今日、3月11日。東日本大震災から3年が経ちました。
今年2月16日に発表された、警察庁の広報資料によると、震災による死者・行方不明者は、18,520名。地震後に震災の影響で亡くなられた方は、昨年9月25日時点で2,916名です。また、今も避難生活をされている方がいます。
そのような中、「震災の風化」も指摘されています。3年が経過するにあたり、当時と今について考えたいと思います。
震災の風化について
「72.2%」
上記の数字は、「震災が風化」していると感じている人の割合です。東京のFMラジオ局「J-WAVE」が、「震災の風化」に関してWEB上でアンケートを取った結果です。
それによると、31.2%の人が「とても風化していると感じる」。41%の人が「どちらかといえば風化していると感じる」と回答しています。サンプル数は74,019人です。
ネット上のアンケートだけではなく、先日、産経新聞が実施した市町村長へのアンケートでも7割以上が風化を感じていると回答しています。
風化が進む一方で、今も避難生活をされている方など、震災の影響によって苦しんでいる人も多いと聞きます。
震災から3年。変わらない苦難。
震災から3年。東北について伝える情報が少なくなり、被災された方の声を耳にする機会が減ると、復興が進んでいるのではないかという錯覚すら感じてしまうかもしれません。しかし、伝え聞いた東北の方の話や、以下の数字を見る限り、まだまだ、震災が過去のものではない方が、多くいるのではないかと思います。
■震災関連死
復興庁が公表した資料によると、平成25年9月30日時点で、震災関連死により、
亡くなった方は、1都9県で合計2,916人います。
先日のニュースでは、3000人を超えたとの報道もありました。
そのうち、震災が原因によって自殺している方は、内閣府自殺対策推進室の
公表資料によると、毎月のようにおり、震災発生から平成26年1月までに
合計121人います。
震災の年に、自ら命を絶たれた方は、55名いました。翌年には24名に減り
ましたが、昨年は38名と増えています。今年は1月だけですでに4名の方が
亡くなっています。自殺の原因・動機を見ると、1年目は「経済・生活問題」と、
「健康問題」を理由に亡くなられていますが、翌年以降は、「健康問題」による
割合が増えています。
下記は、先日掲載されていた原発事故により避難生活を送っている方々の自殺を報じた記事です。
24歳の若者は昨年1月、自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県富岡町の出身だった。電力関係の会社勤務のため借りていた相馬市のアパートで独り、首にひもをかけた。
「遺書はあったが、それだけでは理由は分からなかった。とにかく、理由が分からないんです」
若者の父親は、沈痛な面持ちで話した。
浪江町から避難する自営業の男性(68)は今も、一昨年5月に自殺した商店街の仲間をしのぶ。長年スーパーを経営していた仲間は避難先から一時帰宅した際、倉庫で亡くなっていた。62歳。「生きていても仕方ない」「夜よく眠れない」と話していた。男性は「まじめな人だった」と、うなだれた。
記事によると、今年1月、被災した3県から電話相談窓口にかかってきた電話のうち、自殺に関する相談が1万2638件と全体の35%を占め、全国平均の2.5倍に及んだそうです。
■避難者数
震災による避難生活を送っている方は、平成26年2月13日時点の復興庁公表資料
によると、全国47都道府県、約1200の市町村に約26万7千人います。
そのうち、約13万人が、福島の原発事故による避難者といいます。
■災害廃棄物の処理
当初、国は今月(2014年3月)までに、災害廃棄物を全て処理するとしていました。
しかし、2月21日に行われた環境相による記者会見では、被災した3県のうち、
岩手、宮城は目標を達成する見込みですが、福島の処理率は68%だといいます。
しかも、この数字は、原発事故による避難指示区域外のみの数値であり、
実際はさらに低い処理率だといいます。
福島県では、先の見通しが立たない除染処理の問題により、災害廃棄物の処理
についても完了時期の目途は立っていないとも聞きます。
上記は、震災の影響がいまだ続いている東北についての一例です。このほかにも、被災された方で「生活が十分に復興した」と感じているのは、3割未満とのことです。特に福島県については、復興を感じる人は1割未満ということです。
3年前を思い出し、東日本大震災と災害について考える日に。
震災から3年がたち、記憶の片隅に少しずつ押しやられてしまい、今では語られることが少なくなってしまった震災当時の話、出来事があります。
震災当時、真偽不明なものも含めて、ネット上には、震災の状況を伝える多くのツィッターや記事が流れました。多くの方もご存じかもしれませんが、以下、当時、よく目にしていた話です。
次の記事は、日本よりも先に海外で大きく取り上げられたと思われる「フクシマ50」と呼ばれた、震災直後の原発作業にあたった方たちについての話です。実際に危険な作業に携わった方は50人以上いたといいます。「フクシマ50」について、ほかにも、いくつかの見方を耳にしましたが、最悪の事態を防ぐために、命の危険を顧みず、作業された方たちがいたことは、後世に伝えていきたい話のひとつです。
東京電力福島第1原子力発電所で決死の作業を行っている作業員が、家族にあてたメッセージが感動を呼んでいる。香港の文匯報が報じた。
記事は、「福島の決死隊は一刻を争うなかで、自らを犠牲にして最後の砦となっている。東京電力はすでに作業員を181人まで増やしたが、これらの勇士は死を恐れず、名を残すことも求めず、日本の安全のために働いている」と高く評価した。
福島原発での作業を志願したという男性の娘は「私の父はあと半年で退職でした。父が行かなければならないと言った時、私は涙が止まらなかった…。父は『原子力発電の未来は、お父さん達の今回の事故の処理にかかっている。お父さんは使命感を背負って行くんだ』と言いました…。これほど誇り高い父を見たことがありません」と綴った。
記事では、このほかにも「(作業員の)夫から携帯メールで『俺は帰らない』という短いメッセージを受け取った妻もいた」ことも紹介されています。
ご紹介した話では、東電の作業員の方について書かれていますが、この他にも、消防、自衛隊など、同様に震災直後の原発で、危険な作業にあたられていた方々がいました。また、今、このときも作業されている方々もいます。
次の話は、ツィッターでのつぶやきです。地震の影響で、交通機関がマヒした日の駅での出来事です。
「ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです」
次も同じくツィッターです。東北で救助活動をされている自衛官とその妻とのやりとりの一部のようです。
ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。彼らはタフだ。肉体も、精神も。
最後に、気仙沼の夫婦の方の話です。読売新聞から一部引用します。
夫の荷物の中に指輪があった。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。
その夫は今、遺体安置所で眠っている。東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた宮城県気仙沼市。同市本吉町寺谷、主婦大原枝里子さん(33)は、夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成よしなりさん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。
(中略)
夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。
震災から3年が経ちましたが、今でも震災の影響により、亡くなっている方や、避難生活を送っている方が大勢います。福島第一原発では、汚染水処理の事故が頻繁に発生し、事故の終息には程遠い状態です。取り残されたままの核燃料の処理方法の目途も立っていません。
3月11日。震災から3年がたつ今日、亡くなった方々のご冥福と、まだ行方が分からない方の早期発見を祈るとともに、自分のなかにもある、記憶の薄れ、風化を防ぐために東日本大震災について、もう一度、改めて震災のことを思い出し、東北の復興、そして、次にくる災害の備えを再確認する日にしたいと思います。
参考WEBサイト
Text:sKenji
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