原発ディベート iRyota25 2013.10.17 1 2,150 0 僕は原発再起動に反対で、できるだけ早くすべての原発を廃炉にした方がいいと考えてきた。原発事故という現実を目の当たりにしてしまった現代の人間が、10万年後の未来(つまり、西暦102013年。1世代を仮に30年くらいとすると3000世代も先の子孫の時代だ)に負担を強いるとい
10月1日という日 Rinoue125R 2013.10.07 1 1,946 0 2013年の10月1日 第2次安倍内閣が、2014年4月からの消費税率「8%」の方針を固める。 消費税引き上げにより約8兆円の税収増が見込まれるとされるが、同時に総額5兆円規模の経済対策も打ち出された。 焦点となっていた復興特別法人税の廃止前倒しは、年末まで議論が延期される。
【シリーズ・この人に聞く!第92回】核兵器のない平和の尊さを世界へ向けて発信する 広島平和記念資料館長 志賀賢治さん kodonara 2013.09.06 0 4,163 0 広島に原爆投下されてから68年の歳月が経ちます。多くの人の命がここで失われたことは決して忘れてはいけない、伝えていかなければならない悲劇です。修学旅行の生徒をはじめ海外からの観光客も毎年たくさん訪れる広島平和記念資料館。今回登場頂く志賀さんは今春ここの新館長
9月3日という日 Rinoue125R 2013.09.04 3 1,572 0 2013年の9月3日 阿部首相、総理官邸で開催された原子力災害対策本部の会合で「福島第一原発の廃炉を実現できるか否かを世界中が注視している」と発言 廃炉には30年かかるとか、いや40年以上だとこれまで語られてきた話は、 「廃炉が可能である」ことが大前提だった。 この日の
8月15日という日 Rinoue125R 2013.08.15 2 1,844 0 終戦の日 1945年、昭和20年8月15日、 日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言の受諾を表明する「終戦の詔勅」(大東亜戦争終結ノ詔書)が、玉音放送として国民に伝えられた。 終戦の詔勅は前日の御前会議(天皇が出席し重要な国策を決する会議)でポツダム宣言の受諾が最終的に
8月9日という日 Rinoue125R 2013.08.09 1 1,772 0 2013年の8月9日 2013年、68年目の11時02分、静岡県三島市でも黙祷のためのサイレンが流された。 11時02分、長崎市浦上。上空約500m プルトニウムをサッカーボールのような形の爆薬で包んだファットマンと呼ばれた原子爆弾の中で、正確に均一に冥界の王を圧縮するように爆縮が
原爆とははどんなもの Rinoue125R 2013.08.06 2 2,181 0 2013年8月6日。広島に原爆が投下されてから68年がたった。 しかし、原爆というものそれ自体が、いったいどういう物なのか、自分でも意外なほどわかっていないことに気づいた。以下は、調べてみたことの簡単な覚書きである。 広島型原爆・リトルボーイ・TNT火薬1.5万t 1945年8
8月6日という日 Rinoue125R 2013.08.06 3 2,339 1 2013年の8月6日 ●広島で平和祈念式典~28万6818人の原爆死没者名簿~ 広島に原爆が投下されて68年となる原爆の日、広島市の平和公園で平和祈念式典が行われた。 この1年間に亡くなられた方、新たに死亡が確認された方、5859人の名前が書き加えられた28万6818人の原爆死没者名
放射線は怖くない (3) suyasuya 2013.07.23 1 1,407 0 放射線の効用 目に見えない、わかりにくい放射線ですが、その特性を生かして社会に大きく貢献しています。 医療の分野では、透過力を生かしてX線、CT検査に用いられ、これをなくして現代医学は考えられないほど診察の基本となっています。高エネルギーを生かした放射線療法に
戦争の記憶を風化させないための活動(1) Rinoue125R 2013.05.30 3 2,877 0 父の話をしよう。 父は昭和が始まった数カ月後、福岡県の小倉市(現:北九州市)に生まれた。そして、平成が始まってから数年後、事故により他界した。ほぼ、昭和という時代をまるごと生きて、亡くなっていったわけだ。自分の父親ながら、頭脳明晰なひとであった。料理の上手
東北の友人たちが言うことには。その8「爆心地」 iRyota25 2013.05.28 2 1,696 0 ▼ 石巻2.0の松村豪太さんがいまも書き続けているブログには、タイトルとしてこんな言葉が使われている。 「爆心地から」 石巻2.0の活動の端緒となった小冊子『VOICE VOL.0』のインタビュー記事には、松村さんの中に爆心地という言葉が浮かんだ経緯が次のように記されている。
