1605年2月3日、慶長地震発生
房総半島から九州までの広い範囲に津波被害をもたらした「慶長地震」がこの日発生した。慶長という年号は、文禄5年に地震が頻発したことで改元されたものだが、慶長年間には度重なる浅間山の噴火、八丈島の噴火、慶長地震、会津地震、慶長三陸地震など天変地異が相次いだ。
慶長地震は広い範囲で津波被害の記録が残されているものの、地震そのものについて触れている古文書はほとんどない。そのため、南海トラフの断層面が比較的ゆっくりと滑った(スロースリップ)津波地震だった可能性がある。
普通の地震が、断層面に蓄えられた歪みが一気に解放され、プレート同士が短時間のうちにずれることで発生するとすれば、津波地震は通常の地震に比べてゆるやかにプレートが滑るため、地上で大きな地震動を感じにくい。しかし、海面下の地形変動が海水中に伝えられることで津波を生じる。これが津波地震で、明治の三陸沖地震(死者・行方不明2万1959人)や、2010年のスマトラ島沖地震(死者500人)などが津波地震だとされている。
「前ぶれ」がほとんど感じられず、突然津波に襲われる。地震規模の割に大きな津波となることがある――。私たちが経験したり体感したことのない慶長地震タイプの津波に対する備えについて、よく考えておく必要がある。
※慶長地震のメカニズムについては、アウターライズ地震や、海外の地震津波の可能性など諸説ある。2011年の東日本大震災を引き起こした巨大地震は、いくつかの地震が組み合わさったものと考えられているが、そのうちに津波地震タイプの地震動があったという説も示されている。
歴史の中の2月3日
▼1637年 チューリップバブル崩壊
オスマントルコから伝わったチューリップの栽培が大流行。価格高騰した球根が投資対象とされ、投機が投機を呼ぶバブル経済に。盛り上がるだけ盛り上がったチューリップ価格がこの日急落。100分の1にも下落し、経済が大混乱に陥った。
よく似たバブルは日本でも明治初年に「ウサギ」を対象に発生している。この時は明治維新で職を失った武士も巻き込んだバブルとなるも、政府がウサギ税を制定したことで価格急落したという。
バブルは特殊なことではなく、投機が過熱することで容易に起こりうる現象なのかもしれない。原因はチューリップが美しいからでもウサギが可愛いからでもなく、人間がお金大好きだからに他ならない。
▼1913年 アメリカ合衆国憲法修正第15条が成立
選挙権を与える際に、「人種、肌の色あるいは以前の隷属状態を理由に、アメリカ合衆国あるいは如何なる州によっても否定または制限されてはならない。」とするアメリカ合衆国憲法修正第15条が、この日アイオワ州で批准されたことで、憲法改正に必要な4分の3以上の州数を満たし成立する。
▼1930年 ベトナム共産党設立
ベトナムのフランス支配からの独立を目指し、ホー・チ・ミンが香港でベトナム共産党を設立。当時、ベトナムに比較的近い広東州には独立運動を目指すベトナム人が多く集まっていた。
▼1946年 通化事件
終戦後、満州から引き揚げることができずに残っていた日本人や中国人に対する、中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍による虐殺事件。
▼1966年 ソ連の月探査機「ルナ9号」が月面軟着陸
嵐の海に逆噴射とエアバッグで軟着陸に成功。ルナ9号から電送されてきた月面のパノラマ写真は新聞にも掲載され、宇宙時代の幕開けを世界に印象付けた。
▼1970年 核拡散防止条約に日本が調印
核不拡散条約、NPTとも呼ばれる核軍縮条約。条約はアメリカ合衆国、ソ連、イギリス、フランス、中華人民共和国の5か国以外の核兵器の保有を禁止するもの。
▼1972年 札幌オリンピック開幕
日の丸飛行隊・笠谷・金野・青地、銀板の妖精ジャネット・リン、大会テーマ曲「虹と雪のバラード」(トワ・エ・モワ)……。
小学校ではほとんど一日中オリンピックのテレビを観ていた。たぶん日本中の学校で。
