わたしがこのシリーズで障害を持っている娘との日々をご紹介している目的のひとつは「障害者の存在に慣れてもらうこと」です。
そこをスタートに、たとえば「みんなができることをできない人」に出会った時、変だ、おかしい、あんなんじゃダメだ、と思うかも知れないけど「いったん『できない人』の立場を想像してみるクセ」がついたら、お互いにちょっと気が楽になり、ちょっと優しくなれる人が増えて、世の中はもう少し暮らしやすくなるんじゃないかと思うからです。
と書いているわたしも偉そうなことは言えませんでして、毎日が「誰かの立場になってみる」の練習、失敗、また練習です。
そんなある時、インターネットをウロウロしていて見つけたこの言葉にハッとしました。
「高齢者になるということは、障害者になるということ」
「障害」は身近ではないかも知れませんが「老い」は誰にも必ず訪れます。病気がなくても、歳を取ればやがて歩けなくなる。ひとりではお風呂に入れない。トイレにも行けない…。
要介護認定とか障害者手帳とかに関係なく「誰かの直接的なサポートがないと、生きるのが難しい人」に「誰もがなる」と気付かされたのです。
答えはMJが教えてくれた
耳が遠い。言葉が不明瞭だ。ものごとをすぐに忘れる。運転が危なっかしい。動きが遅い…すべて「歳をとれば当たり前」のことです。なのについそれらのことについてわたしは「劣っている」とか「落ち度がある」「これだから年寄りは…」と思ってしまいます。
「自分もやがてそうなる」「そうなったら優しくされたい」。なのに、なぜわたしは「いろんなことができない年寄りの立場になってみる」ことができないんでしょうか?
あれこれ考えていたら、敬愛する「みうらじゅん」さんが答えを教えてくれました。
こんにちは、還暦ちゃん
(「赤ちゃんに還ること」と言われる「還暦」の)問題はね、「“かわいくない”赤ちゃんに戻る」ことなんですよ。やっぱり年寄りは赤ちゃんの一番の魅力であるかわいさを見習わなければいけないと思います。
まずは「意見を言わない」。例えば映画を見ても「このシーンがつまらなかった」「あの俳優がよかった」とか言わない。
(中略)
よく考えたらそこに意見を求める人なんていなかったわけで。自分の主張を抑え気味に生きていけば丸く収まる。ラーメンを食べたら「ん、ラーメンだ!」と言っていれば「あの人、赤ちゃんみたいに『ラーメン!ラーメン!』って言ってるだけでかわいいな」につながると思うんですよ。
赤ちゃんは「オムツ蒸れてんだよ! 早く変えろ!」なんて言わないじゃないですか。意見を言わないからかわいいんです。(中略)介護されるときも「オムツ! オムツ!」とだけ言えばいいんじゃないですかね。
還暦を過ぎたからこその「ロック」。みうらじゅんさんに聞く、老いを前向きに捉える人生哲学|tayorini by LIFULL介護
仏教系の中学高校出身であるみうらじゅんさんは、仏教への造詣がたいへん深く、日本仏教界の最高峰レベルの賞とも言われる「仏教伝道文化賞」の「沼田奨励賞」も受賞しています。バカばっかり言っていると思われている彼の言葉には「お経」のように「心おだやかに過ごす知恵」があるとわたしは思っています。
「年寄りは、かわいくなければいけない」
まだ「年寄りの立場になるクセ」がつかないうちに年寄りになりそうなわたしですが、せめて自分がかわいい年寄りになることで、次の世代の人たちに「かわいいな。年寄りの立場にもなってあげないとな」と思うクセが定着するよう貢献したいと思うのです。
まずは「どこにでもいる」お年寄りから
お年寄りはどこにでもいます。みんなが見慣れているけどまだ定着していない「お年寄りの立場になってみること」をスタートに、やがて障害者などを含む「自分とちがう人」「接したことがないタイプの人」の「立場」を想像しようとする。
「あの人なんかようすがおかしいぞ」と思っても、いったん深呼吸してみて「あの人はいまどんな気持ちなんだろう」「ひょっとしたら困ってるんじゃないか」と想像してみる「クセ」がついたらステキだなと思うのです。
だから、やがてコロナが収束してみんなで飲みに行ける日が来ても、わたしは「かわいくあるため」に、もう「バブルの頃の東京はさあ」とか「いまは岸田森みたいな役者がいない」とか「全盛期のスタン・ハンセンにはかなわない」なんて言いません。
「ビール!ビール!」「ん、からあげだ!」と言ってかわいくしています。それがナチュラルな「オムツ!オムツ!」につながるはずです。
最終更新: