ホテル観洋の窓辺の椅子から見える風景 iRyota25 2016.01.29 3 3,092 0 南三陸の美しい海に面したホテル観洋。エントランスから続く長いロビーを歩いていった先に、何脚かの椅子が並べられている。目の前には紺碧の志津川湾。 漁場が広がる豊かな海の向こうには、赤茶色の土が山のように盛り上げられた志津川の町。この椅子は、復興が進むふるさと
伊里前福幸商店街が移転してグランドオープンへ iRyota25 2016.01.28 1 1,868 0 宮城県南三陸町歌津にある伊里前(いさとまえ)福幸商店街にかさ上げ工事の土の山が迫っていた。仮設商店街の屋根よりもはるかに高い、大きな大きな土の山。商店街はどうなってしまうんだろうと思ってたら、知り合いの建築士さんに偶然出会った。 「久しぶりです!」と声を掛
【遺構と記憶】国道45号線沿いに残された高田松原の被災松 iRyota25 2016.01.28 1 2,361 0 震災遺構としての保存が本決まりになっているかつての道の駅「Tapic45」(陸前高田市)。その敷地の片隅に被災した松の根や幹が並べられている。 決して捨て置かれているわけではない。なぜならちゃんと説明パネルも設置されているから(コンパネにカラープリントを貼り付けた
ロッシーたちが東北にいてよかった iRyota25 2016.01.21 5 4,346 0 外務省医務官(超エリート)だったひとりの医師(川原尚行さん)が、アフリカ赴任中に発起した。発起という言葉は最近はあまり使われることがないが、志を立て、そのために行動する決意をすること。彼の行動は発起と呼ぶほかないものだった。人を救うことが医師の使命なのだと
大槌町の高台に立つ希望の灯り iRyota25 2016.01.21 2 3,273 0 この場所からは大槌の町を一望できる。「ひょっこりひょうたん島」こと蓬莱島も見渡せる。大槌町の希望の灯りはこの高台に灯されている。 大槌町に希望の灯りが届けられたのは震災から1年8カ月となる2012年11月11日。震災直後から大槌町を支援してきた敦賀みなとライオンズク
ヒロシマからの道「死んでからも三輪車で遊べるように」 iRyota25 2016.01.21 2 8,238 0 平和記念資料館の順路の中ほどに、たくさんの人の注目を集める遺品が展示されています。近くからはすすり泣きの声も聞こえてきます。 三輪車、鉄かぶと 銕谷信男氏寄贈 爆心地から1,500m 東日本大震災白島町 銕谷伸一(てつたにしんいち)ちゃん(当時3歳11か月)は、三輪車乗
息子へ。東北からの手紙(2016年1月17日)敢えて「風化は悪いことではない」 iRyota25 2016.01.17 1 2,176 0 年末に訪ねた女川の新しい商店街で、ダンボルギーニの今野さんと話している時に彼が語った言葉が刺さった。 「震災とか被災地という言葉がアピールできる力が低下してきている。これからは、もっと別な何かが必要だ」 これはつまり、震災の記憶とか教訓といったものが、域外の
青いあおい太平洋をのぞむ「竹の会所」 iRyota25 2016.01.15 2 3,310 0 石巻方面から気仙沼に向かう途中、大谷海岸の手前の小高い崖地の上に不思議な建物がたっている。 震災以前から定置網漁が盛んだったという港町。漁の様子を見張るのに使われた高台なのかもしれない。 しめ縄が張られた入り口から中に入ってみると、そこには 竹で形づくられた
中学生たちが建てた「女川いのちの石碑」を歩く iRyota25 2016.01.15 3 11,401 0 東日本大震災で大きな被害を受けた女川町の中学生たちが、自分たちの手で1000年後の人々のいのちを守るために始めた「いのちの石碑プロジェクト」。津波到達点よりも高い場所での石碑建立が進められている。建立のための資金は生徒たちが自らが始めた「100円募金」を知っ後全
大川小学校の新しいイルミネーションの前でキャンドル iRyota25 2016.01.11 5 1,496 0 音のない世界に鐘の音が響く。4年10カ月の夜、大川小学校へ。 こどもたちに楽しんでもらうために設置されたツリーのイルミネーションが、あたらしいデザインのものになっていた。 昨年までのハートの形をした手から、つばさへ。 ハートが広がって羽ばたくようにとの有志たちの
気仙沼の土ぼこり。新たなまちづくりに続く道 iRyota25 2016.01.11 5 1,723 0 かさ上げ工事で道が変わって、付け替えの臨時の迂回路だらけの気仙沼中心部。通れるルートも減って渋滞が増えた。市場から南気仙沼方面へは、かさ上げ工事現場の中を大きく回り道。大船渡線が走っていたガードをくぐって、浜街道の方へ、と思って走っていると「あれっ?」 何
陸前高田の地元で人気の中華料理店「みつわ飯店」 iRyota25 2016.01.11 3 4,884 0 陸前高田の知り合いに、お昼ごはん食べに行くなら「ここ!」と推奨されたお店のうちの1店。これまで何度も不定休というお休みの日にあたって、待ち望むこと2年余にして初めて行ってきました「みつわ飯店」さん。 そりゃもう「注文するならまずはこれ!」と教えられていたカツ
ヒロシマからの道「厚紙を入れた中学生の靴」 iRyota25 2016.01.11 4 4,871 0 説明パネルに記された一言が、亡くなられた佐々木一彦さんの人となりを彷彿させてくれます。多くの言葉はいりません。 中学生の靴 佐々木綾子氏寄贈 爆心地から900m 雑魚場町(現在の国泰寺町) 県立広島第一中学校1年生の佐々木一彦さん(当時12歳)は、建物疎開作業の待機中