この日が誕生日
◆1669年 荷田春満(かだのあずままろ)
江戸時代の国学者。国学の四大人(他は賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤)と呼ばれる中で最も古い時代の人物。万葉集や古事記、日本書紀を研究し復古神道を提唱した。
◆1809年 メンデルスゾーン
ドイツロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン。オペラ、交響曲、協奏曲、ピアノ曲など数多くの作品を作曲した。また、ライプツィヒ音楽院を設立したほか、生前は鍵盤楽器奏者、指揮者としても活躍。
◆1859年 フーゴー・ユンカース
ドイツの飛行機設計者、航空機メーカー、ユンカース社の創始者。全金属機や全翼機、航空用ディーゼルエンジンなどユニークな技術開発を行った。ナチに批判的だったため1934年に自宅に軟禁され、翌1935年に死亡した。
◆1894年 ノーマン・ロックウェル
ニューヨーク生まれのイラストレーター、画家。「サタデー・イーブニング・ポスト」の表紙を飾った一連の作品に人気がある。
◆1908年 永井隆
松江生まれの医師、文学者。長崎医科大学(現・長崎大学医学部)で放射線療法を学んだ。原爆投下時には、爆心から約700メートルの長崎医大の診察室で被災。重傷を負いながらも市民の救護にあたった。救護活動のかたわら「原子爆弾救護報告書」を長崎医大に提出。病床に伏すようになってからは「長崎の鐘」「亡びぬものを」「この子を残して」など多くの著作を執筆した。1951年5月1日、白血病による多臓器不全で逝去。カトリック信者。洗礼名はパウロ。
◆1909年 シモーヌ・ヴェイユ
フランスの哲学者。女学生時代にアランに教えを受ける。女子高等師範学校卒業後は共産主義、無政府主義を理解するため活動に身を投じた。第二次世界大戦中1942年にはフランスのレジスタンス活動に散開。戦争に抗議するハンガーストライキで命を失う。
◆1912年 檀一雄
山梨県生まれ、福岡に育った小説家。「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「真説石川五右衛門」「火宅の人」など多数。太宰治、坂口安吾らとの交流も知られる。
◆1936年 小澤さとる
埼玉県出身の漫画家。代表作は「サブマリン707」「青の6号」。時代もの、忍者ものも描いた。
この日亡くなった人たち
・853年 小野篁(おののたかむら)
平安時代初期の歌人。百人一首「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」参議篁。
・1428年 足利義持
室町幕府第4代将軍。父である義満の跡をつぎ、安定した政権を作り上げた。父が寵愛した世阿弥を遠ざけ、これも父への反発からか明との国交を断絶。上杉禅秀の乱、鎌倉公方・足利持氏との対立など政治的課題もあったが、うまく取りまとめてきた。応永35年、義持が逝去したことで、いったんは僧籍に入っていた弟の義円(ぎえん)がくじ引きで将軍に選ばれ還俗、義宣(よしのぶ)と名乗り(後に「世を忍ぶ」と読まれるを嫌い義教:よしのりと改名)将軍職に就く。室町幕府は混乱の時代に入っていく。
・1901年 福沢諭吉
幕末から明治期の思想家。慶應義塾の創設者。
・1947年 ミッチャー提督
空母ホーネットによる東京空襲(ドーリットル空襲)時の艦長。その後、航空隊指揮官として山元五十六連合艦隊司令長官機の撃墜を指揮する。その後空母機動部隊の司令官としてマリアナ、フィリピン、沖縄と転戦。戦後、現役海軍大将として病没。
・2000年 二階堂進
鹿児島県出身の政治家。自民党の幹事長、副総裁など歴任した「ナンバー2」。一貫して田中角栄を支えた。
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