初めてのヒッチハイク ~その1~

sKenji

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ヨセミテバレー
ヨセミテバレー

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初めての海外旅行

生れて初めてヒッチハイクをしたのは、アメリカだった。

場所はヨセミテ国立公園。滝と緑と岩が織り成すアメリカでも人気の国立公園だ。

ヨセミテを訪れたのは大学三年の夏だった。僕にとって初めての海外だった。まわりには初めての海外旅行をどこにいくかいろいろ考えている友人もいたけど、僕のアメリカ行きに一切の迷いはなかった。今となっては、なぜあれほどアメリカにこだわっていたのか、よく思い出せないのだけれども、とにかく当時の僕にとっては、アメリカが全てであり、外国といったら、まず真っ先に思い浮かぶのがアメリカだった。

そんな、アメリカを盲信していた若者が、大学三年の夏休みにテントと寝袋をバックパックを詰めて、初めて海を渡り、約3週間のアメリカの旅にでかけたのだった。

ヨセミテ国立公園

成田を出発して、ロサンジェルス空港に到着する。

最初の一週間は、アメリカに先に渡り、旅行していた高校時代からの友人と合流をして、レンタカーをシェアすると、グランドキャニオン、ラスベガスなど、アメリカ西部を見て回った。

その後、彼と別れて僕だけの旅が始まると、電車とバスを乗り継いで、まず向かったのがヨセミテ国立公園だった。

ヨセミテは、とにかく美しかった。

旅行のガイドブックには「神々の遊ぶ庭園」などと紹介されていた。訪れる前は、なんとまあ、たいそうなキャッチフレーズをつけたものだと思っていたのだが、実際に行ってみると、これはうまく言ったものだなと感心してしまった。

ヨセミテは大変人気のある国立公園だ。とても広大なのだが、メインはヨセミテバレーと呼ばれる渓谷だろう。僕はヨセミテバレーでキャンプをしたかったのだが、キャンプ場の予約はかなり前から埋まっている。結局、予約を取らずに行き、結果、幸運にもキャンプをすることができた。

ヨセミテには、3日間滞在した。

日中は、ヨセミテバレーをトレッキングして、夕方になるとテントに戻る。夜はキャンプ場から少し離れた場所までシャワーを浴びに行く。短いながらも、神々に交じって素晴らしい庭園を満喫することができた。

三日目の朝、午後出発で移動することを決めた。どこへ行こうか。明確な場所を決めていたわけではなかったが、とりあえず、サンフランシスコに向かおうと思った。その先は、サンフランシスコに行くまでに考えればいい。

ヨセミテからサンフランシスコまでは、直通バスがなかった。そのため、一度、フレズノという途中の町まで行き、バスを乗り換える必要がある。ヨセミテからフレズノ行きのバスを調べると最終は16:30だった。

最初、ヨセミテバレーからフレズノにはバスで行こうと思っていたのだが、その前にアメリカでどうしてもやってみたいことがあった。

ヒッチハイク」だ。

アメリカはヒッチハイクの本場だと信じ込んでいた。きっとアメリカの映画に影響されていたに違いない。フレズノ行きの最終バス出発時刻まで、ヒッチハイクをやってダメならば、バスで向かうことにした。

生まれて初めてのヒッチハイク

それまで、本当の意味でのヒッチハイクをしたことはなかった。

以前に、北海道などの旅先で、出会った人に車に乗せてもらったことはある。けれども、道路脇に立ち、ヒッチハイクのサインを出して、走っている車を停めるのは、生れて初めてのことだった。

僕は、フレズノ方面に向かう車線の道路脇に立つ。

しかし、いざやろうと思ってもなかなかヒッチハイクのサインを出すことができない。ヒッチハイクをすることが恥ずかしかったのだ。2、3分、恥ずかしさとの葛藤が続いたが、覚悟を決めた。

遠くに車が見えた。昔、映画で見たヒッチハイクのシーンを思い出し、恥ずかしさを感じながら、申し訳なさそうに映画のワンシーンの真似をしてみた。車が少しづつ近づいてくる。胸の鼓動も早くなる。相手の車に、心臓の音が聞こえるのではないかというほど、ドキドキしているのがわかった。車はどんどん近づいてきた。はたして停まってくれるだろうか。緊張がさらに高まる。緊張がピークに達した時、車は僕の目の前を勢いよく通過して行った。がっくりきた。

がっくりきたのだけれども、すぐに気を取り直して、ヒッチハイクを続けた。ただ、車は相変わらず、停まらない。

物珍しそうに見る人もいれば、笑っている人もいる、なかには、冷やかし&馬鹿にしたような言葉を投げて走り去って行く若者のグループもあった。

手ごたえは全くなかったのだが、恥ずかしさは徐々に薄れていった。しかし「おかしいな。アメリカはヒッチハイクの国じゃなかったのか?」。という疑問も生じていた。

僕は、アメリカでヒッチハイクをすれば、大抵停まってくれるものだと思っていた。映画を見る限りは、すぐに停まってくれるはずだった。しかし、どうやらそれは物語の中だけのようだ。現実のアメリカは違っていた。というよりも現代のアメリカは違った。のちほど知ったのだが、アメリカでヒッチハイクがよく行われていたのは一昔前のことだという。今、アメリカ人がヒッチハイクをするのはまれで、やっているのは、ヨーロッパからのバックパッカーが主だと聞いた。更に、なんと現代のアメリカではヒッチハイクを禁止している州もあるということだった。なんでもヒッチハイクは乗せる側も乗る側も危険らしいのだ。

悪魔?!のささやき

その後も1時間ほど続けていたのだが、その間に停まってくれたのは一台だけ。しかも、行き先はフレズノではなかった。

フレズノ行きの最終バスの時間もあるし、そろそろ、ヒッチハイクを諦めて、バス停に向かおうかと考え始めていると、見覚えのあるアメリカ人青年がやってきた。

その日の昼食時に、キャンプ場近くの軽食店のアウトサイド・テーブルで、たまたま同席し、話をしながら一緒に昼ごはんを食べた大学生だった。彼は、大学の夏休みを利用して、ロッククライミングをしにヨセミテに来ているとのことだった。彼は僕を見ると、

「やあ!」と声をかけてきて

「今からマーセド川に泳ぎに行くんだが一緒にどうだ?行こうぜ」。と言ってきた。僕は

「これからフレズノに向かうんだ。泳ぎに行ったらバスが無くなっちゃうよ」。と言って、今日はキャンプ場をとってなく、この時間ではすでにキャンパーでいっぱいのため、泊る場所がないことを説明した。しかし、彼は、楽観的なのか他人事なのか

「何とかなるさ。行こうぜ」。と誘ってくる。

もし、彼と川に泳ぎにいったら、バスがなくなってしまう上に、野宿になるかもしれない。普通ならば、当然断るのだろうけど、当時は今以上に後先考えずに行動していた。そして、若かった。偶然に左右される行き当たりばったりの旅なんてものに強い憧れなんかを持っていたもんだから、これはこれで面白いのかもしれないと思ってしまい、

「O.K. いいよ、泳ぎに行こう」。と、彼の誘いに乗ってしまった。

僕の旅は、ひとりのアメリカ人青年の出会いがきっかけとなり、大きく変わろうとしていた。

<初めてのヒッチハイク ~その2~ に続く>

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Text:sKenji

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