夏休みの宿題の話、じゃありません

akaheru

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小学校へ通う我が子供達の夏休みも半分が経過しました。もっとも大変な(チョイス次第?)自由研究は当然のごとくノータッチの我が子達でありますが、漢字の書き取りや算数の計算問題はそこそこ頑張って進めているようです。(そういえば、毎日音読の宿題もあるはずなんだけどなあ)

でも油断するとすぐ怠けてしまうから、日々ちょっとずつ声掛けをしています。

そこではこんなことを言うわけです。「パパがお前たちくらいの時はなあ、夏休み開始時にしっかりと宿題をいつまでにどこまで進めるか計画を立てて、その計画通りにやったもんだ。だから、計画さえ立てればほぼできたも同然なのだよ。パパを見習うようにな」と。

ただ、それが真っ赤な嘘でありいわゆる「ネタ」。そのことは彼らも認識しているので、待ってましたとばかりに疑いの目を向けてきます。

正直、自分も小学校の時は最終日にひーひー言いながら宿題をやっていた口です。新学期開始日の前日、毎日の天気を「一日も」記録していないことに気が付いてあわてて友達に電話をして聞いたことも複数回。

そんな綱渡り(?)の小学校時代でした(笑)

寺ちゃんと過ごした夏休み1日目

でも1回だけ、余裕を持って宿題を終えたことがあります。日記と自由研究以外を1日で終えた年があったのです。

確か小学校5年生の時。当時すごく仲の良かった寺ちゃんと毎日思いっきり遊ぶにはどうすればいいかの作戦を立てました。そこで思いついたのが、「1日で宿題を全部終わらせること」。そうすれば計画なんか立てなくてもいいし(面倒くさい)、新学期前日にパニックになることもない。

そんなわけで夏休み1日目にうちに遊びに来た寺ちゃんと励まし合いながら、朝一から夕方までぶっ通しで宿題をやり続けました。

午前中はひったすら漢字の書き取り。指にまめを作りながらも午後一くらいまでには全て終わった記憶があります。その後は算数問題。これは完全に協力体制。お互い逆から始めていって、ぶつかったら答えを見せ合ってひたすら写しまくりました。夕方5時過ぎくらいにはだいたいが終わり、2人で万歳をして打ち上げました。

ただ、疲れ果てた私たちはそこで力尽き、次の日にはお互い体調を崩して数日家で休むという結果になり、何日か貴重な夏休みを棒に振ることに。その後も初日に受けたダメージはなかなか消えず、なんかくたびれたまま過ぎ去った夏休みだったと記憶しています。

ほんと、ろくでもない小学校時代でした(笑)

子供達に共有することの意味

とまあ、そんな情けない話もいろいろ子供達にはしています。そういった積み重ねもあって、前述したような「疑いの目」を向けられるわけなのですが、かっこ悪いところもあほなところも全部子供達には伝えていきたいと思っています。

自分の親が小さい時にはどんな子供だったのか。ほとんどの子供達が興味を持つことだと思うのですが、自分は親父から聞きそびれてわからずじまい。自分の親なのに謎のベールに包まれているのです(苦笑)

親の歴史やルーツを知ることは、結局自分を知ることにもつながります。自分の親、その前のご先祖様はどこに住んでどんな生活を続けてきたのか。そんな話を聞くことで自分自身にも向き合えて興味も持てるかもしれない。

子供達との対等なコミュニケーションのため、彼らの「自分探し」のヒントになるため、あとは楽しんでもらうため(笑)、引き続きダサい自分を見せていきたいと思います。

宿題の話からだいぶそれてしまいました。

そういえば今週はお盆。親父が返ってくるかもしれないので、迎え入れる準備をしないといけませんね。

ママの力作「夏休みのしおり」現在第6弾まで配布済み!自分だったら一切見ないで好き勝手やる、とはさすがに言いづらい(笑)
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