機動力が売りの常総学院が1試合13盗塁『大量リードの中ここまで走る必要はあるのか』を考える ~第87回センバツ doraemon 2015.03.21 1 1,938 2 第3試合は茨城の常総学院と鳥取の米子北の対決。MAX143キロ、多彩な変化球の米子北の高橋晟一朗くんがどんなピッチングをするのか注目していました。 常総学院 011 211 062 |14 米子北000 000 010 |1 1回の表にピンチをしのいだ米子北は1回裏に1アウト2,3塁のチャンスを作るが
【シリーズ・この人に聞く!第31回】音楽で世界平和を広める 原田真二さん kodonara 2008.08.08 2 4,756 0 18歳でデビューし、「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、「シャドーボクサー」と3曲連続でオリコン入りを果たし、その才能を「早熟の天才」と評された当時。アイドル扱いに反発をしつつ、骨太なアーティストとして数多くの楽曲を作りづつけてきたミュージシャン。歌詞に
【シリーズ・この人に聞く!第87回】新生児医療改善のため活動する小児科医 加部一彦さん kodonara 2013.04.05 0 3,788 0 少子化というのにかかわらずなぜ今、小児科は不足しているのでしょう?今回ご紹介する加部先生は皇室の方々も出産される東京広尾の愛育病院の小児科の先生です。低体重をはじめさまざまな問題を抱えて生まれる赤ちゃんの命を救うためにNICU(新生児特定集中治療室)を全国各地
【シリーズ・この人に聞く!第112回】クラシックギターデュオ いちむじんさん kodonara 2015.05.08 0 3,720 0 高知県出身のイケメンデュオ。彼らが奏でるギターは、既存のギターのメロディを超えた魂を揺さぶる何かがあります。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でエンディング曲を担当してから世界を舞台に飛躍を遂げています。彼らがどんな幼少期を過ごし、これから何を目指しているのかお聞き
【シリーズ・この人に聞く!第92回】核兵器のない平和の尊さを世界へ向けて発信する 広島平和記念資料館長 志賀賢治さん kodonara 2013.09.06 0 4,164 0 広島に原爆投下されてから68年の歳月が経ちます。多くの人の命がここで失われたことは決して忘れてはいけない、伝えていかなければならない悲劇です。修学旅行の生徒をはじめ海外からの観光客も毎年たくさん訪れる広島平和記念資料館。今回登場頂く志賀さんは今春ここの新館長
学徒出陣の記念碑 ~戦争の記憶を未来に~ iRyota25 2014.01.17 3 4,806 0 2020年、東京オリンピックのメイン会場となる国立競技場の敷地内に、「出陣学徒壮行の地」との石碑が建てられている。第二次世界大戦(太平洋戦争)最中の昭和18年10月21日、かつてこの地にあった明治神宮外苑競技場で、学業半ばでペンを剣に持ちかえて戦地へ赴くこととなった
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月21日) iRyota25 2013.03.21 0 2,027 0 2013年3月21日 世界中の人に伝えたいこと 知り合いが海外で震災についてのワークショップに参加することになって、被災した地域の人たちの感情や気持ちを表現する言葉をたくさん教えてと頼まれた。「その時、どんな状況で、どんなことを思ったのか」を共有するのが目的だとい
東北の友人たちが言うことには。その8「爆心地」 iRyota25 2013.05.28 2 1,696 0 ▼ 石巻2.0の松村豪太さんがいまも書き続けているブログには、タイトルとしてこんな言葉が使われている。 「爆心地から」 石巻2.0の活動の端緒となった小冊子『VOICE VOL.0』のインタビュー記事には、松村さんの中に爆心地という言葉が浮かんだ経緯が次のように記されている。
明日を目指すお店リポート:女川の出会いの空間「おちゃっこクラブ」 iRyota25 2013.01.31 8 3,136 4 女川の港を眺めながら、おいしいコーヒーをいただけます 津波で大きな被害を受けた女川にある「出会いのスペース」をご紹介します。場所は町なかにまるでお城のようにそびえる女川町立病院(女川町地域医療センター)の駐車場。お店の名前は「おちゃっこクラブ」。このお店の
ヒロシマからの道「会うことのなかった父親の形見」 iRyota25 2016.04.11 3 4,501 0 「被爆した最後の館長」と呼ばれる畑口實さん(70歳)のお父さんの懐中時計とベルトのバックルは、いま広島平和記念資料館(原爆資料館)に展示されています。 文字盤が読めないほど焼け焦げた懐中時計 展示の説明書きには、簡潔に次のように記されています。 懐中時計とバッ
【復興支援ベース】笑顔の奥にある涙。まなざしの先にある希望。復興100年を見つめます iRyota25 2012.12.25 31 112,248 0 復興支援リポート 復興支援リポート一覧 復興住宅への入居が始まりました、とニュースで見ると「あぁ良かった」と安心できる。でも完成した住宅は町に1つか2つだけ。たしかに変化は大きいが、被災の現実はますます見えにくくなっている。 2016年3月11日(金) ~今朝の私の気持
東海大相模、両エース登場! ~東海大相模vs聖光学院 【97回甲子園】 doraemon 2015.08.13 1 2,357 0 昨日の第1試合は優勝候補、神奈川の東海大相模と福島の聖光学院の対戦でした。 この優勝候補の東海大相模の相手は9年連続12回目の出場の聖光学院。この9年連続は戦後の連続出場の記録です。 連続記録は決して順風満帆にスタートしたわけではありませんでした。 聖光学院は初出
プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める! doraemon 2015.06.26 0 3,445 0 プロ野球の長い歴史の中で最強の助っ人外国人っていったい誰だろう。チーム別に振り返ります。いろいろ懐かしい名前が出てきますよ!次回はいよいよ最終回、No.1助っ人外国人が決定します! プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その12】~近鉄 2015/05/09 プロ野球歴代助
