息子へ。被災地からの手紙(2013年4月17日) iRyota25 2013.04.18 2 1,852 0 2013年4月17日 宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館 気仙沼港の岸壁では、オイルフェンスのようなものが張られて(たぶん地上から汚れが海に流れ出さないようにしているのだろう)、埠頭の工事が進んでいた。その手前には工事の進展を待っている被災した岸壁。 港の岸壁って、
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月24日) iRyota25 2013.08.25 2 3,798 0 浜松からフクシマへ 夜明け前の山の上に鉄塔が孤独に立っていた。 夜行バスが目的地に近づくにつれて、常磐自動車道を走るバスの右手遠くには、うっすらと朝焼け。 そして左手には、闇につながる蒼く深い空から、ひとつ、またひとつと、孤独な鉄塔が窓の向こうに現れる。 高圧
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月12日) iRyota25 2013.03.15 2 1,782 0 2013年3月12日 宮城県石巻市 石巻人たちの「言葉へのこだわり」から見えてくる生きざま。 石巻で際立つ活動をしている人から、言葉の使い方について教わることがよくある。 たとえば「できるだけやる」と「できることをやる」の違い、わかるかな。これは「がんばろう!石巻」
息子へ。被災地からの手紙(2013年5月31日) iRyota25 2013.06.06 2 1,726 0 2013年5月31日 東京 ▼ 金曜日の夜の東京の街なかを通って、東北へ向かった。 終電前の時間帯。渋谷も新宿も、相変わらず夜遅くまで人通りが絶えない。街灯、ネオン、水銀灯、自動車のヘッドランプ…。街は光であふれている。 駅と繁華街のあいだを流れていく人波を見ながら、こ
息子へ。被災地からのメール(2012年12月23日) iRyota25 2012.12.31 2 1,606 0 12月23日 石巻街なか あたりが暗くなりはじめるとともに降りだした雪が、街をうっすらと覆い始めた頃、石巻の街なかのアートスペースに元気のいい二人連れが駆け込んでくる。 「あ、やっぱりそうだ!」と一人が小さく叫ぶように言う。 「雪が降ってきたけど、私、今日、とって
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,658 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販
息子へ。被災地からのメール(2013年2月3日) iRyota25 2013.02.03 2 1,952 1 2013年2月3日 宮城県女川町・石巻市 約1週間の東北から帰って来て、今日はちょっとだけお金の話をしよう。 女川で事業を新たにおこした人が、地元の方を雇おうとパート募集のチラシをポスティングしていた頃のお話。 「応募してくれた人たちの仮設住宅にお邪魔すると、どちら
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月11日) iRyota25 2013.08.16 2 2,032 0 南三陸から灼熱猛暑の石巻へ ほぼ1週間前にも石巻にいたんだから断言できる。 川開きまで、まるで梅雨寒のように、もう初秋になったかのように、寒かった石巻に、 夏が来た。 南三陸から北上川沿いを走り、大川小学校に立ち寄った頃には、クルマの中にいても汗が噴き出すよう
息子へ。被災地からのメール(2013年1月27日) iRyota25 2013.02.05 2 1,689 0 2013年1月27日 宮城県石巻市 初めて会った人には、こんな風に取材をお願いしすることがある。 「被災された土地の人たちの声を、できるだけていねいに、そして継続的にお伝えしたいと考えているんです。東京とか外の人たちの間では、震災の記憶がどんどん風化していると思うん
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月3日) iRyota25 2013.06.12 2 1,666 0 2013年6月2日 岩手県陸前高田市 陸前高田の町なかは、ほんとうに建物がほとんどなくなってしまって、まっ平らになった。ランドマークがほとんどなくなったせいで、クルマを走らせていて道に迷ってしまう。実際に、道を間違えて、舗装が剥がされたままの砂利道の一本道を延々走
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月19日) iRyota25 2013.07.25 2 2,708 0 岩手県陸前高田市 小学校の校舎が簡易宿泊施設になった二又復興交流センター 陸前高田の町はいま、夏草に覆われた広い平坦地になっている。建物は数えるほどしか残っていない。かなしいほど見晴らしが良くなった町を工事車両など町の再建を進める車両が走り回る。高田の町の平
息子へ。東北からの手紙(2014年6月11日) iRyota25 2014.06.12 2 1,607 0 今日は11日。あれから3年3カ月 祈るしかできないから、祈ります。 あれから3年の時間が流れ、さらに3カ月がたった日。ブログやフェイスブックにはたくさんのコメントが上げられていた。 自分のことみたいにうれしかったひとつがこの記事。がんばろう石巻の会さんの記事。 6月7
