1995年1月17日、朝起きてつけたテレビで阪神・淡路地方を巨大地震が襲ったことを知ったあの日から今日でちょうど20年。震災で6,434人の方が亡くなり、3名がいまだ行方不明となっている。今日1月17日。もう一度あの大地震について思い返したい。
当時、戦後最悪の自然災害であった阪神淡路大震災。災害の対応についての問題点がいくつも表面化し、発生前と後では様々なものが変わった。
高架橋などの建築物の耐震強化、各種法律の改正、防災意識の向上。多くの学生や社会人がボランティアとして被災地に入ったことから、1995年は日本でのボランティア元年とも言われた。なかでも個人的に大きく変わったと感じているもののひとつが自衛隊の存在。今でこそ大きな災害時には迅速に派遣されているものの、20年前は違っていた。地震発生当日、早い段階で災害派遣の準備は整っていたものの、自治体からの要請が遅れたために人命救助に重要な初動対応が遅くなったことが大きな問題となった。自衛隊の災害派遣は阪神淡路大震災前でもあったものの、どこかタブー視されていたように思う。自治体も防災訓練などを一緒に行うことに抵抗があったように感じられた。知り合いの海上自衛官から聞いた話によると、阪神淡路大震災の救援物資などを積んだ艦船が港に接岸しようとした際、船を岸に繋ぎとめておくロープを外されるなど、救助活動をする上で様々な難しさがあったという。
しかし、それから16年後の東日本大震災。さらに甚大な被害となったものの、もし阪神淡路大震災の数々の教訓が活かされていなければ、より深刻な状況になっていたことだろう。
巨大地震など起こってほしくないとは思うものの、日本に住んでいる以上避けることはできない。できることは過去の天災を忘れずに教訓を活かすことによって、次に来る災害の被害をできるかぎり小さくすること。
「天災は忘れたころにやってくる」
1月17日。阪神淡路大震災で亡くなった方の追悼と共に、20年前の震災の教訓を忘れないように改めて記憶と心に刻み直す日にしたい。
阪神淡路大震災震源地
参考WEBサイト
Text:sKenji
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