2012年1月25日、ダボス会議で渡辺謙がスピーチ
スイス・ダボスで開催された世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で、俳優の渡辺謙さんがスピーチ。被災地支援への感謝、脱原発への決意、経済発展を過度に重視する社会からの変換を訴える。
震災後、被災地で3,000人もの人たちと会ってきたというい渡辺謙さんの言葉は、明晰かつ力強く、重い。
歴史の中の1月25日
▼1077年 カノッサの屈辱
聖職者の叙任権でローマ教皇と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、破門の赦しを乞うために、教皇グレゴリウス7世が滞在してたカノッサ城に赴く。ハインリッヒ4世の乱暴を恐れて城に立てこもった教皇に対し、ハインリヒ4世は武器を捨て修道者の服装で1月25日から3日間、雪の中飲まず食わずで祈り続けたと伝えられる。
皇帝に対するローマ教皇の優位を示した出来事として扱われるが、ハインリッヒ4世はドイツ国内の反対勢力が沈静化した後にはローマを攻め、グレゴリウス7世は逃亡先で死没していることから、ハインリッヒ4世の行動はきわめて政治的なものだったと考えた方が自然だろう。
▼1573年 三方ヶ原の合戦
桶狭間の合戦で織田信長に今川義元が滅ぼされた後、今川領には武田信玄が侵攻していた。将軍足利義昭による織田信長討伐令を受けた武田軍が西へ軍を進める中、織田軍と結んでいた徳川家康は浜松城に籠城。しかし武田軍が浜松城をパスしてさらに西進するのに対し、家康は浜松城を出て武田軍を追撃。浜松市北区の三方ヶ原で戦闘となるが、家康軍は壊滅。二千の兵と多くの重臣を失い、単騎で城に逃げ込む大敗を喫した。(しかも恐怖から馬上で大の方を漏らしたという話も)
浜松城に逃げ延びた家康は、途方に暮れた情けない表情の肖像画「顰像(しかみ像:名古屋市の徳川美術館に所蔵されている)」を描かせ自戒にしたとされる。
▼1683年 天和の大火(お七火事)
この日の昼に駒込あたりから出火し、翌朝まで延焼を続けた大火。この火事で焼け出された本郷の商家の娘八百屋お七が、避難先の正仙院の小姓生田庄之介と恋仲となり、実家再建後も庄之介に会いたい一心から「また火事になれば会える」と考え自宅に放火したといわれる。この火事はすぐに消し止められたがお七は放火の罪で捕えられ、南大井の鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処された。井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられ、浄瑠璃や歌舞伎の題材となったことで世に知られた。
▼1879年 朝日新聞創刊
明治12年、大阪江戸堀南通壱丁目七番地で創刊。第1号は土曜日だった。4ページ(ペラの二つ折り)からスタートした。復刻版を見ると1面は「官令」「大阪府官令」「雑報」の3部構成。トップ記事は下記。
官令
○乙第五号
郡区長郡書記へ他の官吏より転任、又は郡区長郡書記より他の官吏へ転任の節、月報は明治七年五月第六十一号公達月俸規則第四条に照準(てらし)、其月(そのつき)十七日在職の方に於いて支給し、満年賜金は其際(そのさい)打切支給いたすべし。此旨相達し候事。ただし適宜法すでに施行すと雖も、本文に背馳の向きは引直し候儀と相心得へき事。
明治十二年一月十八日
大蔵卿大隈重信
朝日新聞第一号 復刻版より書写
新聞とはいうものの過去記事が多いが、「大阪府官令」には前日1月24日に発せられた医師の出張所についての官令が記載されていた。
ほかには、江戸堀の勧工場(テナントを集めた建物)は近々新築するらしいが、物産の寄せ集めは2月半ばから始まるらしい、とか、府庁舎の南に馬車の馬のための馬場をつくると聞いた、大破した長堀川の橋は近日中に掛け替えられるとのこと、など伝聞記事が掲載されている。
「近々」「らしい」「と聞いた」「近日中」「とのこと」……。果たしてこれで売れたのだろうか。
▼1902年 日本での最低気温マイナス41℃を観測
北海道石狩国上川郡旭川町(旭川市)で公式の最低気温マイナス41℃を観測。気象庁職員ではない委託職員による観測やデジタル温度計による計測では、さらに低い記録もあるが公式記録はこれ。
▼1979年 上越新幹線の大清水トンネル貫通
このトンネル掘削によって湧出した湧水は「大清水(おおしみず)」として発売されていたがトンネル名は「だいしみず」と読むらしい。開通当時世界最長のトンネルで長さは22,228メートル。
▼1981年 文化大革命の「四人組」に死刑判決
中華人民共和国の指導層内での権力闘争により人民に対する大規模な粛清が行われた文化大革命の首謀者として、江青(毛沢東夫人)、張春橋(元副首相)、王洪文、姚文元の4人に対する裁判が最高人民法院特別法廷で行われ(罪状はクーデター計画、幹部および大衆の迫害など)、江青、張春橋に死刑判決が、王洪文に無期懲役、姚文元に懲役20年の判決が言い渡された。
▼1983年 文革四人組の江青、張春橋に減刑
死刑判決が下されていた2人が無期懲役に減刑される。
▼2012年 世界経済フォーラム(ダボス会議)で俳優の渡辺謙がスピーチ
この日が誕生日
◆1627年 ロバート・ボイル
アイルランド出身の自然科学者。気体の体積は圧力に反比例するとの「ボイルの法則」で知られる
◆1759年 ロバート・バーンズ
スコットランドの詩人。スコットランド民謡を収集したことでも知られる。「蛍の光」や「夕空晴れて秋風吹き~」の「故郷の空」はバーンズが収集改編したスコットランド民謡。
◆1837年 富岡鉄斎
