バットにかすっただけで球場がどよめいた。江川卓はどれほどすごかったのか。江川卓怪物伝説1

doraemon

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おそらく『すごかった』としか知らないであろう、今の子どもたちに江川卓は『こんなにすごかったんだ』ということを伝えたくなりました。

とは言っても、実を言うと私自信が知っている江川卓も背番号30、ジャイアンツの江川卓だけなんですが。。。^^;

高校時代の江川卓を実際に何度か見たという私の知り合いから数年前に聞いた話と、私自身で調べたものを少しまとめてみました。

江川卓氏はご存知の通りよくしゃべる。細かく分析してピッチャーの目で理論的にいろいろなことを言います。でも桑田なんかと比べると、どうも『おいおい!それホントかよ~!?』なんて思ってしまうこともけっこう多いって思うのは私だけでしょうか。。。^^;

もちろん、なるほどって思うこともたくさんありますけどね。。

『怪物』と呼ばれた江川卓。彼を一番速いという人も少なくない。
「高校時代が一番速かった」「バットに当たらなかったのは江川だけ」などいろいろな伝説があります。では実際どれくらいすごかったのでしょうか。


福島県で生まれた江川は中学2年生までは静岡県に住んでいました。
江川少年は天竜川に向かって平たい石を投げているときに、石を空気に乗せると浮き上がるということを発見し、それ以来、野球のボールにもいい回転を加えることでボールは絶対に浮くと信じ続けたといいます。

江川伝説の始まり。しかし何をしても『江川江川』に次第にチームはバラバラに

栃木県に引越した江川は作新学院に入学しました。

江川はマウンドに立ったとき、まず考えるのは完全試合でもノーヒットノーランでもなく、『27個のアウトをすべて三振で取ること』だったのです。とにかく三振というものに強いこだりを持っていたんですね。

江川は1年生の夏の大会からエースとして投げていましたが、あと一歩というところで甲子園出場を逃し続けていました。

2年の夏が終わり新チームで迎えた最後の秋の大会。栃木県大会、関東大会と1点も取られず110イニング無失点というとてつもない記録を打ち立ててセンバツ出場を決めました。

怪物と騒がれながらも江川が甲子園のマウンドに立ったのは意外なことに3年生になったセンバツが最初でした。

そしてそのセンバツでは準決勝で1-2で広島商に惜敗。甲子園では29イニング目に初めて点を取られました。4試合ながらも60個の三振を奪った江川は今でもセンバツの記録になっています。

センバツが終わり地元に戻るとまわりは江川江川と騒ぎ立てます。マスコミは江川を追いまわす。勝てば江川すごい、負ければまわりが打たないから。。。そう書かれては選手たちはおもしろいわけがありませんね。

江川はまわりに気をつかっていたようですが次第にチームワークは悪くなっていきました。

オレの一番好きな球投げてもいいか?

そして高校3年最後の夏、栃木県大会5試合を3つのノーヒットノーラン、140イニング無失点で甲子園出場を決めました。ここまでくると、バッターのレベルがとか言っている場合じゃないですね。ただただ江川がすごいだけです^^

そして作新学院対銚子商業の甲子園2回戦。今でも高校野球ファンの間ではよく語られる試合です。雨にもかかわらず甲子園球場は56,000人の大観衆で埋め尽くされました。試合は両者譲らず0-0のまま延長戦に突入。この日の江川はここまで銚子商打線に対して3つしか三振を奪っていませんでした。

そして延長12回裏、1死満塁カウント2-3の場面で江川はナインをマウンドに集めます。

ここで江川は『オレの一番好きな球投げてもいいか?』とナインに問いかけます。

このころの作新学院はマウンドの江川に声をかける選手もいなければマウンドに集まることもなかったといいます。チーム状態は最悪だったようですね。
江川は『ふざけるな!』と反対されると思っていたようですが、

『ここまでこれたのはお前のおかげだ。好きなボールを投げろ。』と言われました。

バラバラになった作新ナインが最後の夏に一つになった瞬間でもありました。

激しい雨の中、江川が投げた169球目は投げた瞬間にわかる『ボール』
押し出しで江川の最後の夏はあっけなく終わりました。

1973年8月16日 2回戦
-------------------------------------------作新学院 000 000 000 000 | 0
銚子商業 000 000 000 001X | 1
-------------------------------------------

作新学院の江川卓投手は銚子商戦で延長12回押し出しのフォアボールでゲームセット=73年
作新学院の江川卓投手は銚子商戦で延長12回押し出しのフォアボールでゲームセット=73年

koshien.mainichi.jp

【おまけ伝説】信じられないような作戦を必死で練習した!

