堤防が造られる前の川辺の景色【石巻】 iRyota25 2016.03.25 3 2,480 0 石巻市を流れる旧北上川のほとりに、物見ヤグラのようなものができていた。 場所は旧北上川の中洲、中瀬と市街地の南にある日和山の中間あたり。ほんとに川のすぐ近くの空き地の中。 近づいてみると、立て看板が「登ってみよう」と誘っている。 お言葉に甘えて登ってみると、
東日本大震災・復興支援リポート:石巻に「絆の駅」オープン! iRyota25 2012.11.01 3 2,713 0 人と人が「熱く」つながっていける場所 2012年11月1日、未来に向けての一歩を踏み出した人と人をつなぐ新しい施設が石巻のまちなかにオープンします。 その名は「絆の駅」石巻ニューゼ&レジリエンスバー。ニューゼはニュースとフランス語で博物館を意味するミュゼの造語で、
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月31日) iRyota25 2013.08.08 3 2,654 0 夜行バスがとれなくて、新幹線&ミヤコーバスで石巻入り。 うなるような轟音を立ててジェット機が駅上空をバンクしながらフライパスしたのは、 バスが駅に到着したのとほぼ同時だった。 「ブルーインパルスだ!」 嫌いじゃないが、とくにファンというわけでもない。でも、空を
海辺の地をゆく「石巻市・雲雀野町」2015年8月2日 iRyota25 2015.08.03 3 2,493 0 2015年の「石巻・川開き祭り」の翌朝(あの日から数えて1,606日目)、門脇・南浜地区の海岸線沿い、雲雀野町の浜辺にには砂地に巨大な鋼管が並んでいた。 鋼管は砂に垂直に埋められて、互いにジョイントで繋がれているのだけれど、真横から見るとモアイ像が並んで海を見つめて
速報!石ノ森萬画館ReOPEN!(2012年11月17日) iRyota25 2012.11.17 3 6,751 1 震災から1年8カ月。石巻の町おこしの拠点が再オープン ついに“マンガの町・石巻”の象徴、石ノ森萬画館がリ・オープン。セレモニーには漫画家・石ノ森章太郎が生み出したヒーローたちも駆けつけた。一歩前に立つのは石巻のローカルヒーロー「シージェッター海斗」(石ノ森氏の
東北の友人たちが言うことには。その8「爆心地」 iRyota25 2013.05.28 2 1,692 0 ▼ 石巻2.0の松村豪太さんがいまも書き続けているブログには、タイトルとしてこんな言葉が使われている。 「爆心地から」 石巻2.0の活動の端緒となった小冊子『VOICE VOL.0』のインタビュー記事には、松村さんの中に爆心地という言葉が浮かんだ経緯が次のように記されている。
内陸の「未災地」と沿岸の「被災地」 iRyota25 2017.01.31 2 2,091 0 このところ、岩手県の内陸部の人たちと話をする機会が多いせいか、内陸部と沿岸部という軸で考えさせられることがしばしばある。 たとえば岩手県の場合、東日本大震災で沿岸部はいまなお癒せぬ甚大な被害を受けているが、盛岡市や花巻市、北上市、世界遺産がある平泉町や一関
石巻の塩うに。店ごとにこだわりあり! iRyota25 2013.07.29 2 3,261 0 一箱古本市の表彰式を終え、ふれあい商店街の屋根付きベンチで、電器屋さんの佐藤さんと一日の労働を労っていた時のこと。 ビールはもちろん立町商店街の相澤商店で購入。おつまみはふれあい商店街のいそざき八百屋さんで買った茹でトウモロコシ。夕方の風を感じながらのひと
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,589 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販
海辺の地をゆく 「石巻市・南浜」2012年11月21日 iRyota25 2013.01.17 2 3,349 0 2012年11月21日(622日目)の宮城県石巻市・南浜 見たところ、ただ美しいばかりの砂浜だが、ここは宮城県石巻市。被災地のシンボルのひとつとしてたびたび紹介される門脇小学校から歩いて行ける浜辺。写真の角度から180度振り返ると、日和大橋が旧北上川を越えて湊地区へ続く
津波警報発令。その時わたしはどう行動したか iRyota25 2016.12.24 2 6,670 0 その朝、わたしは仙台市の隣の多賀城市にいた。前の日に鹿島神宮で「どうかこれ以上、地震や天災で人々が苦しみませんように」と願をかけた後、歌枕として有名な「末の松山」の写真を撮影するために、多賀城で夜明けを待っていた。 三十六歌仙の一人清原元輔が詠んだ「契りき
あたらしい石巻・復興支援リポート「立町大通りのyuugen」 iRyota25 2012.12.11 2 2,064 0 あたたかさと美味しさが身に染みるカフェ 日向ではコートを脱ぎたくなるくらいのお天気の日でも、日没後はどんどん冷え込んでいく。かつて石巻でもっとも栄えていた立町(たちまち)大通りのアーケード。出された看板に貼り付けられた手書きの一言にぐぐっと引き寄せられた。
東北、この一枚。(6)石巻川開きの流燈 iRyota25 2013.08.02 2 2,491 0 2013年7月31日夕刻、石巻最大の夏祭り「川開き」で流燈(燈籠流し)が行われた。 河原近くに設けられた慰霊会場で、石巻仏教会の流派を超えた僧侶による慰霊行事が行われる中、旧北上川に1万の燈籠が流され、たくさんの人々が川の土手や内海橋を埋めつくした。 徐々に暮れ行く