京都生まれの文人画家。明治から大正期に活躍し、日本最後の文人と呼ばれた。
◆1870年 ヘルゲ・フォン・コッホ
スウェーデンの数学者。フラクタル曲線のひとつ「コッホ曲線」を提唱した。
コッホ曲線のアニメーション -- Koch Curve Animation --
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◆1874年 サマセット・モーム
パリ生まれのイギリスの小説家。「月と六ペンス」「人間の絆」など。
◆1885年 北原白秋
福岡県柳川出身(生まれは熊本県南関)の詩人、歌人、童謡作家。「ペチカ」「からたちの花」「この道」「ゆりかごのうた」などいまも親しまれる童謡を数多く残した。不遇時代に、神奈川県三崎で書かれた「城ケ島の雨」は、城ケ島大橋下に歌碑が建立されている。
城ヶ島の雨
雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ
北原白秋 「城ケ島の雨」
◆1900年 石坂洋次郎
青森県弘前市出身の小説家。「陽のあたる坂道」「若い人」「青い山脈」など。
◆1911年 メイ牛山
「メイ牛山のハリウッド化粧品」。欧米の最新技術を取り入れ日本の美容界をリードした。彼女の誕生日にちなみ1月25日は「美容記念日」に制定されている。
◆1920年 横山操
新潟県出身の日本画家(男性)。力強い線と、同系色による圧倒するような面の構成が特徴的。富士山を描いた作品群、「炎々桜島」「川」など。
◆1923年 西村晃
札幌出身の俳優。テレビ「水戸黄門」では1983年から1992年まで黄門様を演じた。父親は日本初のロボット「學天則」を作った西村真琴。
◆1938年 石ノ森章太郎
宮城県登米郡石森町出身の漫画家。中学時代に近所のこどもを集めて同人誌「墨汁一滴」を創刊。この頃、自転車など乗り継いで石巻市の映画館「岡田劇場」に通ったという。高校2年の時に雑誌への投稿が手塚治虫の目にとまり、臨時に「鉄腕アトム」のアシスタントを務める。
漫画家になることには父親が強く反対していたが、姉の応援もあり上京。椎名町のトキワ荘に暮らし漫画家としての活動を始める。
「二級天使」「サイボーグ009」「スカルマン」「仮面ライダー」「がんばれ!!ロボコン」「星の子チョビン」「マンガ日本経済入門」など作品多数。
1989年には漫画をよろずの絵ととらえる「萬画宣言」を発表。
1995年、石巻市でマンガによる町おこしに参画するが1998年に死去。
◆1938年 松本零士
福岡県久留米市出身の漫画家。父親は帝国陸軍飛行隊のパイロットだったが、終戦後は北九州市小倉(当時は小倉市)に移り、小学生の頃から同人誌を発行する。手塚治虫が九州で制作する時にアシスタントをしていたという話もある。生年月日のみならず経歴にもどこか石ノ森章太郎と共通するところがある。
出世作は「男おいどん」。テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のヒットをきっかけに、「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」と松本原作のアニメが次々と製作された。
「鉄の墓標」「大艇再び還らず」「流星北へ飛ぶ」などの戦場まんがシリーズも人気を博した。
◆1939年 黒田征太郎
大阪出身、北九州市在住のイラストレーター。音楽に合わせて描くライブペインティング作家として世界的に有名。震災後、石巻につくられた仮設住宅の壁面にイラストを描くが、仮設住宅に外壁が追加施工されることになりイラストは隠れてしまったという。残念!
◆1944年 松岡正剛
京都出身の編集者。編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。
◆1948年 鉢呂吉雄
民主党所属の元国会議員。野田政権で経済産業大臣に就任するも、原発事故の周辺地域の視察で「死の街」と表現したことが問題視され、また「放射能をうつしてやる」と記者に語ったとの報道があり、就任から10日を待たずして辞任した。
◆1955年 岩谷徹
東京生まれのゲームクリエーター。「パックマン」の生みの親。
この日亡くなった人たち
・1891年 小笠原長行
幕末の幕府老中。1866年の第2次長州戦争では九州小倉口の指揮官として、高杉晋作率いる長州軍と対戦。敗走している。維新後、東京で死去。辞世として「夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢」が残る。
・1947年 アル・カポネ
暗黒街の帝王は梅毒によって死去した。
・1957年 志賀潔
赤痢菌を発見し、化学療法を研究した医学者。戦後は宮城県山元町に住んだ。
・1957年 小林一三(いちぞう)
阪急電鉄や宝塚歌劇団など阪急東宝グループを興した実業家。関西地方で活躍した印象が強いが山梨県出身。戦後最初の内閣である幣原内閣では戦災復興院総裁(国務大臣)に就任した。ちなみに「東宝」は東京宝塚からくる名称。
・1970年 円谷英二
円谷特技プロダクション創業者。特撮監督、映画監督。戦時中は東宝で「海軍爆撃隊」「燃ゆる大空」「加藤隼戦闘隊」などの戦争映画でミニチュアによる特撮を行った。そのため戦後には公職追放を受けている。怪獣映画「ゴジラ」封切は1954年。60年代には「ウルトラQ」「ウルトラマン」など空想科学シリーズを成功させた。
・1973年 大場政夫
第25代WBA世界フライ級王者。防衛5回、現役世界チャンピオンのまま高速道路で事故死した。
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