世界遺産候補、韮山反射炉を見てきました♪

sKenji

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今月28日から世界遺産委員会がドイツのボンで開催されます。この会議では先日、ユネスコの諮問機関イコモスが世界遺産への登録を勧告した日本の「明治日本の産業革命遺産」について、最終的な審議が行われます。

「明治日本の産業革命遺産」は19世紀後半~20世紀初め、西洋の技術を移転して造られた製鉄、造船、石炭産業といった重工業分野における産業遺産など、8県11市にまたがる23の構成資産から成りたっています。

日本が短期間で近代産業国家になったことを示す点が高く評価され、世界遺産の登録候補となりました。

代表的なものに「軍艦島」として知られる長崎県の端島(はしま)炭坑や官営八幡製鉄所三池炭鉱などがありますが、先日、構成資産のひとつ「韮山反射炉」を見てきたのでご紹介します。

韮山反射炉ができるまで

韮山反射炉は伊豆半島の付け根にあたる静岡県伊豆の国市、韮山地区にあります。

反射炉とは石炭や重油などを燃やして、鉱石や金属を製錬・溶融する炉の一種です。燃焼ガスなどの熱が湾曲した炉の内壁に反射して一か所に集中することにより、金属が溶けるほどの高温状態を作りだすことからこの名称がつきました。

韮山の反射炉は江戸時代末期、アジアに進出していた欧米の列強に備えて大砲を鋳造するために1854年、韮山代官江川太郎左衛門英龍によって造り始められ、その息子の英敏が1857年に完成させました。

当時、青銅製の大砲もあったものの、長射程、堅牢でありながら安価な大砲が求められ、これらの要件を満たすために口径長大な鉄製の大砲が必要となったそうです。

反射炉を作る上で問題になったのが内部に使用するレンガです。鉄を溶かすためには千数百度の温度に耐えるものが必要ですが、当時、それを満たすレンガはありません。そのため、耐熱レンガに適しているという白い粘土質の土を探します。そして見つけたのが現在の河津町にある粘土で、この土で作られたレンガは約1700度まで耐えることができたそうです。

反射炉は当初、静岡県の下田に建設される予定でした。しかし、ペリーが同地に寄港した際、一部の水兵が反射炉の敷地内に侵入したことがきっかけとなり、隠匿性の観点から別の地に造ることになりました。

韮山に建設されることになったのは、代官所から近かったことや近くを流れる狩野川を利用して製造した大砲を海まで運び、さらにそこから砲台を設置する江戸まで運搬することができるなどの理由によるそうです。

韮山反射炉について

韮山反射炉と入口にあるチケット売り場の建物
韮山反射炉と入口にあるチケット売り場の建物

韮山反射炉の最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆長岡駅です。駅から反射炉まではおよそ1.5kmほどで歩くと30分ほどです。1日往復6本の無料バスもあります。自動車で行かれる方は普通車が43台停められる駐車場もありますが混雑が予想されます。

入場券は入口の前にある建物で購入できます。

韮山反射炉。4つの炉があります
韮山反射炉。4つの炉があります
反射炉の構造図(出典:萩市WEBサイト)

反射炉の構造図(出典:萩市WEBサイト)

www.city.hagi.lg.jp

中に入ってすぐのところに反射炉があります。

反射炉は大きく分けて、石炭を燃やす燃焼室と溶かす銑鉄が置かれる溶解室、そして熱や煙を逃す煙突部分から成ります。

反射炉の高さは約16mほど。そのほとんどは煙突で、炉の部分は下部の1~2mほどです。

造られた当初は漆喰で外側が固められていました。鉄製の外枠は耐震補強のために後からつけられたものです。

銑鉄を溶かすための石炭は、ロストルと呼ばれる燃焼室にある火格子の上に置かれました。写真はそのロストルの下にあたる場所で、燃えた灰が落ちてきます。

焚口(※左)と鋳口(※右)
焚口(※左)と鋳口(※右)

写真の左にある小さな長方形の穴が焚口(たきぐち)で石炭をここから入れます。右側のアーチ状の穴は銑鉄を入れる鋳口(いぐち)です。

炉内部の写真。柵があって中に入ることはできませんが、手を伸ばして写真を撮りました
炉内部の写真。柵があって中に入ることはできませんが、手を伸ばして写真を撮りました

炉内部の写真です。手前は石炭が置かれた燃焼室で砂地の部分が溶解室になります。

溶解室の地面は緩い傾斜になっており、溶けた鉄が写真奥へと流れていきます。

ちなみに炉の内壁で使われているレンガで丸印がついたものがあります。これは河津町の土で造られ、下田から持って来られた耐熱レンガだそうです。

燃焼室の裏側にあたる位置から撮影。溶けた鉄がこちら側から流れ出てきます
燃焼室の裏側にあたる位置から撮影。溶けた鉄がこちら側から流れ出てきます

溶けて炉内部を流れてきた鉄は、大砲の鋳型に注がれます。

鋳型は写真中央にある正方形の茶色い場所に置かれていました。4つの炉を直角に配置することで一か所に溶けた大量の鉄を集めることができました。

鋳造された大砲は円柱状で、砲身をくり抜く必要がありました。その作業は近くの川に設置した水車を動力源にして、約1カ月かけて行われたそうです。

世界で唯一現存する反射炉

韮山反射炉は一見しただけではその価値がわかりづらいかもしれません。しかし、炉と煙突が完全な形で現存しているものは世界で唯一、韮山反射炉だけだそうです。

現地には反射炉について詳しく説明してくれるボランティアガイドの方もいるので、話を聞くと見方が変わってくると思います。

人によりますが、反射炉は20~30分ほどで見ることができます。近くには国の重要文化財に指定された江川邸のほか、韮山城や北条水軍の拠点となった長浜城などの城跡もあるので、一緒に見て周るのもおすすめです。

韮山反射炉も含まれる「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の可否は7月上旬に決まる見込みです。しかし、結果はどうであれ価値の高い産業遺産であることは間違いないと思います。

韮山反射炉

参考WEBサイト

 伊豆の国市/国指定史跡韮山反射炉
www.city.izunokuni.shizuoka.jp  
 韮山反射炉応援団(正式名称:韮山反射炉の世界遺産登録を支援する会)
www.hansyaro.net  
 Kimura Group | 鋳物の話 | 韮山反射炉の大砲復元鋳造について
www.kimuragrp.co.jp  

※その他、現地のガイドの話や説明板も参考にしました。

Text & Photo:sKenji

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