地域の歴史を知る休日(明治史料館)

orangeoor18

公開:

6 なるほど
3,583 VIEW
5 コメント

いつの間にか梅雨明けしていて、猛暑が辛い季節になりました。日中は外で過ごすことが難しくなってきましたので、休日に低予算で過ごせる屋内施設を探してみることに…。そんな流れから地元静岡県沼津市の文化施設や観光施設を回ってみようと思い、今回は手始めとして市の代表的施設でもある明治史料館を見学しました。

いつでも行けると思っているからなのかもしれませんが、このような施設は身近なほど敬遠してしまいがちです…。ただ、最近になって休日に数時間程度出かけたいと思いながらも行き先に悩むことがあったので、このような施設も活用できると良いなと思ったこともありました。

当館は、郷土の偉人江原素六や、静岡徳川藩の藩校沼津兵学校を中心に、郷土の近代化の歩みを紹介する博物館であり、さらに当市の歴史に関する史料を収集・保存・調査・研究・展示・公開をして、市民の生涯学習、学校教育との関連を考慮した普及活動を積極的に行い、市民文化の向上発展に寄与する事を目的としています。

沼津市明治史料館/沼津市

今回が初めての訪問ではないのですが、おそらく小学生以来なので記憶はほとんどありません。外観(入り口)の雰囲気は若干覚えているのですが、館内の様子、展示している内容に関しては記憶がなく、今回が初めてのような新鮮な気持ちで見学に訪れました。

入り口を過ぎると館内の1階が入場券売り場になっていて、その奥が図書室になっています。

資料が展示されているのは3階と4階。早速エレベーターで展示階に上がってみます。

沼津の歴史コーナーの様子(1)
沼津の歴史コーナーの様子(1)
沼津の歴史コーナーの様子(2)
沼津の歴史コーナーの様子(2)

展示は主に4つのテーマで構成されています。

1. 沼津の歴史(戦国時代から近現代の沼津まで幅広く扱っている)


2. 江原素六の生涯(沼津の教育、産業の歴史も同時に学べる)

 江原素六ってどんな人?/沼津市
www.city.numazu.shizuoka.jp  

3. 沼津兵学校の歴史(学校で使われた教科書なども展示されている)

 沼津兵学校とは?/沼津市
www.city.numazu.shizuoka.jp  

4. 企画展(この時期は市民カメラマンの写真展が開催されていた)

沼津の歴史を知る

「1. 沼津の歴史」では沼津の成り立ちにも触れていました。

明治9年に現在の静岡県の形になり、その後(明治22年)に市制町村制が施行されたのを機に沼津が誕生。(当時は沼津町)その後、もともと各藩領だった小さな町村と合併され現在の市域になっていったのだそうです。

当時の町村名(2町11村で構成)はそのほとんどが今でも地区名として使われているのですんなり入ってきます。当時の出来事が起きた場所や地名などを記した地図も展示されているのですが、地元の人だけでなく沼津での滞在経験がある方なら一度は見聞きした名前がいくつか出てくるはずです。

(愛鷹山で有名な愛鷹村は鷹根村だったとか、2町11村に挙げられている村自体もその前に合併しているとか様々な発見がありました。)

沼津のルーツ、戦国・江戸時代の沼津(宿場町としての沼津、城を築いた沼津など)を知った後は、明治・大正・昭和と沼津の出来事を交えて時系列で振り返っていきます。

沼津大空襲

戦時中、大きな被害を負った沼津。歴史コーナーでは当時の出来事を深く学ぶことができます。

昭和20年7月17日(時刻は1時13分から2時52分までの約1時間40分間)、アメリカ軍が沼津の市街地を目標として空襲を行いました。都市攻撃を目標としてアメリカ軍が選び出した180都市中、沼津は93番目に設定されていたとのことです。

館内では空襲の被害写真、焼夷弾など当時の様子がわかる様々なものが展示されている中、特に印象に残ったのが軍需工場など軍の関係施設の場所と被害範囲を示した地図でした。

現在の大手町交差点あたり(沼津駅の南側)を中心とした半径1.2キロの円を第一目標として、合計372,746個の焼夷弾および焼夷爆弾が投下された。

沼津市明治史料館

と記録には残されています。地図を見ても、被害の中心はやはり沼津の駅周辺(特に南側)なのですが、郊外にもいくつか被害範囲が記されていました。

そして、自分の実家を探してみたところ、実はその地区も被害を受けていたことがわかったのです。空襲があったことは知っていたものの、祖父母からきちんと戦争の話を聞いたことがなく、実際沼津のどこがどのような被害を受けたのかはこれまで知る機会がありませんでした。

歴史に触れた後は、地域の発展に尽力した江原素六、教育の発祥の地とされている沼津兵学校といった現在の沼津に欠かせない人物、施設に関連する展示コーナーに続き、館内全体をおよそ1時間半で見学することができました。

自分の地域をあらためて知ることで・・・

地元の文化施設を見学し終えて、率直に休日の過ごし方として十分アリだと思いました。数時間過ごすにはちょうど良いですし、お手軽さも魅力です。

また、長い間住んでいた地元にも知らないことがまだまだたくさんあるとあらためて気づかされました。歴史を知ることでこれまでとは違った視点で自分のまちを見る機会が増えますし、何となくですが愛着もさらに増した気がします。

これを機にまた他の施設も見学してみたいと思います。

最終更新:

コメント(5

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン

  • B

    baikinman

    あの建物は気になっていましたが、入ったことがありませんでした。
    身近な街「沼津」の戦争について学ぶことが出来るのですね。
    子供たちと行きます!

  • A

    akaheru

    >長い間住んでいた地元にも知らないことがまだまだたくさんあるとあらためて気づかされました。

    小学生の頃地元に「温故館」なるものがあって、その地域の歴史を学べるという施設だったのですが、結局ただの一度も入らなかったと思います。なんだか薄暗いしつまらなそうだったのです。

    でも、きっとたくさんの学びが詰まっているはず。

    温故館、行ってみますかね・・・。

  • C

    cha_chan

    私の父方の祖母の実家に防空壕があるのですが、戦争当時、空襲で防空壕に避難した際に、入り口に焼夷弾が落ちたそうです。偶然にも不発弾で、難を免れたという話を祖母がしてくれました。そう考えると、自分が生まれて来れたのも奇跡のように思えます。
    自分は祖父母から戦争当時の話を色々と聞いたことがありましたが、自分から積極的に聞いたわけではないので、記憶が曖昧です。このような史料館に訪れ、祖父母のことを思い出し、当時の生活を想像してみるのも有意義な休日の過ごし方だと思いました。

  • 5

    51mister

    神奈川県の座間市の芹沢公園の中に高座海軍工廠(海軍直轄の軍需工場)跡があります。地下工場です。入り口は鉄格子で塞いでありますが、講師の隙間から覗くことができます。真っ暗で、何も見えませんけど。アメリカの爆撃機を迎え撃つ新型爆撃機の「雷電」を開発していた工場らしいです。今は子どもたちが普通に遊んでいるとても大きな公園担っていますが、当時はここに掘られた地下壕が軍需工場だったと思うと感慨深いものがあります。公園は無料です。

  • P

    pamapama

    あの道を普段使っている人ならみんな存在は知っているけどほとんど入ったことはないんじゃないでしょうか。沼津はむかしの町名が残っているのが素晴らしいですね。
    御成橋を通る時はいつも「空襲の砲弾で凹んだところ」を見ます。沼津にも残る戦争の記憶を絶やしてはいけませんね。