動けるうちは動きましょう 前へ、前へ進むのみ。(2011年11月17日) iRyota25 2013.01.21 2 6,318 0 3月11日14時46分18秒。東北地方太平洋沖地震が宮城県牡鹿半島沖で発生した。牡鹿半島の付け根に位置する女川町は、震源から最も近い町のひとつだった。石田志寿恵さんのお宅があった女川町清水地区は、海岸から1kmほど内陸に入った住宅地。1960年のチリ地震の津波でも被害
バットにかすっただけで球場がどよめいた。江川卓はどれほどすごかったのか。江川卓怪物伝説1 doraemon 2015.05.16 5 5,986 2 おそらく『すごかった』としか知らないであろう、今の子どもたちに江川卓は『こんなにすごかったんだ』ということを伝えたくなりました。 とは言っても、実を言うと私自信が知っている江川卓も背番号30、ジャイアンツの江川卓だけなんですが。。。^^; 高校時代の江川卓を実際
背番号55を取り戻せ!プロ7年目、大田泰示の『今年こそ』 doraemon 2015.05.14 3 2,056 0 ゴールデンウィーク中は子どもたちがたくさん球場に野球を見にきます。 将来プロ野球選手を目指して頑張っている少年たちにいいプレーを見せようと選手もいつも以上に気合が入ることでしょう。 しかしジャイアンツはマツダスタジアムで3タテを食らってしまいました。 5/4はあ
東日本大震災・復興支援リポート 東日本大震災で何が起こったのか。 宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声(2012年2月17日) iRyota25 2013.01.10 2 5,632 0 春のセンバツに21世紀枠として出場した石巻工業高校野球部の松本嘉次監督、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市総務部地域コミュニティ課の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川の選手兼ユース監督で地域担当も務める檜垣篤典さん。それぞれの立場で震災をくぐり抜けて
プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その12】 doraemon 2015.05.09 5 7,193 2 球団別のNo.1はいよいよこれがラスト。最後は近鉄バッファローズ。 子どものころの近鉄の帽子やユニフォームはなかなかかっこよかった。帽子は猛牛マークでこれまたかっこいい。被っている友達もけっこう多かった。 近鉄は1950年に近鉄パールズとしてチーム発足。ここから1968
【広島対巨人】プロとしてあまりにも恥ずかしいプレー。誰ひとりヒーローはいないサヨナラ勝ち。 doraemon 2015.05.05 5 3,663 4 昨日の広島対巨人戦であまりにも情けないというか、こっちが恥ずかしくなるような事件が起きた。 2-2の同点で迎えた9回裏の広島の攻撃。1死満塁。代打小窪の打球はピッチャーとキャッチャーの間に上がったフライ。 このフライを取りに行った一塁手のフランシスコと三塁手の村
県大会観戦記 絶対に点を取られてはいけない場面での守備を考える 浜松商 対 常葉橘 ~準々決勝 doraemon 2015.05.03 1 2,997 0 草薙球場第2試合は西部5位の浜松商業と中部2位の常葉橘の対戦でした。 3塁側の応援席から常葉橘の1塁側応援席へ移動しました。 常葉橘は毎年プロのスカウトが注目するような絶対的エースがいます。2009年には広島カープにドラフト4位で入団した庄司隼人、亜細亜大に進学した高
プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その11】 doraemon 2015.05.01 2 3,620 0 プロ野球の帽子。昔はいたってシンプルなものが多かった。ヤクルトスワローズのYとSの組み合わせたものや南海ホークスのNとHの組み合わせはシンプルながらも妙にかっこよく見えたものだ。 残念ながら巨人のYとGの組み合わせはあまりカッコよく見えなかった。。。 子どものころ
息子へ。被災地からのメール(2012年11月29日) iRyota25 2012.12.03 0 1,506 0 石巻駅からそう遠くない中心商店街のとある小さな路地。厚い扉を開いて階段を登りつめると、そこは隠れ家のような別世界がありました。広くはないが落ち着いた雰囲気の店内から、「いらっしゃいませ。お越しいただいてありがとう」と奥さんの声。お店の空気と一体になったよう
プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その9】 doraemon 2015.04.11 3 5,457 0 愛甲猛の甲子園が自分の甲子園の記憶の中でおそらく一番古い。愛甲という名前といい、投げ方、顔もカッコよく見えた。 その年、愛甲はドラフト1位でロッテオリオンズに入団した。 『なんだ、ロッテか…』子どもながらにこんな気持ちになったのを覚えている。 今回はそのロッテ
バウムクーヘンに焼きこまれた物語[ドイツと日本・戦争・原爆ドーム・震災・空襲・そして変わらぬ美味しさ] iRyota25 2016.03.25 12 3,876 0 「ドイツ菓子の王様」と呼ばれるバウムクーヘン。日本で最初に焼いたのはユーハイムの創始者でドイツ人のカール・ユーハイム。彼と彼の妻エリーゼ、そして彼らが作り続けてきたバウムクーヘンには、日本とドイツ、そして20世紀の歴史を映し出す物語があるのです。 ユーハイム
第五福竜丸展示館に収められた「ものがたり」 iRyota25 2016.03.01 2 6,128 0 東京新木場駅から徒歩で約15分。スポーツ施設やマリーナ、植物園などが設置された夢の島公園の一角に第五福竜丸展示館はたっている。ミクロネシアの住居のようにも、あるいは船を逆さまにして伏せたようにも見える存在感のある建物だ。外壁は鋼板張りで、表面の赤錆の微妙な色