当時の江川から1点を取ることがどれほど難しかったかわかりやすいエピソードがあります。
下の図は実際に江川から何とか1点を取るために、とある高校が真剣に練習したとされています。

1. 何とかノーアウトか1アウト2,3塁というケースを作る。(これが難しくないかい?)
2. 打者はスクイズをわざと失敗する
3. 3塁ランナーはわざと挟まれ、大きく内側に走り込む
4. キャッチャーはランナーを追いかける
5. その間に2塁ランナーがホームをつく
6. これで1点!

それほど江川から点を取ることは難しかった!
それほど江川から点を取ることは難しかった!

何とも笑ってしまうような作戦ですが、あの広島商業が実際にこの練習を真剣に行っていました。

それほど江川から点を取ることが難しかったということなんでしょうね^^;

このときの広島商業には、あのミスターカープ?達川がいました。

わたしが思うこと

スピードガンがなかった時代、江川のボールは何キロ出ていたかわかりません。
『150キロ後半!』『いやいや160キロ出ていた』なんて言う人もいます。

今までに甲子園で150キロ以上のボールを投げたのは20人。
最初に150キロを投げたのは横浜高校の松坂大輔。一番新しいところではセンバツに出場した県岐阜商の高橋純平くん。菊池雄星や寺原隼人、安楽も速かった。

しかし同じ高校生が当てることすらほとんどできかかったのは江川だけでしょう。

江川のボールは相当なものであったことは間違いないでしょうね。160キロなんて言う人もいましたが、時代が違うだけに、もしかしたら数字的にはそんなに出ていなかったのかもしれません。しかし数字じゃないんですよね。

江川本人も言っているように、ボールの回転、キレがバットに当てさせなかったのだと思います。でもそれでいいんですよね。たとえ160キロ出ていても当てられるストレート、数字ほど速く見えないストレートなんかよりも、140キロ台だとしてもボールの回転でバッターからはホップするように見えてなかなか当てられないストレートの方がよっぽど価値があるのですから。

甲子園で20勝したPL学園の桑田真澄、「平成の怪物」と言われた横浜高校の松坂大輔は甲子園11勝0敗。他にも甲子園を沸かせた選手はたくさんいます。

しかし、たった4勝でも江川卓ほど甲子園に爪跡を残した選手はいないのではないでしょうか。

江川卓・高校時代成績
江川卓・高校時代成績

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  • 5

    51mister

    江川の甲子園はTVで見てました。甲子園デビューの北陽戦での初球の投球で甲子園がどよめいたのは、当時あまりにもすごい記録を引っ提げていた江川に対し、栃木県の高校野球のレベルが低いから達成できた記録と懐疑的なところもあったせいだと思います。実際は関東大会でもとんでもない投球をしています。甲子園での江川の投球を見たことがある人は、その後松坂を見た時に、江川ほどではないなと思ったのではないでしょうか。プロ入り後は、一軍デビューの前にイースタンのトーナメント戦で初登板しました。この試合を後楽園球場で観戦していました(二軍戦なのに超満員)。ことわざにあるように、私の開いた口が塞がらなかった瞬間でした。同時に高校の時のが速かったなという印象も受けました。引退してから明かしてますけど、法政大学時代に肩痛めちゃってるんですよね。作新学院時代のチームがバラバラは、当時でも有名な話でしたが、実際に江川が一人で投げて打ってのチームでした。他の選手は甲子園レベルではなかったでしょう。松坂の横浜高校時代のメンバーは、かなりプロ入りしています。このあたりの事情が原因でしょう。

    • D

      doraemon

      甲子園デビューの北陽戦も江川伝説の1つですよね。4回ツーアウトまでアウトが全部三振。すごすきです^^この先こういう選手は現れるでしょうか。。って、いったい何キロ出てたらこうなるのって感じです。

      江川以外→甲子園レベルではない→打てない→江川ばかりと怒る
      江川→怪物→投げてよし、打ってよし→マスコミに騒がれる→チーム崩壊
      江川は悪くないですよね^^;

      明日は日大三島の小澤くんを見にいきます!