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月23日) iRyota25 2013.08.25 2 1,590 0 第43回全国中学校バスケットボール大会(静岡県浜松市) バスケの試合を生で見るのは初めてだったけど、女川中学女子バスケの第一試合を見ただけで、バスケの魅力に引き込まれた。 試合開始直後は劣勢だった。ボールが手に着いていない感じだった。相手の攻撃パターンは決まり
目の前にあって、手で持っているからコントロールできる iRyota25 2014.04.11 2 1,494 0 息子へ。東北からの手紙(2014年4月11日) 桜の花びらが散っていく中、今週から朝の電車に新1年生(高校1年生)が増えた。 それにしても、どうして新1年生って一目で分かるんだろう。ピカピカの制服、同じ電車に乗ることになったクラスメートとのお喋りの微妙な距離感とかもそ
息子へ。被災地からのメール(2012年12月2日) iRyota25 2012.12.04 2 1,843 0 「宿題はちゃんと終わらせたの?」 そんな声を振り払うようにして2人で歩いて行ったのは、前夜の夢の中にあった石巻の町ではなくて、伊豆の国市古奈のレストラン・アクアサンタ。パティオを通りぬけてレストランに入ったら、オウミさんが「おう!」っと声をかけてくれた。 「
息子へ。被災地からのメール(2013年2月1日) iRyota25 2013.02.07 2 1,475 1 2013年2月1日 宮城県石巻市 今日取材した勝さんって、キリリと涼しげで整った切れ長の目をしている人なんだよね。話をしていると、知性とか優しさとかがその目を通して伝わってくる。だけど、11月に会った時に感じたんだけど、写真に撮ると目の表情がふにゃっと笑ったようにな
海辺の地をゆく「楢葉町・山田浜周辺」2013年3月7日 iRyota25 2013.03.27 2 3,220 1 2013年3月7日(震災から728日目)の福島県双葉郡楢葉町。山田浜から山田岡の周辺 かつてゲートがあった場所、Jヴィレッジ。サッカーの聖地は原発事故から日本を守る最前線になりました。警戒区域が縮小された今も、Jヴィレッジ周辺には緊張感が張りつめています。(警察車両や
息子へ。被災地からのメール(2012年12月1日) iRyota25 2012.12.04 2 1,603 0 こんな夢を見た。駅に向かって歩きながら、いつも左に曲がる路地を右に曲がったら、目の前には日和山へ向かうなだらかな道が続いていた。道の両側には石巻の商店街。電気屋さんのおじさんが笑っていたり、ヒマワリのお姉さんが自転車で疾走してしていったり。サルコヤ楽器店の
息子へ。東北からの手紙(2013年10月23日)中越地震から10年 iRyota25 2014.10.24 2 2,204 0 中越地震から10年。ネットでは「亡くなられた68人の方のご冥福を祈ります」というコメントがたくさん発信されていた。 宮城県石巻市にある「がんばろう!石巻」看板の黒澤さんは、この日、次の短いコメントを上げた。 「石巻でもあっという間に10年がたつのかな。」 震災から
3月11日の光景。「がんばろう!石巻」追悼の集い iRyota25 2013.03.18 2 4,991 1 東日本大震災から2年。 3月11日。 あの日から731日。 見渡す限り建物が消えた門脇の町を、冷たい風が吹き抜けていきます。震災で亡くなられた方は、震災関連死も含めると1万8185人。いまもなお2668人が行方不明のままです。 いまから731日前のあの日。ここは、押し寄せる津波
息子へ。被災地からのメール(2013年1月31日) iRyota25 2013.02.01 2 1,969 1 2013年1月31日 宮城県女川町・石巻市 「口はね、食べるためだけにあるんじゃないの。しっかりしゃべらないと」 女川町の清水仮設住宅に住んでいる石田志寿恵さんが雑談の中でそんな言葉を語った。取材した話をページにレイアウトして、文章の内容や写真について相談しにおじゃ
息子への手紙(2015年11月6日)北九州、高齢化の町の将来 iRyota25 2015.11.07 2 2,212 0 今日は「東北からの手紙」ではなく、福岡県北九州市からの手紙だ。 アドベンチャーみたいな交通事情 レンタカーを借りて小倉(おぐらではなく「こくら」)の町を久しぶりに走って、今回気づいて驚いたことがあった。かつて北九州というと、自動車運転のマナーが悪いことでは全
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,621 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月15日) iRyota25 2013.07.16 1 1,646 0 宮城県亘理郡亘理町・宮城県名取市閖上 亘理町の民家を一軒借り受けて、活動の基地としているNPO法人ロシナンテス。その名前はドンキホーテの愛馬の名にちなんでいる。この会を立ち上げたのは九州のある高校のラグビー部出身の人たち。部は違うが、父さんと同じ高校の人たちだ
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月4日) iRyota25 2013.03.04 1 1,622 0 2013年3月4日 宮城県石巻市 劇的ビフォーアフターの決め台詞じゃないけど、「なんということでしょう!」がいっぱい。前回、石巻の復興民泊でも飛び出したフレーズだけど、今回の石巻もたくさんの驚きに出会える予感。いやもう一日目からたくさん出会ってしまった。 今日の「