ヒロシマからの道「食べることのなかったお弁当」

iRyota25

公開:

2 なるほど
7,669 VIEW
0 コメント

その日の朝、お母さんが作ったであろうお弁当。食べられることなく、炭化してしまったお弁当。炭になってしまったお弁当を、お母さんはどんな気持ちで持ち続けてきたのでしょう。捨てられなかった気持ち、そして平和記念資料館に寄贈した気持ち。

弁当箱
折免シゲコ氏寄贈
爆心地から600m 中島新町

県立広島第二中学校1年生の折免滋(おりめんしげる)さんは、建物疎開作業現場で被爆し、死亡しました。8月9日早朝、母親が、弁当箱をおなかの下に抱きかかえるような姿の遺体を見つけました。滋さんが食べることのできなかったお弁当は真っ黒に焦げていました。

平和記念資料館のキャプション

無念、悲嘆、鎮魂。どんな言葉を使っても言い表すことのできない感情。

その日の朝、お弁当を持って家を出た滋さんと、送り出したお母さんの表情が目に浮かびます。あの晴れた日の朝。

 広島平和記念資料館
www.pcf.city.hiroshima.jp  
 広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアム
www.pcf.city.hiroshima.jp  
 ヒロシマからの道(1)「訪れる人の力を集めたら…」
potaru.com
 ヒロシマからの道(2)「どうしてヒロシマとカタカナで書くのですか?」
potaru.com
 ヒロシマからの道(3)「ここは中島という町なのです」
potaru.com
 ヒロシマからの道(4)「パパさまの言葉」
potaru.com
 ヒロシマからの道(5)「13歳女学生の夏の制服」
potaru.com
 ヒロシマからの道(6)「中学生の学生ズボン」
potaru.com
 ヒロシマからの道(7)「一部に焦げた跡が残っています」
potaru.com

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン