名前のせいか、かなり昔の人といったイメージがあるかもしれないが、堀田善衛はあの宮崎駿が引退会見で「ぼくが尊敬する作家」と呼んだ戦後を代表する文学者である。宮崎駿とは鼎談本(「時代の風音」UPU刊 後に朝日文庫。鼎談のもう一人は司馬遼太郎)も出しているくらいで、1998年に逝去したが私たちと同時代人と言っていい。
彼の「橋上幻像」(1970年 新潮社刊)に収められた「名を削る青年」を読んでいたら、地球温暖化についての記述があって驚いた。
それは、男のことを「オトウサン」と呼ぶ主人公の人物像についての描写であって、作品のテーマに直結するような記述ではない。ただ、こんな時代にこんなことが書かれていたなんて! とストレートに驚いた次第なので、書評なんかではないことをお断りした上で、時代のひとつの証言として引用する。
「オトウサン、あなたはジェット機一機が、ニューヨークからパリまで飛ぶとして、空気中の酸素をどのくらい消費するものか知っていますか?」
「いや、知らないね」
「四発のジェットだった場合、ニューヨーク・パリ間で、約三十トンだ」
「へえ……、三十トンも、本当かね」
「本当だとも」
酸素などというものは、要するに気体であって重さなどないに近いもの、というのが男の常識であった。それを、本当か嘘か、つきとめる法もなかったが、それを三十トンも使うとなれば、これは大事だろう。
「それは大変だな。一日に何千機も飛ぶわけだから、地球全体でみれば……」
「そうなんだ。それで、この酸素と言うものがどこで、何によって補給されているか知っていますか?」
「ええと……、よくは知らん」
「なんにも知らないんだな。植物や海草の同化作用によって、なんだ」
「ははぁ……」
「ところがですね、このジェット機や工業一般の酸素消費は、地球上の自然による補給力を、すでに上まわっているんだ」
「すると次第に人間は呼吸困難になって、人工酸素を買って吸わなければならぬというわけか?」
「それより先にね、地球全体の工業化にともなってあのスモッグが昼夜ともに出つづけて、それが濃度をましてたまり、地球全体をまるく蔽ってしまうと、酸素が足らなくなることはもちろんだけれど、地球表面の温度が上がって来て、北極と南極の氷が溶け出して、どこもかしこも水浸しになる。ニューヨークや東京やハンブルクのような海岸の都市はぜんぶ海中に没する。要するに人類の終末だ。自殺だ。ぼくはその時が早く来ることを望む。そうして、海表面が拡大すると、今度は温度が下がりはじめるんだ。地球全体の平均温度が、現在より、ほんの四度か五度下がると、氷河期がまた戻って来るんだよ。それは科学的にも立証されていることなんだ。オトウサンは知っているかい、この前の氷河期は、ほんの、たった四万年前のことなんだ」
それは、男が青年にはじめて見た眼の光だった。眼鏡の奥で伏し目がちにしているのではあったが、その若い眼が異様に輝いていた。悪意がこもっているというのではなくて、むしろ、悦びに輝いているようなのである。
「名を削る青年」戦争×文学 XXI
「橋上幻像」が発表されたのは1970年。つまり作品が書かれたのはそれ以前と言うことになる。
私の記憶が正しければ、地球温暖化が声高に叫ばれるようになったのは、バブル時代という言葉が一般化したのとほぼ同時期である。1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された国連の地球サミットで「温室効果ガス」という言葉が脚光を浴び、その削減が人類の持続的発展に不可欠であるとして京都議定書が議決されたのは1997年(堀田善衛が亡くなる前年)のことだ。
もちろん最近話題になっている方の温暖化は、堀田作品の登場人物が言うように氷河期とセットになっているものではない。ただひたすら気温が上昇して、海岸の都市や標高の低い島国が水没してしまうというものだ。
一方、「橋上幻像」が発表された1970年代には、むしろ地球の寒冷化の方が問題視されていた。地球の気候は氷河期と間氷期をくり返しており、当時も騒がれていた「異常気象」が氷河がやってくる兆しではないかという論だった。それは学者先生たちだけに限った問題意識ではなく、少年雑誌の巻頭特集で氷河期が取り上げられたり、「ウルトラQ」でペギラが東京を襲う「東京氷河期」が放映(1967年)されたりしたほど人口に膾炙する話題だった。
そんな時代であったことを枕に置いて、堀田小説の登場人物の言葉を読み返してみると、この時代に温暖化を口走る青年の特異さが際立ってくる。
いまや気象変動は人類社会の近い将来を左右する大問題として、政治や経済とも絡めて語られているが、私たちの同時代人である作家の一生のうちでも、広く一般に信じられる論とその見通しが真逆に振れるものだったと知ることは無意味なことではあるまい。
現在問題となっている温暖化はおおごとだ。しかし、それとは別の次元で、堀田作品は「知り得ない将来に向き合う人間のスタンス」について考えさせてくれる。
(堀田作品についての感想文はまた日を改めて)
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