富士山の絶景ポイント、三保の松原

sKenji

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三保松原から富士山を望む。三保半島の先端近くにて
三保松原から富士山を望む。三保半島の先端近くにて

富士山の景勝地は数多くあります。なかでも最も有名な場所のひとつが、静岡県の「三保松原」です。夏場は雲がかかっていることが多い富士山も、冬場は比較的高い確率でその頂を見ることができます。先日、天気が良かったので三保松原に行ってきました。

三保松原について

「三保松原」は大正11年に全国で初めて国の名勝指定を受け、新日本三景の一つにも数えられている日本を代表する景勝地のひとつです。駿河湾に突き出た三保半島の海岸線、約7kmに渡って3万本以上とも言われる松が生えており、松林と海、そして富士山の光景は古来から多くの人に愛されてきました。明治に入るまでは半島全体が松で覆われていて、清水湊越しに見えるその姿はさながら海に浮かぶ「松の島」のようだったそうです。

三保松原は昔から多くの絵画や歌に取り上げられてきました。その文化的な価値が認められて、平成25年6月にユネスコの世界文化遺産の構成資産のひとつとして登録されています。登録を審議する際、世界遺産の登録に大きな影響力を持つ、ユネスコの諮問機関・イコモスは、富士山から約45kmも離れている三保松原を世界遺産の構成資産から除外することを勧告していました。しかし、登録の是非を話し合う世界遺産委員会では、古来から絵画などの芸術の舞台として取り上げられてきたことなどからその価値を認めて、構成資産のひとつとして登録を決めています。

見どころ

約7kmにも及ぶ三保松原。その中で一番のビューポイントとされているのが、羽衣伝説で知られる「羽衣の松」付近の砂浜です。松林、海、そしてその奥に富士山が大きく鎮座している光景はとても日本的で風光明媚です。

ちなみに羽衣伝説は日本各地にあるようですが、三保松原が元になっているとも言われています。静岡市のWEBサイトには次のように書かれています。

三保に白龍(はくりょう)という名の漁師がいました。
今朝も三保の松原で釣をしておりました。
見慣れた浜の景色ですが海原に浮かぶ春の富士はとりわけ美しく見えました。

と、どこからともなく、えもいわれぬ良い香りがしてきました。
香りに惹かれて行ってみると一本の松に見たこともない
美しい衣が掛かって風に揺れていました。

「何てきれいなんだろう。持ち帰って家の宝にしよう。」
そういって衣を抱え家に持ち帰ろうとしたその時です。
「もし、それは私の着物です。」
木の陰に美しい女の人が立っていたのです。

「私は天女です。その衣は羽衣といってあなたがたにはご用のないものです。
どうぞ返して下さい。それがないと天に帰れません。」
白龍はこれがかの天の羽衣かととても驚きましたが、
天女の悲嘆にくれた姿を見て羽衣を返す気持ちになりました。

「返すかわりに天人の舞を舞って下さい。」
天女は喜んで承知しましたが
「羽衣がないと舞が舞えません。まず羽衣を返して下さい。」と言うのです。

白龍はふと思いました。羽衣を返せば舞を舞わずに帰ってしまうのではないか。
すると天女はきっぱりと答えました。
「疑いや偽りは人間の世界のことで天上の世界にはございません。」

この言葉に白龍は自分がすっかり恥ずかしくなりました。
羽衣を身にまとうと、天女は優雅に袂を翻し、舞いを舞いはじめました。
どこからともなく笛や鼓の音が聞こえよい香りが立ちこめます。
白龍があっけにとられて見とれているうちに天女はふわりふわりと天へと上り
だんだん高くなったかと思うとみるみる内に愛鷹山から
富士の高嶺に、霞にまぎれて消えていきました。

三保松原の羽衣伝説 | 三保松原を知る | 世界文化遺産構成資産 三保松原

羽衣の松(二代目)。樹齢650年とも言われていた松ですが、平成22年に三代目に世代交代したそうです
羽衣の松(二代目)。樹齢650年とも言われていた松ですが、平成22年に三代目に世代交代したそうです
羽衣の松(三代目)。ちなみに初代の羽衣の松は1707年の富士山の宝永噴火の際に海中に沈んだと言われています
羽衣の松(三代目)。ちなみに初代の羽衣の松は1707年の富士山の宝永噴火の際に海中に沈んだと言われています

もし時間があるようでしたら、羽衣の松の少し南側から三保半島の先端近くまで、砂浜を歩るかれるといいと思います。打ち寄せる波や、波が小石を洗う音がするなか、松原と富士山を眺めながら歩くのは気持ちいいものがあります。

羽衣の松から少し南側に行った浜。寄せて引く波に小石がこすれる音が大変心地いいです
羽衣の松から少し南側に行った浜。寄せて引く波に小石がこすれる音が大変心地いいです
松林、海、そして富士山。絵になります!
松林、海、そして富士山。絵になります!
三保半島の先端まで海岸沿いに道があります
三保半島の先端まで海岸沿いに道があります
松林内にある遊歩道。夕方遅くの撮影だったために写真映りはいまひとつですが、気持ちのよい遊歩道です

松林内にある遊歩道。夕方遅くの撮影だったために写真映りはいまひとつですが、気持ちのよい遊歩道です

江戸時代、三保松原は幕府の直轄地で御穂神社(みほじんじゃ)があったことから松林の伐採は禁じられており、半島全体が松で覆われていたといいます。しかし、時代が明治に変わった時、多くの木が売却目的で伐採されてしまったそうです。

けれども明治31年、保安林に、そして大正11年には名勝に指定されて保全されるようになり、美しい姿を再び取り戻しています。松林の中には遊歩道が作られており、散策することもできます。

三保松原に起こっている変化

大切に守られてきた三保松原。しかし、取り巻く環境が昔と変わってきたことにより変化が起きているといいます。

三保松原がある三保半島を地図で見ると、海岸から海へ陸地が延びたような特徴的な形をしています。これは「砂嘴(さし)」と呼ばれる、強い沿岸流によって運ばれきた砂が堆積してできた地形です。

しかし、昭和の高度成長期あたりから近くの海岸で著しい海浜の減退が見られるようになり、やがて三保松原にまで浸食が及んできたそうです。そのため、現在は砂浜の消失を防ぐために消波ブロックが置かれたり、海岸の工事が行われています。

また近年、枯れてしまう松の木が増えてきているとのことで、地元の方が後世にも美しい三保松原の景観を残そうと保全・植林活動をされています。

それでも見る者を惹きつける三保松原

砂浜の減少、松枯れなど、以前に比べて三保松原が置かれている状況は厳しいかもしれません。しかし、それでも海岸線に生える青松の林と山頂に白い雪を抱いた日本一の霊峰が目の前に大きく鎮座する光景を目の当たりにすると、古来から三保松原が多くの人を魅了してきたことが納得できます。

三保松原を後にする際、様々な保全活動の努力がいつか実を結び、昔の姿を取り戻した三保松原を見てみたい。そのように思いました。

三保松原

参考WEBサイト

 世界文化遺産構成資産 三保松原
www.shizuoka-citypromotion.jp  
 三保松原【清水海岸ポータルサイト】
shimizu-kaigan.net  
 三保松原の歴史・地勢 | 世界文化遺産「富士山」構成資産 三保松原 | 静岡市の文化財
www.shizuoka-bunkazai.jp  

Text & Photo:sKenji

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