろうかと思っていた時、従業員の方と話をすることができました。最初は積もっていた雪の話から始まったのですが、そのうち話題は東日本大震災へ。
話によるとEl Faroがある場所も津波に浸かったそうです。このことを聞いたとき、最初は聞き間違いではないかと思うほど驚きました。なぜなら、El Faroは海からかなり離れているのです。まさかここまで押し寄せていたとは考えてもいませんでした。改めて津波の恐ろしさを痛感します。
従業員の方は震災当時、女川ではなく別の街のご自宅にいたそうです。海から離れていたために津波は来ないだろうと思っていたら、真っ黒な水が押し寄せてきて、とても恐ろしかったと言っていました。
話の後、宿をチェックアウトをして女川駅へ。車を駅近くの駐車場に停めて周辺を歩いて見て回ります。
まず、最初に向かったのが女川交番です。柵があったために近寄ることはできませんでしたが、鉄筋コンクリートの建物をいともかんたんに引っこ抜いてしまう津波の破壊力は少し離れていても伝わってきます。
けっこう遠回りする必要がありましたが、回り込むように反対側からも交番を見ました。
女川交番の後、高い場所から街の全景を見ようと考えました。
そこで、高台にある熊野神社へ行ってみることに。ところが、工事中で神社には行くことができません。
そこで、かつて熊野神社への階段があったと思われる少し高くなった場所から街を見ると、ほぼ全域ではないかと思われるほど、大規模な工事が行われていました。前の晩、女川に着くとカーナビがほとんど役に立たなかった理由がよくわかります。
港の近くにある輝望の丘です。丘の高さは約16メートル。上には病院が建っているのですが、津波はこの病院にも達したといいます。
輝望の丘の後にすると港へ寄り、そしてテナント型の商業施設・シーパルピア女川へ行きました。
シーパルピア女川では最初に「まちなか交流館」を訪れてから、ぜひ一目見たいと思っていた「ダンボルギーニ」も見学してきました。
細かい部分まで精巧に作られているダンボールの車は想像以上の作りで、今にも走り出しそうな力強さが伝わってきます。もし、駐車場に停められているダンボルギーニを少し離れた場所から見たら、本物だと思ってしまうかもしれません。
ダンボルギーニの後、女川駅などを見て回り、最後に味が良い上に量も多いとうわさを聞いていたお店、「おかせい」でお昼ご飯を食べて石巻へ。
石巻に着いてまず最初に向かったのが日和山です。
山の上に登ろうと思って日和山の南側へ行ったものの、付近一帯は道路工事が行われており、車をどこに停めていいのかわかりません。
近くに犬と遊んでいる女性がいたので、駐車場を尋ねてみます。すると、すぐ近くにある彼女のご自宅の脇にある空きスペースを教えてくださいました。車を停めて御礼を言うと
「どこから来たの?」と聞かれたので
「静岡です」と答えると、「あらまあ、遠いわね」といった感じで話が始まりました。
最初は「がんばろう石巻」の移設場所や道路の工事状況などについて聞いていたのですが、そのうち話題は東日本大震災のことに移りました。
女性は「すぐそこまで海水が押し寄せたのよ」と付近の当時の状況を説明してくれました。20、30分ほどしゃべっていると、今度は彼女の家の隣に住む男性が現れて話に加わり、地震発生当日の津波に襲われたときのことなどを教えてくださいました。最初は停めた車の近くで立ち話をしていたのですが、
「もし、良かったら震災当時の写真があるので見ますか?」という男性の提案に、私が「ぜひ、見せてください」とお願いすると、近くの建物に移動して部屋で写真と一緒に説明してくださいました。
写真を見終わると、震災とは関係のない趣味などの話で盛り上がりました。しばらく話をした後、私が日和山へ登ろうとすると、「私も一緒に行きます」と男性が言ってくれたので、二人で山の上へ向かいます。
日和山の山頂へ続く長い階段を上りながら、男性は「地震発生からしばらくの間はここに水を汲みに来たんですよ」などといった、震災当日やその後数日の話をしてくれました。
日和山の上に立つと旧北上川や石巻湾が見えます。その穏やかな海は写真で見せてもらった街を襲った同じ海とは思えませんでした。
山の上にある神社に参拝すると登ってきた階段を下ります。
そして停めてある車のところへ戻ると、男性が「もし良ければ蔵を見ますか」と言って、震災の津波にも耐えた立派な蔵の中を見せてくれました。蔵を見た後、男性に御礼を言って別れました。
当初、石巻の後は東松島市にある神社や宮戸島へ行く予定でした。しかし、寄ってから今日の宿泊地の山形蔵王へ向かうと到着が夜になってしまいます。普段ならば別に暗くなってもかまわないのですが、東北に来る前から心配だったのが慣れない雪道での車の運転。明るいうちにホテルに着きたいと思い、石巻から山形蔵王へ直接向かうことにしました。
高速道路に乗って山形蔵王ICへ。宮城県側は晴れていたのにトンネルを越えて山形に入ると雪がぱらついています。慣れない雪道の運転に緊張です。
ホテルに着いたときにはあたりは薄暗くなっていましたが、なんとか真っ暗になる寸前に無事到着することができました。
蔵王に来たのは、火山災害に対する備えについて知りたかったからです。
蔵王は昨年、火口周辺警報が出されて緊張が高まりました。また、噴火が想定されている火口近くのレストハウスに防災スピーカーなども設置されており、火山に対する防災対策が進んでいると思ったのです。きっと火山防災に役立つ実践的な取り組みや備えなどがあるに違いないと考えて訪れたのです。
しかし、チェックインを済ませた後、万が一噴火した場合の避難などについてホテルの方に聞いてみると、「噴火しても山形蔵王には影響がないので検討していない」。とのことでした。別の従業員の方にも聞いてみたのですが同じ答えです。予想をしていなかった回答にびっくりです。
食事を取るとホテルの部屋などから雪景色の写真を撮った後、翌日に備えて寝ました。
4日目
ツアー最終日です。午前中に噴火が想定されている火口付近や、できればその近くに設置されている防災スピーカーなどを見てみたいと考えていました。そしてお昼過ぎ、蔵王を出発して山形駅から三島に帰る予定でした。
しかし、朝起きて部屋の窓から外を見てみると天気がよくありません。
ホテル付近はまだそれほどではありませんでしたが、山の上の方は天候が悪そうです。行くのを止めようかとも思いましたが、前日、火山防災についての情報が得られなかったこともあり、とりあえずロープウェイで山の上まで行ってみることにします。
ホテルをチェックアウトして、蔵王ロープウェイの蔵王山麓駅へ。
ロープウェイに乗って地蔵山頂駅を目指すものの、標高が上がるにつれ天候が悪化していきます。
地蔵山頂駅に着くと、雪に加えて強風が吹いています。おまけに視界は最悪です。行くべきか迷ったものの、とりあえず歩いてみることにします。
地蔵山頂駅を出発してから20、30分ほど歩いた地点、恐らく地蔵山の頂上付近まで来て、これ以上行くと遭難する危険性があると判断して引き返すことにしました。
地蔵山頂駅に戻ってくると蔵王山麓駅との中間にある樹氷高原駅まで歩いて下ります。途中にはできかけのアイスモンスターがありました。
樹氷高原駅に到着するとロープウェイで蔵王山麓駅へ。車に戻って着替えを済ませた後、火山防災に何か役立つ情報はないかと思い、お土産を探しつつ火山災害への取り組みなどを尋ねます。しかしここでも、万が一噴火しても影響がないので対策は考えていないという返事でした。
お土産を買うと蔵王を後にして山形市内へ向かいました。
駅前でレンタカーを返却して山形駅へ行くと、東京行きの新幹線は1時間に1本。時間があるのでチケットを購入した後、駅の近くにある山形城跡に行ってみました。
ここが想像していたよりも素敵な場所でした。城跡にはお堀や石垣がしっかりと残っており、復元された門などもあります。当時の様子を頭の中で思い描きます。敷地内にあった山形市郷土資料館にも行ってみました。これも見ごたえがあり、嬉しい誤算です。近くにあるという文翔館にも行きたくなり、新幹線を1本遅らせることにしました。結局、2時間近く山形市内を見てから駅に戻ったのでした。
山形駅から東京行きの山形新幹線に乗り、無事三島に帰ってきました。
今回のツアーの反省点としては、2日目と3日目が慌しく、もっと余裕を持ってスケジュールを組むべきだったと思いました。そうすればもっといろんな話を聞いたり、人に出会えたかもしれません。今回の反省を次回に活かしたいと思います。
