被災地からの冬便り「初雪」 iRyota25 2013.11.28 1 2,182 0 先週から冬の便りがちらほら。陸前高田や大船渡のような海辺の町では晴れていても、ほんの数km内陸に入ったあたり(仮設住宅があるあたり)では雪が舞っていたりもするようです。今年一番早く「初雪」の声を聞いたのは、もう2週間も前、11月の中旬のことでした。 今年は早かっ
[空気の研究]飯島耕一の死 iRyota25 2013.10.23 3 2,146 0 ひとりの詩人が死んだ。というか、亡くなっていた。 「戦後を代表する詩人の一人である飯島耕一さんが、今月14日、呼吸器不全のため東京都内の病院で亡くなった。83歳だった」 というような記事を読んで、何十年も前に古本屋の100円コーナーで買った現代詩文庫の表紙を思い出
マンモス防潮堤が攻めて来ると… 海辺はたいへん!! iRyota25 2013.12.02 1 3,152 0 マンモス防潮堤が攻めてきた!! これまでにない斬新なイラストだ。ぱっと見たところは可愛らしいのだが、よく見てみるとドキッとする。 5階建てビルの高さの建造物が海と陸地の間にずだーっと続く光景、想像できますか。その高さ、奈良東大寺の大仏さまとほぼ同じ。マンモス
ガレキと呼ばないで(浪江町・請戸地区) iRyota25 2013.09.26 2 3,754 0 ガレキなんて、ない。 ここにあるのは非日常なんかでも、ない。 ここにあるのは、未来の現実だ。 はままつ東北交流館などが企画した「3年目の被災地第3回福島視察ツアー」で福島県浪江町請戸(うけど)地区に行った。 この場所で改めて思ったのが冒頭の3行。 「ガレキと呼ばな
【東北の名所】みちのくの理想郷 ~平泉 その2~ sKenji 2014.01.10 1 2,777 0 【東北の名所】みちのくの理想郷 ~平泉 その1~ 毛越寺(もうつうじ) 毛越寺は、中尊寺の表参道入口から南へ1.5㎞ほど行った場所にあります。中尊寺と並び、平泉を代表する観光名所です。毛越寺について、お寺の公式WEBサイトからの引用です。 毛越寺は慈覚大師円仁が開山
【復興支援ベース】笑顔の奥にある涙。まなざしの先にある希望。復興100年を見つめます iRyota25 2012.12.25 31 113,840 0 復興支援リポート 復興支援リポート一覧 復興住宅への入居が始まりました、とニュースで見ると「あぁ良かった」と安心できる。でも完成した住宅は町に1つか2つだけ。たしかに変化は大きいが、被災の現実はますます見えにくくなっている。 2016年3月11日(金) ~今朝の私の気持
東北の友人たちが言うことには。その1「におい」 iRyota25 2013.05.17 3 1,630 1 「あ、また同じ話だ」と感じることがある。頻繁にある。それも、イヤな風に感じるではなく、同じ話を聞くたびに、刻まれた言葉がひと鑿ずつ深くなっていくような感覚。 たとえばこんな話。 「あの時の様子は、写真とか映像とか、あとは直接話したりすることで、いろいろと伝え
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月19日) iRyota25 2013.07.25 2 2,708 0 岩手県陸前高田市 小学校の校舎が簡易宿泊施設になった二又復興交流センター 陸前高田の町はいま、夏草に覆われた広い平坦地になっている。建物は数えるほどしか残っていない。かなしいほど見晴らしが良くなった町を工事車両など町の再建を進める車両が走り回る。高田の町の平
GWにおすすめ。2泊3日で被災地へ(PLAN-1) iRyota25 2013.03.28 3 6,850 1 「まだ被災地に行ったことがない。いまさらちょっと行きづらいなあ」 なんて、そんなご心配は無用です。 被災地に行って、お買い物をして、美味しいものを食べるのがいま一番求められていること。行けばきっと多くの出会いが待っています。たくさんの物語に接する機会もあるで
再出発の時を待つ奇跡の一本松 iRyota25 2013.06.06 3 1,778 0 2013年6月4日。修復作業が進む高田松原の一本松に行ってきました。 相変わらずゲートは閉ざされたまま。 松のまわりには作業用のやぐらが組まれたままです。 でも、やぐらの一番上の部分を良く見ると・・・。 作業している人の姿が見えました。 ニュース報道によると、枝の向
【東北の名所】 戻ってきた極楽浄土 ~浄土ヶ浜~ sKenji 2013.10.22 1 2,769 2 浄土ヶ浜。東北で気になる観光名所のひとつです。 浄土ヶ浜は、岩手県宮古市にあり、三陸復興国立公園の一部です。1955年に陸中海岸国立公園に指定されていましたが、東日本大震災後に、三陸復興国立公園に変更されています。 三陸復興国立公園については、環境省のWEBサイト
三陸鉄道再開。道はまだまだつづく iRyota25 2014.04.08 3 2,934 0 4月5日 南リアス線が、そして4月6日 北リアス線が、それぞれ再開。 震災から3年。三陸鉄道が復旧し全線であの車両が走り始めました。 下の写真は4月5日(土曜日)、記念車両が大船渡市の盛駅に到着した時のもの。 盛駅は三陸鉄道南リアス線のターミナル駅。震災前にはここから
ガレキと呼ばないで(2013年4月17日・陸前高田) iRyota25 2013.05.08 4 2,217 0 4月3日の再オープンから「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展が行われている気仙沼市のリアス・アーク美術館に向かいました。少し早く着きすぎたので、陸前高田まで足をのばしてみると、数か月前まで残っていた市役所やマイヤ(ショッピングセンター)などの建物
