「ドイツ菓子の王様」と呼ばれるバウムクーヘン。日本で最初に焼いたのはユーハイムの創始者でドイツ人のカール・ユーハイム。彼と彼の妻エリーゼ、そして彼らが作り続けてきたバウムクーヘンには、日本とドイツ、そして20世紀の歴史を映し出す物語があるのです。
ユーハイムのホームページには、カールとエリーゼ、2人の創始者の言葉が記されています。
カール・ユーハイム
純正素材がおいしさの秘密
Exquisiter Geschmack durch feinste Zutaten
一切れ一切れをマイスターの手で
Stück für Stück von Meisterhand
革新が伝統を築く
Tradition durch Innovation
エリーゼ・ユーハイム
お母さんの味、自然の味
Natürlicher Geschmack wie bei Muttern
身体のためになるから美味しい
Wohlschmeckend weil gesund
小さく、ゆっくり、着実に
3S(small, slow, steady)
1909年、創始者カール・ユーハイムは中国青島で「ジータス&プランベック菓子店」を譲り受けて独立します。
1914年、第一次世界大戦に連合国側で参戦した日本は、当時ドイツの支配下に合った中国の青島を攻撃・占領。
1915年、カール・ユーハイムは捕虜として日本に連行され、以後5年に及ぶ捕虜生活を余儀なくされます。
1917年、大阪俘虜収容所に収監されていたカール・ユーハイムたちは広島市にあった似島検疫所に移されます。
1919年、カール・ユーハイムは日本で初めてバウムクーヘンを焼きました。場所は広島県物産陳列館、現在の原爆ドームです。
1922年、カール・ユーハイムは日本への永住を決意。横浜・山下町で「E・ユーハイム」を開店。「E」は妻エリーゼのイニシャルから採られたものです。
1923年、しかし関東大震災によってE・ユーハイムは焼失。神戸での再起を期して三宮にお店を開きます。ユーハイムは神戸の外国人たちに人気のお店となり、バウムクーヘンやマロングラッセなどの菓子は、百貨店でも売られるようになります。
1941年、太平洋戦争勃発。
1945年、神戸大空襲でユーハイムの工場は稼働できなくなります。カールとエリーゼは六甲山ホテルに避難しますが、カールは第2次世界大戦が集結する前日、8月14日に病気で亡くなります。カールを見とったエリーゼは戦後、GHQによってドイツに強制送還されてしまいました。
1948年、ユーハイムに勤務していた日本人3人の手でユーハイムは復活への道を歩み始めます。
1953年、エリーゼは日本に戻り、ユーハイムの経営に復帰。エリーゼは死ぬまで日本にいると宣言し、1971年に神戸で亡くなりました。
以上、ユーハイムのホームページと、Wikipediaの日本語ページの内容をもとに作成しました。
カールの言葉からは、生粋の職人気質が伺えます。エリーゼは母の慈愛に満ちた人柄だったのでしょう。そんな2人が20世紀の歴史の中で翻弄されながら、ドイツ、中国、日本の広島、横浜、神戸に足跡を残しながら生きた。
きめ細やかなバウムクーヘンの1層1層には、カールとエリーゼの生き様や、店の再建に力を尽くした人たちの息吹が焼き込められているかのようです。
カールとエリーゼ、そしてユーハイムの歩みについては、これからも調べて行きたいと思います。
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