祝!ユネスコ記憶遺産登録。サン・ファン号発進せよ! iRyota25 2013.06.20 2 3,185 0 江戸時代が始まったばかりの慶長18年(1613年)、太平洋を渡った日本生まれのガレオン船がありました。その名はサン・ファン・バウティスタ号。 海外貿易を徳川家が独占する中、仙台の雄、伊達政宗が遠くヨーロッパへ向けて送り出した西洋式大型船には、数々のロマンが込めら
明日を目指すお店リポート 「石巻絆の駅・レジリエンスバー」 iRyota25 2012.12.12 2 2,890 0 石巻絆の駅・レジリエンスバーからはじまる被災地の旅 正式オープン後はじめて夜のレジリエンスバーに行ってきました。お目当てはFacebookで写真を見て、何としても食べたーい!と思っていた「うにクリームの生パスタ」。 つくってくれるのはもちろん石巻日日新聞社長で、夜は
あたらしい石巻・体感リポート「ISHINOMAKI2.0」 iRyota25 2012.12.28 2 1,837 0 ▲「復興支援ベース」に戻る [プロローグ]石巻の街なかを歩いていると、いろいろな場所で「石」のマークを目にする。建物の壁やガラス窓にステッカーのように張られていたり、街ゆく人が手にしているブックレットに描かれていたり、Tシャツに大きくデザインされていたり。しか
明日を目指すお店リポート:石巻「被災ピアノを生き返らせるサルコヤ」 iRyota25 2013.01.22 2 3,828 0 2012年11月24日 石巻エリアの人ならみんなが知ってるお店だけれど、ちょっと不思議なネーミング。店先にお猿の太郎「さるっこ太郎」がいたからサルコヤ。楽器とおもちゃを取り揃える、子どもたちにも大人にも人気のお店。長寿猿の太郎はギネス申請中に津波で死んでしまったけ
東日本大震災・復興支援リポート 「雄勝硯の伝統を継承していく若い力」 iRyota25 2013.03.01 2 3,182 1 雄勝硯の伝統を受け継ぎ、町の再生を目指す、雄勝硯生産販売協同組合のお二人に話を聞きました。 1人目は小木曽誠さん。硯づくりの工人を目指す若手です。2人目は高橋頼雄さん。雄勝石の工芸アーティストであり、かつ組合の事業を引っ張るスタッフであり、さらに町の復活を目
東日本大震災・復興支援リポート 「被災地に広がる不思議な光景」 iRyota25 2012.12.03 2 1,859 0 ピラミッドのような山は何のため?(2012年11月21日) 新北上大橋の近く、針岡というあたりの田んぼで、こんな光景を目にした。 石巻市雄勝町から大川小学校の方へ向かう国道398号線。坂道を下っていくと小さなピラミッドのような土の山が無数に並ぶ。いくつあるのか数えるこ
東日本大震災・復興支援リポート 「女川の漁業に新たな動き」 iRyota25 2012.12.12 1 2,470 0 [プロローグ] あまりにも大きすぎる被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。震災前にはサンマの水揚げ高で日本一を争う常連だった漁港は、漁船が接岸できないほど破壊された。震災から1年9カ月が経過した現在、高級処置的な復旧で大型サンマ船が複数隻水揚げできるようにはなったが
東日本大震災・復興支援リポート「北上川沿いに残った大川小学校」 ockn1006 2013.04.16 1 2,955 0 北上川に架かる北上大橋から少し歩くと、円形の洒落た建物が見えてきます。空が広く、澄んだ空気と緑に囲まれた、とても良い立地に見えました。 3月11日、児童・職員121名のうち、84名が死亡または行方不明となった大川小学校。震災直後にやってきた大津波に対する児童・職員
海辺の地をゆく「石巻市・巻石」2012年11月17日 iRyota25 2013.01.24 1 2,496 0 2012年11月17日(618日目)の宮城県石巻市・巻石 石ノ森萬画館がある中瀬から、旧北上川の300メートルくらい上流に小さな中州があります。石巻の歴史の中で、中瀬が産業の揺籃(ゆりかご)だとしたら、こちらの中州は石巻という地名の由来となった場所。源義経の伝説も残る由
狐崎の定置網に期待ワクワク。 iRyota25 2013.07.12 1 2,171 0 マンボウが泳いでるの見たことありますか? 石巻の沖合でもクロマグロが獲れるのご存知ですか? 「牡蠣養殖のいろは」を教えてもらったり、ビーチクリーン活動「石巻海さくら」でお世話になったりしてきた狐崎浜の漁師さんたちが、日々の定置網漁の現場から獲れたて海の幸情報
【遺構と記憶】震災遺構の保存、地元と市民に意識の差 iRyota25 2015.12.25 1 4,026 0 鹿折の道を走っていると、どうしてもその船を目が探してしまう。もう解体されてから2年以上になるのに、どうしてなのかその船を探さずにはいられない。 あの日、渦巻く怒濤となって鹿折の町を呑み込んだ津波に乗って、何十艘もの漁船が町に流れ込んだ。巨大な漁船は津波ととも
復興・再生・新生「2013年のことば」近江弘一さん iRyota25 2013.01.09 0 2,230 0 2013年は、しくみやソフトに投資していく年。 もちろん「変化する力」で。2012年はハードへ投資してきた。次はソフト。コバルトーレ女川もそう。地域が未来に向かって変化し続けていくために、 人にソフトに投資していく。 近江弘一さん(宮城県石巻市)石巻日日新聞社代表取