ハイドロジェンボムを受けしものの悲嘆の叫び iRyota25 2016.01.08 2 2,283 0 初めてこの物体を見た時、これはアートだと思った。それもきわめてすぐれた芸術品。 この物体の由来を知る人からは不謹慎とか無責任といった謗りを受けるかもしれない。それでもなお思う。これは人類の歴史に記されるべき芸術品だ。 もの言うことのできない者たちの叫び。聞こ
ダンボルギーニ、女川の駅前商店街に登場 iRyota25 2016.01.07 22 13,177 0 ショールームに展示された超高級スーパーカー!と思いきや、石巻市の今野梱包という会社の社長と社員有志がイタリアの高級スーパーカー「ランボルギーニ・アヴェンタドール」の躍動するフォルムを、すべて段ボールで再現した、その名も「ダンボルギーニ・アベンダンボール」だ
麦踏みをお手伝いした麦ごはんを食す幸せ iRyota25 2016.01.06 1 3,259 0 今日は福島で育ったおいしい大麦のお話です。 「麦踏み、やってみないかい」と福島県いわき市で農業を営む佐藤三栄さんから誘われたのは2014年12月頃のこと。麦踏みという言葉は辛うじて知ってはいました。「麦は人に踏みつけられ、痛めつけられて、それでも立派に育つんだ」
ヒロシマからの道「負傷した巡査が発行した罹災証明書」 iRyota25 2016.01.06 3 6,116 0 広島平和記念資料館に寄贈された遺品を中心に紹介してきましたが、2016年の始まりにあたり、順路を先回りして一枚の写真を紹介させていただきます。 ケガをして、ボロ布のような三角巾のようなものを頭に巻きつけているのは、宇品警察署の藤田巡査だとされます。写真の説明を
息子へ。東北からの手紙(2016年1月1日)初日と権現さまとお節料理 iRyota25 2016.01.03 1 1,304 0 気仙沼で初日の出を見たあと、正月恒例の権現さまの舞いを見ようと内陸部に出かけたら、知り合いのカップルに出会った。知り合いのカップルの知り合いのお宅のお母さんに、ちょっと寄って行ってと誘われて、権現舞いのお振る舞いのお手伝いをすることになったんだが、なんとお
「がんばろう!石巻」から2016年へ iRyota25 2015.12.31 2 2,066 0 2015年11月21日、「がんばろう!石巻」看板の隣に東日本大震災メモリアル「南浜つなぐ館」がオープンしました。 津波で大きな被害を受けた門脇地区と、隣の南浜地区の震災前の町並みや歴史を伝えるとともに、震災についてもっと多くの人に知ってもらおうと、公益社団法人「み
想像以上の大きさ!石巻の津波避難タワー iRyota25 2015.12.31 5 3,379 0 想像以上に大きい。石巻市が整備を進めている津波避難タワー。その第1号として市東部の渡波地区に2015年3月に完成した「大宮町津波避難タワー」は高さ約13メートルの鉄骨造。冬期の気温に考慮して、高さ10メートルの位置に約120平方メートルの居室も設けられている。 津波避難
鎮魂の花壇から見る女川の海 iRyota25 2015.12.31 4 2,472 0 女川町地域医療センター(町立病院)への坂道の中腹につくられた歩道を歩く。目の前に青い海とかさ上げ造成が進む町が広がっていく。造成が進められている場所はかつて女川の町の中心部だった。港の近くにはマリンパル(町営の観光物産館)や商店、そして七十七銀行女川支店が
【復興支援ツアー2015】ツアー実施後のリポート一覧 iRyota25 2015.12.31 2 1,718 0 【復興支援ツアー2015】《リポート》 防災を学び伝える旅 by kozaitsu あれから5年たちました。 女川駅前だけが驚異の復興を遂げましたが、その他三陸沿岸部はいまだ土地の整備の途中です。 町を再建してそれで復興が完了なのか? 現地の方たちが今一番必要としているのは何か
【遺構と記憶】震災遺構の保存、地元と市民に意識の差 iRyota25 2015.12.25 1 4,175 0 鹿折の道を走っていると、どうしてもその船を目が探してしまう。もう解体されてから2年以上になるのに、どうしてなのかその船を探さずにはいられない。 あの日、渦巻く怒濤となって鹿折の町を呑み込んだ津波に乗って、何十艘もの漁船が町に流れ込んだ。巨大な漁船は津波ととも
ヒロシマからの道「食べることのなかったお弁当」 iRyota25 2015.12.25 2 8,310 0 その日の朝、お母さんが作ったであろうお弁当。食べられることなく、炭化してしまったお弁当。炭になってしまったお弁当を、お母さんはどんな気持ちで持ち続けてきたのでしょう。捨てられなかった気持ち、そして平和記念資料館に寄贈した気持ち。 弁当箱 折免シゲコ氏寄贈 爆
息子へ。東北からの手紙(2015年12月20日)幸せになるために生まれてきた iRyota25 2015.12.22 6 2,243 0 いちばん海に近い蔭磯橋の架け替え工事が始まっている。 もともと蔭磯橋が架かる河口あたりは、山と海からの砂が堆積して天井川みたいになっていて、北町から橋へ向かう道はゆるやかな上り傾斜だった。つまり橋の方が町より高かった。だもんだから、蔭磯橋が津波に呑み込まれ