ガレキと呼ばないで(時計) iRyota25 2013.05.10 6 9,193 1 被災した地域に行くと、いまでも時計を見つけることがよくあります。 女川町(2012年11月19日) 女川の町なかと石巻を結ぶ女川街道のすぐ近くに残されていた時計です。 震災から1年8か月後。建物の解体や撤去が進んだ女川町でも、こんな生活の遺産が見られました。 「時」を示
【シリーズ・この人に聞く!第87回】新生児医療改善のため活動する小児科医 加部一彦さん kodonara 2013.04.05 0 3,785 0 少子化というのにかかわらずなぜ今、小児科は不足しているのでしょう?今回ご紹介する加部先生は皇室の方々も出産される東京広尾の愛育病院の小児科の先生です。低体重をはじめさまざまな問題を抱えて生まれる赤ちゃんの命を救うためにNICU(新生児特定集中治療室)を全国各地
新しい石巻を実感 「石巻に住んで活動する竹内久古さん・古里裕美さん」(前篇) iRyota25 2013.02.14 3 3,865 3 今回の取材のお題は「石巻に住みついて活動しようと思ったきっかけを教えてください」。 登場してくれた竹内久古さん・古里裕美さんのお二人は、NPO法人「On The Road」のボランティアスタッフとして石巻に入り、団体としての活動を終了された後も個人としてそのまま石巻に住
自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。いますぐにでも戻りたいけれど、それができない(2011年11月27日) iRyota25 2013.01.21 2 3,205 0 福島県からは6万人を超える人々が県外へ避難し、見ず知らずの土地で生活しています。夫の実家の家族、妹家族も含め3世帯で静岡県浜松市で避難生活を送る川里女久美(めぐみ)さんもその1人。NPO法人伊豆どろんこの会が静岡県内への避難者支援のために開催した「伊豆の秋は
東日本大震災・復興支援リポート 東日本大震災で何が起こったのか。 宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声(2012年2月17日) iRyota25 2013.01.10 2 5,630 0 春のセンバツに21世紀枠として出場した石巻工業高校野球部の松本嘉次監督、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市総務部地域コミュニティ課の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川の選手兼ユース監督で地域担当も務める檜垣篤典さん。それぞれの立場で震災をくぐり抜けて
スミソニアンの国立航空宇宙博物館へ行こう! Kazannonekko452 2012.06.14 1 1,733 0 ナショナルモールにあるスミソニアン協 会の本部。遠くにワシントンタワーも 美しい緑の公園にそびえるワシントン記念塔のオベリスク。森の木々の向こうに見える白亜の建物。リフレクティング・プールの向こうに鎮座するリンカーン記念館。議会議事堂やホワイトハウスが立ち並
【シリーズ・この人に聞く!第76回】内部被曝の脅威を説き続ける被曝医師 肥田舜太郎さん kodonara 2012.05.07 0 5,643 0 肥田舜太郎さんは2017年3月20日にご病気のためご逝去されました。 謹んでご冥福をお祈り致します。この記事は2012年3月に取材致しました。 じわじわと命を蝕む低線量被曝の恐怖。広島で軍医として赴任中に被曝してから、2009年3月に医師を引退するまで6000人以上の被爆者を診
【シリーズ・この人に聞く!第65回】映画「TAKAMINE」で熱演 元祖イクメン俳優 長谷川初範さん kodonara 2011.06.03 0 3,659 0 3.11に東北関東大震災が起こり日本は今、国難に遭遇しています。今から120年ほど遡ること明治時代に私利私欲を捨てモラルを重んじた科学者高峰譲吉の自伝を描いた壮大な物語が映画化され今夏公開します。主人公・高峰を演じる長谷川初範さんは元祖イクメン。しっかり子育てを
【シリーズ・この人に聞く!第31回】音楽で世界平和を広める 原田真二さん kodonara 2008.08.08 2 4,748 0 18歳でデビューし、「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、「シャドーボクサー」と3曲連続でオリコン入りを果たし、その才能を「早熟の天才」と評された当時。アイドル扱いに反発をしつつ、骨太なアーティストとして数多くの楽曲を作りづつけてきたミュージシャン。歌詞に