高みへみちびく街路樹は

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カーネーションが供えられていたスズラン通りは、陸前高田で建設中のシンボルロードの原型にあたる。シンボルロードは、かつてキャピタルホテル1000がたっていた高田松原付近から、川原川という小河川に沿うように北の山の方に向かってほぼ真っすぐに伸びる道。津波からの避難の大切さを将来に伝えていく道でもある。

スズラン通りのカーネーション
 スズラン通りのカーネーション
potaru.com

シンボルロードの一部は今年に入ってから部分的に通行できるようになってきた。といっても「通れる」というだけで、まちの「シンボル」としての道の全容を感じることが出来るような場所はまだない。

そんななか、将来のシンボルロードのうち、中心市街地に近い200メートルほどの区間で街路樹の工事が始まった。「たぶんヤマボウシが植えられるんじゃないかな。もともとスズラン通りの街路樹がヤマボウシだったから」という噂だった。

植えられた街路樹は、まだひょろひょろの細木だった。それでもゴールデンウィークの終わり頃には幾輪かの花を咲かせた。クルマで走り過ぎながら「ああ、ヤマボウシだな」と思っていた。「ヤマボウシなのか」とも思った。「なのか」と思ったのは、絵本『ハナミズキのみち』の作者がハナミズキの木を植える場所について苦慮しているという話を、友人たちから聞いていたからでもあった。

もう花のほとんどが落ちてしまってから、街路樹のそばを歩いてはじめて気がついた。植えられた樹はヤマボウシではなくハナミズキだった。花はほとんどしおれていたし空は曇っていたが、気持ちが明るくなった。絵本の後半に描かれていた絵が、言葉が、近い将来の現実とひとつになっていくように思えた。

町の人たちが
もう二度と
津波で
かなしむことが
ないように、
ぼくは
木になったり
花になって
みんなを
まもって
いきたいんだ。

『ハナミズキのみち』文・淺沼ミキ子 絵・黒井健/金の星社

『ハナミズキのみち』は震災で息子さんを亡くした作者が、ハナミズキに託す思いを描いた作品だ。

しおれてもなお物語る
しおれてもなお物語る

ハナミズキが咲く道を、老若男女、さまざまな人が行き来する。笑顔で挨拶を交わしながら、同時にみんながこの道の意味を知っている。そんな将来の姿が、曇り空の下のハナミズキとシンクロした。

海側を向いて撮影。田植えようのイネの苗を積んだ軽トラが走ってゆく
海側を向いて撮影。田植えようのイネの苗を積んだ軽トラが走ってゆく

ハナミズキは別名アメリカヤマボウシという。1912年に東京市長がワシントンD.C.にサクラを贈ったお返しとして、1915年にアメリカからプレゼントされたのがハナミズキだった。そんな歴史を受けてか、ハナミズキには「返礼」「お世話になった人へのお礼」という花言葉があるらしい。西洋には「逆境に耐える愛」という花言葉も伝えられているという。

別の日に山側を望む。シンボルロードはこの先、登り坂を駆け上がる。その両側にもハナミズキが植えられるのだろうか。人々の暮らしの場が戻ってきてほしい
別の日に山側を望む。シンボルロードはこの先、登り坂を駆け上がる。その両側にもハナミズキが植えられるのだろうか。人々の暮らしの場が戻ってきてほしい

どこまでも続く
ハナミズキの花。
いのちをまもる
ハナミズキのみち。
うすもも色にけむる、
春のけしきが
目にうかぶ。

『ハナミズキのみち』文・淺沼ミキ子 絵・黒井健/金の星社

建物とてほとんどないこの辺りは海風が猛烈に吹き付ける。厳しい環境に負けずに育ってほしいという願いが、支柱の太さにもあらわれているようだ
建物とてほとんどないこの辺りは海風が猛烈に吹き付ける。厳しい環境に負けずに育ってほしいという願いが、支柱の太さにもあらわれているようだ

陸前高田『ハナミズキのみち』の会によると、今回の植えられたのは8本で試験植樹なのだそうだ。来年春には本格的な植樹を行う計画を進めているという。

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