広島平和記念資料館に寄贈された遺品を中心に紹介してきましたが、2016年の始まりにあたり、順路を先回りして一枚の写真を紹介させていただきます。
ケガをして、ボロ布のような三角巾のようなものを頭に巻きつけているのは、宇品警察署の藤田巡査だとされます。写真の説明をお読みください。
罹災証明書を書く警察官
爆心地から2,500m 皆実町三丁目 専売局角
1945(昭和20)年8月6日午後5時ころ
宇品警察署の巡査は、
自ら負傷しながらも被災者に罹災証明書を発行しました。
当時この証明書があれば、戦時非常用の救援食料の配給を受けることができたのです。
平和記念資料館のキャプション
巡査の口もとを見てください。撮影されたのは原爆投下当日の午後4時過ぎか5時過ぎとされています。比較的被害が少なかったといわれる宇品からやって来た藤田巡査は、広島市中心部の惨状と救護を求めるあまりにも多くの人々を目の当たりにして、何かと戦うような気持ちで罹災証明書を書き続けていたように思えるのです。
巡査が発行した罹災証明書で非常食料や救援品を手にすることができた人も少なくなかったことでしょう。罹災証明書をもらえても、食料を口にする前に倒れてしまった人もいたかもしれません。もしかしたら、もっと他にやるべきことがあるかもしれないという迷いもあったかもしれません。それでも罹災証明書を書き続けた藤田巡査。たかが紙切れに過ぎない証明書は、彼には人々の命をつなぐ大切なものに見えていたに違いありません。
巡査の表情には、人間の本質的な強さが現れていると思うのです。(そして私たちは、藤田巡査と同じように人間の強さを物語る表情をたくさん知っています)
写真は中国新聞社写真部記者の松重美人(まつしげよしと)氏が撮影した、被爆当日の市街を撮影した5枚のうちの1点です。負傷した藤田巡査がその後、どのような人生を送られたのかは調べても分かりませんでした。
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