12月26日という日

Rinoue125R

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2004年スマトラ島沖地震

観測史上チリ地震に次いで大きなマグニチュード9.1の巨大地震。地震のエネルギーは東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と比較しても約1.4倍に相当する。震源はインドネシア・スマトラ島北西からジャワ島の南に伸びるジャワ海溝の北端部。ジャワ海溝は、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込むプレート境界で、地震断層のずれは逆断層型。東日本大震災と共通点の多い地震だった。震源域が広範にわたったことから、地震の揺れの6~7分も継続した場所もあったという。

インド洋沿岸に数度にわたって押し寄せた津波の高さは平均10mといわれる。津波はインドネシア、マレー半島、インドに止まらず、アフリカ大陸東岸や南極大陸にも到達し、ソマリアでは100人以上の死者が発生したとされる。

津波による被害者総数は22万人に達した。これは観測史上最悪の津波被害である。クリスマス休暇中だったこと、人気のリゾート地が多数点在する地域だったこともあり、欧米などからの旅行者の被害も少なくない。アメリカ人の死者行方不明者は5,000人を超え、日本人の死者は40人(行方不明2人)にのぼった(時事通信「日本人、海外受難簿」による)。

インド洋沿岸には、津波警報国際ネットワーク(津波早期警報システム)が無く津波警報や避難情報を出すことができなかったこと、そして津波教育が十分に行われていなかったことが、被害を拡大した大きな要因と指摘されている。

本震の規模が大きかったため、余震(本震の震源域内で発生する地震)と考えられる地震でもM8クラスの巨大地震が発生している。本震以後、余震や誘発自身(震源域が隣接するなど関連性が強く疑われる地震)が頻発している。
・2005年3月28日 Mw(モーメントマグニチュード:巨大地震を計るのに適したマグニチュード)8.6 約2000人が死亡したと言われる。
・2007年9月12日 Mw8.5
・2009年9月30日 Mw7.5(発震機構の異なるプレート内地震だが、少なくとも1100人の死者を数える惨事に)
・2010年4月7日 Mw7.7
・2010年5月9日 Mw7.2
・2010年10月25日 Mw7.9 最大8mの津波が発生しおよそ500人の犠牲者と報じられた。翌26日にはジャワ島中央部のムラピ山が噴火、火砕流による犠牲者が発生した。

巨大地震は10年程度の短期間では収束しない。
隣接した地域などに影響を及ぼして、新たな地震災害の引き金になる危険性もある。

1854年 豊予海峡地震

江戸時代末期、当時の暦で嘉永7年(安政元年)11月7日、四国と九州を隔てる豊予海峡で発生した地震。3日前には安政東海地震(M8.4)、2日前には安政南海地震(M8.4)と巨大地震が相次いで発生しているため、この地震による被害と説く手出来る資料は意外と少ないらしい。

限られた歴史資料から算定されているのが、豊予海峡を震源とするM7.4の地震とする説。プレート境界で起きた東海・南海の巨大地震に誘発されて、日本列島を中部地方から四国を経て九州まで西に横断する「中央構造線断層帯」の一部が動いて地震となったとの見立てだ。

懸念されるのは、中央構造線断層帯に隣接するように四国電力の伊方発電所(加圧水型原子炉3基。全ウラン装荷量約49トン×2基、約74トン×1基)が位置することだ。最も古い1号機は1977年の運転開始なので稼働から36年が経過している。(最新の3号機は1994年運転開始)

伊方原発

豊予海峡地震の震源は佐田岬半島と佐賀関半島の中間やや大分よりだったとの説がある。

九州に向けて長く突き出している佐田岬半島が、中央構造線沿いに働く巨大な地球の力で形作られたことは地学の知識がなくても一目瞭然だろう。この半島を貫く国道197号線は、半島のほぼ稜線上を走っている。両側は切り立った崖だ。一度走れば忘れることはできない。まるで天空の道といった趣の、他では味わえないドライブを楽しめる。

