目の前にあって、手で持っているからコントロールできる

iRyota25

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息子へ。東北からの手紙(2014年4月11日)

桜の花びらが散っていく中、今週から朝の電車に新1年生(高校1年生)が増えた。

それにしても、どうして新1年生って一目で分かるんだろう。ピカピカの制服、同じ電車に乗ることになったクラスメートとのお喋りの微妙な距離感とかもそうだけど、ばっちり明らかなのが電車の乗り方に慣れていないということ、この一点だ。

「ご乗車になられましたら車内中ほどに…」との車内アナウンスが繰り返されても、ドア近くから奥に入ろうとはしない。しかも高校生の大半がリュックやスポーツバッグを背中に背負っているいる。東京の田園都市線や埼京線ほどのラッシュではないものの、背中の荷物ははっきり言ってとっても邪魔。2人分とまでは言わないまでも、確実に1.5人分くらいのスペースを取るからだ。

今朝なんて、背負ったスポーツバッグベンチシートに座っている人の顔にくっ付きそうになっているのに、背中を向けて立っている高校1年生がいた。スポーツバッグのストラップって背中に背負うとリュックのようには背中ピッタリにならないから、蝶々の蛹みたいに背中から斜めにそっくり返るような形になる。その飛び出したところがシートの女の人の鼻先1センチでぶらぶらしてた。

お前さんからは「余計なことするなよ」と突っ込まれるだろうが、その高校生の肩をツンツンして、背中のバッグが座ってる人の邪魔になってること、混んでる電車の中ではバッグは体の前に持った方がいい、との二点をやさしい口調で話してあげたつもりだったのだが、

残念ながら両耳イヤホンの彼には半分しか通じず。バッグが邪魔ということだけは分かったようで、「なんだよ」と一瞬だけ不機嫌そうな顔の印象を残して、混んだ車中を別の場所へもぞもぞ移動していった。でも背中のスポーツバッグはそのままだ。相変わらずそこいら辺の人たちの邪魔になっている。

追いかけてさらに話しかけるというのも何なので、実行には移さなかったものの(気弱だな)、彼に説明するとしたら何て話すんだろうなんてことを、ひとしきり考えた。

妄想(屁理屈)問答

最大の問題は、背中に背負っていると自分がどれくらいスペースを取っているのか、ほとんど認識できないということだ。認識していない人に分かってもらうことはとても難しい。

さらに、手に持ったり腕で抱えたりするよりも、ピギーバックの方が両手が自由になるし、何より当人が楽ということもある。

楽な方を選ぼうとするのは生物として仕方がないことかもしれない。しかし困るのは、楽な方法を自己弁護するような理屈が生み出されることだ。こんな反論をされる可能性は極めて大きい。

おんぶだろうがだっこだろうが、横から見た時の投影面積は似たようなものだろうが。

この反論に対して、「パーソナルスペース」を引き合いに出して、荷物を持つのにおんぶとだっこでは必要とする容積に違い生じるということを、彼に言い含める自信など、とてもじゃないが持てなかった。

――いいかい、壁に顔をぴったり引っ付けたらどんな感じがするだろう? 息苦しいし圧迫感があるよね。それが壁じゃなくて見ず知らずの他人だったらどうだろう。壁よりもっとイヤかもしれない。でも後頭部ならどう? たとえぴったり密着していても、顔よりはずっとましだよね。人間には他人に入ってきてほしくないパーソナルスペースっていうものがある。縄張りとかテリトリーと言い換えてもいいかもしれない。満員電車などでは自分の縄張りの中に見ず知らずの他人が入ってくる。これはかなりのストレスだ。だけど人間の知覚は視覚による要素が大きいから、パーソナルスペースが侵されるにしても、顔が面している側がより大きな問題になる。つまり自分の前の方に何とか我慢できる分だけの空間をつくろうとする。電車の中で背中が人に接していてもさほど気にならないが、顔と顔がくっつくなんて耐えられないだろう。だから、人は自分の前側にはスペースを確保しようとする。そうやってつくったパーソナルスペースに背中の荷物を移動させると、あら不思議、ほぼすっぽりだ。するとおんぶしていた荷物のスペースが消滅するから、乗客ひとり当たりの占有スペースが小さくできる。分かるよね。従って、君たち新1年生たちが荷物の持ち方をおんぶからだっこに変えてくれるだけで、同じ乗客数でも車内の混雑度は大きく違ってくるんだ――

こんな説明が聞いてもらえると思うか?

なんだ、もっと単純な話だったんだ

あー、これじゃダメだとちょっと落ち込みつつ、もうちょっと考えた。どうして背中におんぶした荷物は邪魔で、だっこすることで邪魔さ度が減ずるのか。

なんのことはない。目で確認できて、しかも手が使いやすい体の前面にあれば、もしも荷物が他の人の邪魔になるなど不都合な状況になった時に、すぐに対応できるからなんだ。

背中にのけ反るような感じで背負われたスポーツバッグが、電車の震動に合わせて人の鼻先でゆらゆらするなんてことなく、邪魔にならないように荷物の向きを変えるとか抱えるとか、とにかくいろいろな対処が可能になる。

これが直接見ることが困難な背中の荷物となると、後ろの人とどれくらいの距離にあるのか、どんな状態で背中にぶら下がっているのか、はてはジッパーが開いていたり、お弁当箱から何やら液体がにじみ出していたりしても認識することができない。

ああ、そういうことなんだ。

混雑した電車で荷物は手に持ちましょう。腕で抱えましょうというのは、

“ 自分の荷物は自分で【コントロール】しましょう ”

ということだったのだ。

コントロールするためには、さまざまな対応をとるための「手」が必要だ。そしてもうひとつ極めて大切なことは、その状況を目の前で見ているということ。

これに対して背中の荷物は、容易には手が届かないし、しかも自分から見えにくい。
背中で厄介なことが起きていても、見えないから厄介な出来事を認識できない。ひどい場合には「無かったこと」にされてしまったりもする。

きっとスポーツバッグの高校1年生くんは、こう思っていたことだろう。

「僕の荷物は完全にアンダー・コントロールですから」

父さんが彼に伝えたかったのは、その厄介な出来事を目の前で見つめ、決して見ないふりや無かったことになどすることなく、手を使って対応すること。それがコントロールということなんだよ、そういうことだったんだ。

そう思い至った時には、彼はもう途中駅で下車した後で、父さんが乗った電車は、ガタンと小さく横揺れしながらポイントを通過して、ターミナル駅のホームに滑り込んでいくところだった。

文●井上良太

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