東北の友人たちが言うことには。その4「岡目八目で読む漁業」 iRyota25 2013.05.21 2 1,921 2 [最初のひとこと] 女川のマスコット、シーパルちゃんが抱いているのもサンマじゃなかったのです! (女川観光埠頭近くの巡航船待合所の窓に描かれたシーパルちゃん) 「金だけつぎ込んだって何も変わらない。いや、かえって悪くなるだけだ。震災前からこの辺はずっと右肩下が
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月17日) iRyota25 2013.04.18 2 1,852 0 2013年4月17日 宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館 気仙沼港の岸壁では、オイルフェンスのようなものが張られて(たぶん地上から汚れが海に流れ出さないようにしているのだろう)、埠頭の工事が進んでいた。その手前には工事の進展を待っている被災した岸壁。 港の岸壁って、
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月11日) iRyota25 2013.06.19 3 2,005 0 2013年6月11日 静岡県伊豆の国市韮山 違和感のあるニュースだった。震災から2年と3か月目の夜、NHKが流したニュース。それは、女川町生涯教育センターの話から始まった。 宮城県女川町の生涯教育センターの最上階、機械室まで逃げ上がった末に、なんとか生き延びた人たちの話
東日本大震災・復興支援リポート「被災地で聞いたゆうれいの話」 iRyota25 2013.01.27 4 3,678 10 復興屋台村気仙沼横丁の大漁丸さんでのこと。 「ところで今日はどこに泊まるの?」 と尋ねられてホテルの名前を答えたところ、 「あら、よかったわね。××ホテルは出るのよね」 出るって何がと尋ねると、 「ゆ・う・れ・い。有名なのよ。見たって人はみんな同じ場所、同じ時間
震災の日に思う「できること」 ockn1006 2013.03.11 4 1,855 0 東日本大震災から今日で丸2年が経ちました。 私事ですが、当時は営業職として九州で仕事をしており、震災当日も佐賀の営業先にて販売応援を行っていました。14時46分、今なお想像を絶する地震が東北地方を襲ったときでさえ、黙々と仕事をこなしていたと思います。日本中がまさ
地震や津波の被害を忘れないために「津波高の謎」 iRyota25 2013.04.03 3 2,014 1 津波石の記事で紹介した八重山地震の津波の高さ85.4mについてのおぼえ書きです。 80mを超える津波高の信憑性 津波高の根拠となっているのは琉球政庁に残された「大波之時各村之形行書」(おおなみのときのかくそんのなりゆきしょ)という文書です。 明和大津波遭難者慰霊之塔
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月18日) iRyota25 2013.04.22 1 1,518 1 2013年4月17日21時03分の地震 気仙沼からの移動中で、自動車専用道路を走っている時だったので、地震にはほとんど気づかなかった。 高速を降りて国道を走っている時に、道路情報の電光掲示板に「大地震発生」という赤い文字が見えて何事かと思った。「大地震発生」という文字
東日本大震災・復興支援リポート 「陸前高田の1年半」 iRyota25 2012.11.15 4 2,846 0 2012年10月25日の陸前高田市 陸前高田市、旧・市役所周辺を歩いた。むき出しになった鉄筋が、虚空を引っ掻いているように見える。 多くの職員や市民が犠牲となった旧庁舎は、2012年度内の解体が決定し、11月10日にはお別れ会が執り行われた。 市役所に隣接していた市民会館の
東日本大震災・復興支援リポート 被災地と仮設商店街 tanoshimasan 2012.11.13 2 2,550 0 宮城県気仙沼市 気仙沼大島 (仮設住宅) 東日本大震災のあと、 仮設住宅がたくさん建てられました。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 宮城県気仙沼市 (復幸マルシェ) 被害の状況に応じて離れていた人たちも、 地域によっては徐々に戻っ
東日本大震災・復興支援リポート 東日本大震災で何が起こったのか。 宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声(2012年2月17日) iRyota25 2013.01.10 2 5,976 0 春のセンバツに21世紀枠として出場した石巻工業高校野球部の松本嘉次監督、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市総務部地域コミュニティ課の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川の選手兼ユース監督で地域担当も務める檜垣篤典さん。それぞれの立場で震災をくぐり抜けて
息子へ。被災地からのメール(2012年12月2日) iRyota25 2012.12.04 2 1,843 0 「宿題はちゃんと終わらせたの?」 そんな声を振り払うようにして2人で歩いて行ったのは、前夜の夢の中にあった石巻の町ではなくて、伊豆の国市古奈のレストラン・アクアサンタ。パティオを通りぬけてレストランに入ったら、オウミさんが「おう!」っと声をかけてくれた。 「
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,658 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販