佐田岬半島は海に直線的に突き出していることに加えて、半島全体がリアス式海岸であることも大きな特徴なのだ。つまり、海からせり上がった地形をつくる力が働くとともに、沈下によって谷を溺れさせ、複雑な入り江と急峻な崖によるリアス式海岸を発達させた、地面をを引き下げる力も働いている場所と考えるのが妥当だ。せり上げたり沈めたり。相反する力が働くことでこの地形が造られたのだとすれば、大地の活動がきわめて活発な場所なのだろうと想像することができる。(ただしその変動の頻度がどれくらいかは分からないが)

半島と海峡で区切られた瀬戸内海西部沿岸には多くの人たちが暮らしている。松山市、広島市、山口県の瀬戸内海沿いに首飾りのように連なる町々、北九州市、別府市、大分市。大きな町の人口を合計するだけで400万人を下らない。中央構造線に沿った断層で大地震が発生し、その時もしも原子力発電所で事故が発生したら、地形的に囲み込まれたこの海は間違いなく死んでしまう。関サバも城下カレイもクルマエビもマテガイも寒ブリも、豊かな海の幸が消え失せてしまう。それどころか、この地域に暮らす人々の生活が破壊されてしまう。

南海地震の陰で目立たない存在になっているこの地域の地震災害だが、過去に確かに起こっている。そして、何より地形そのものがこの地域の地質学的歴史を記録している。160年前に起きた豊予海峡地震を思い出し、未来への教訓にしたい。

歴史の中の12月26日

▼1606年 シェークスピア四大悲劇のひとつ「リア王」が初演されたとされる

▼1634年 数多くの歌舞伎や映画の題材となった「鍵屋の辻の決闘」が行われた
岡山藩主池田忠雄が寵愛していた小姓・渡辺源太夫を、恋のもつれから殺害した河合又五郎に対し、源太夫の兄・渡辺数馬が伊賀国上野の鍵屋の辻で打ち取った仇討。仇討の当事者たる数馬も又五郎も武術に未熟だったため、双方が有力な剣術家を助っ人とした。とくに数馬を助太刀した郡山藩剣術指南役荒木又右衛門は有名。曽我兄弟、赤穂浪士と並び日本三大仇討のひとつとされる。(寛永11年)

▼1776年 アメリカ独立戦争緒戦の決戦、トレントンの戦い
前年のボストンでの蜂起から始まった独立戦争だったが緒戦はイギリス軍が圧倒的に優勢で、ワシントン率いる大陸軍はニューヨークを失い、兵士も10分の1にまで減少していた。ジリ貧となることを恐れたワシントンは、厳冬のクリスマスに渡河作戦を決行し、この日イギリス軍とドイツ人傭兵部隊の連合部隊を撃破した。この勝利で大陸軍の士気は復活し、志願兵も増えることになったとされる。

▼1825年 ロシアでデカブリストの乱
ナポレオン戦争への従軍で、ヨーロッパの政治・文化の進展を目の当たりにしたロシアの青年将校たちが、アレクサンドル1世の崩御を機にペテルブルクで蜂起したクーデタ。強権的なニコライ1世の即位を阻もうとしたが失敗し鎮圧された。ロシアにおける自由主義的革命運動の第一歩という評価もある。

▼1854年 豊予海峡地震 (嘉永7年/安政元年)

▼1887年 保安条例が公布・施行
大日本帝国憲法の発布(1889年)を前に、自由民権運動を弾圧する法律として、勅命の形で公布、即日施行された。
秘密の集会・結社を禁じ、内乱の陰謀・教唆、治安の妨害をする恐れがあるとされた自由民権派の人物に対し、皇居から3里(約11.78km)以外への退去と、3年の間その範囲への出入りや居住が禁止された。実質的な東京市外への退去を命令された570人の中には、ジャン・ジャック・ルソーを紹介した中江兆民、後に衆議院議長を務めた片岡健吉、「議会政治の父」「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄らも含まれていた。

▼1898年 マリー・キュリーが新元素ラジウムの発見を発表
ラジウムの名は放射線を出すことから命名された。元素は不変とする当時の概念に変換を促す一歩となる発見だった。