ツアーを終えて
今回、東北へ行って震災を体験された方々の話を聞いたり、震災遺構を見ることによりいろいろなことを考えました。
なかでも印象的だったことは、実際に津波を目の当たりにした方たちが
「まさかここまで津波が来るとは思わなかった」
とおっしゃっていたことです。自然の脅威は必ずしも人間が予測できるものではなく、絶対に大丈夫というものは存在しないということを改めて痛感しました。
また、自然災害がもたらすリスクについて、積極的に情報を公開した方がいいのではないかとも思いました。
昨年、箱根山の警戒レベルが引き上げられて観光客が落ち込んでいるときに、芦ノ湖でキャンプをしたことがあります。ハザードマップによれば、キャンプ場は想定されている規模の噴火が起きた場合でも被害を受けないとされる場所にありましたが、不安もありました。
しかし、キャンプ場のスタッフの方が、万が一噴火した場合の避難行動や放送ですぐに知らせる体制をとっているなど、その危険性と対策について詳細かつ真摯に説明をしてくださり、信頼から生まれる安心感(※油断ではなく)を覚えました。
蔵王山の火山ハザードマップによれば、泊まったホテルがある蔵王温泉エリアは噴火による影響はないとされています(※ただし、スキー場の上の方はマグマ噴火した場合には50センチ以上の大きな噴石の被害が想定されています)。また、火山活動は地元の観光にとってセンシティブな問題かもしれません。
しかし、今回ひとりの観光客として訪れて感じたのは、噴火についての話題を避けようとせずに火山災害に関する情報や取り組みについて説明したほうが、観光への影響が少ないのではないか。また、想定されている噴火で被害がないとされていても、想定外に備えてできることはないのか検討しておくべきではないか。と思いました。
東日本大震災で津波を体験された方々が「まさか津波が来るとは思わなかった」と口々に言っていたのを聞いた後だけになおさらそのように思います。自分が防災について考えるときは、あらゆる状況を想定して災害に備えたいと思います。
費用
◎交通費 69,040円
[電車]
16,840円 (三島→釜石)
1,080円(釜石→盛)
14,120円(山形→三島)
[レンタカー] 31,320円
(1月31日10:00~2月2日15:00)
[ガソリン代] 2,500円
[高速料金] 3,180円(鳴瀬奥松島→山形蔵王)
◎食費 6,350円
・1日目昼食:950円
・1日目夕食:1,600円(飲み物込み)
・2日目夕食:1,400円(飲み物込み)
・3日目昼食:1,400円
・4日目昼食:1,000円
◎宿泊費 28,920円
1日目 釜石ベイシティホテル
7,350円
2日目 El Faro エルファロ
6,500円
3日目 ル・ベール蔵王
15,070円
◎その他 5,300円
蔵王ロープウェイ(山麓線山頂線直通片道&山麓線片道):2,300円
スノーシューレンタル:3,000円
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■合計
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交通費 69,040円
食費 6,350円
宿泊費 28,920円
その他 5,300円
------------------------- 109,610 円
最終更新:
onagawa986
時間がとれたらまた三陸に来てみてください。
被災地に訪れた遠方の方に震災当時のことを伝えたい気持ちを皆、大なり小なり持っているんです。
話しだしたら止まらなくなっちゃうかも。
震災の事を想い、被災地に訪れてくれる方にせっかくだから当時の事を何か少しでも伝えられたらって・・・。
あったかい気持ちで迎えてくれるはずですよ。
yazi
ありがとうございます。また三陸を訪れます。旅先で出会った方々もとても親切な方たちばかりで、丁寧に震災当時のお話をしてくださいました。
今回、初めて女川駅周辺を訪れたのですが、おかせいさんの女川丼、とっても美味しくて幸せになれました。また、海辺の小さな港町に行きたいと思います。