▼1934年 日本初の職業野球球団「大日本東京野球倶楽部」が設立される
読売ジャイアンツの前身となるこの球団は、米国から招へいする大リーグチームと試合を行うために設立されたものだった。最初にプロ契約した選手は三原脩(のちの西鉄ライオンズ監督)。

▼1980年 レンデルシャムフォレスト事件
英国サフォーク州ウッドブリッジ駐留米空軍基地近くのレンデルシャムの森にUFOが着陸し、基地の警備兵ほか多数の目撃者が出たとされる事件。イギリスのロズウェル事件とも呼ばれる。

▼2004年 観測史上チリ地震に次いで大きなマグニチュード9.1のインドネシア・スマトラ島沖地震・津波が発生

▼2006年 台湾南部でマグニチュード7.1の恒春地震が発生
台湾南端付近の海底断層を震源域とする地震で、恒春の町では震度5だったとされる。震源のごく近くにある台湾第三原子力発電所は、地震によってスクラム(緊急停止措置)がとられ事故には至らなかったという。

▼2012年 安倍晋三が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が成立

この日が誕生日

◆1859年 片山潜
日本の思想家、労働運動家。日本社会党結党に参加するが、無政府主義的方針と対立し決別。その後アメリカ、ソビエト連邦に渡り共産主義活動を行う。ソ連では共産党の国際組織であるコミンテルンの常任執行委員会幹部となる。1933年モスクワに没す。

◆1883年 モーリス・ユトリロ
フランスの画家。エコール・ド・パリの画家として20世紀前半に活躍した。絵を描き始めたきっかけはアルコール中毒の治療だった。絵が売れるようになってからも、飲酒と精神疾患による入退院を繰り返しながら、パリの街並みを描き続けた。日本でも熱狂的な人気がある画家のひとり。佐伯祐三がユトリロから大きな影響を受けたことは作品を見れば明らか。

◆1888年 菊池寛
「父帰る」「恩讐の彼方に」「真珠夫人」などで知られる大正・昭和期の作家。文芸春秋社の創立者であり、芥川賞、直木賞も彼の設立によるもの。

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◆1891年 ヘンリー・ミラー
アメリカ生まれの小説家。20世紀を代表する現代作家のひとり。職を転々としたのち37歳でアメリカを脱出し1年間ヨーロッパを転々とする。39歳の時に再びパリに渡り6年を過ごす。放浪の日々を描いた自伝的な作品「北回帰線」をパリで発表するが、アメリカでは奔放な性表現から発禁処分に。その後も「南回帰線」など多数の作品を残す。

◆1893年 毛沢東
中華人民共和国の政治家・軍人・思想家。初代中華人民共和国主席。中国共産党の創立党員の1人で、蒋介石率いる国民党軍、日本軍との戦いを継続した。日本がポツダム宣言を受諾し敗戦した後は国民党軍との緊張が高まり、国共内戦へ。この内戦を勝ち抜いたことで、1949年10月1日、北京の天安門壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言した。

◆1897年 海野十三
日本の作家。SF小説、推理小説、軍事小説など多数の著書がある。「大空魔艦」「火星兵団」「地球盗難」など。戦後は本名である佐野昌一の名でラジオや電気、真空管などの解説書も著した。ジュール・ベルヌやコナン・ドイルの翻訳もある。

◆1900年 稲垣足穂(たるほ)
飛行機への憧れ、メカニズムへの傾倒、少年愛、そして独自のエロティシズムに貫かれた作品を残した作家。「一千一秒物語」「A感覚とV感覚」「少年愛の美学」「ヒコーキ野郎たち」など。

◆1947年 大河原邦男、メカニックデザイナー
ザク、ハロ、ムサイなど「機動戦士ガンダム」に登場するメカを生み出した、アニメにおけるメカ専門デザイナー。「科学忍者隊ガッチャマン」の敵メカ、「タイムボカン」シリーズ、「装甲騎兵ボトムズ」など数多くのアニメでメカデザインを担当した。「大河原邦男画集」「大河原邦男Gundam design works」など著書も多数。

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