下記の記事は、本日付産経新聞のものです。
山あいの集落を通る国道に、1本の「見えない線」が引かれていた。福島県田村市内にある東京電力福島第1原発から20キロの地点。集落の区長を務める農業、吉田修一さん(58)は「ここを境に賠償の内容が変わるんです」とアスファルトの路面を指さした。
集落の原発20キロ圏は「避難指示解除準備区域」に指定されているが、その外側を囲む20~30キロ圏の住民の中には「20キロ圏の人とは会話をする機会が減った」と漏らす人もいる。
【東日本大震災3年 第1部・福島のいま(2)】「見えない線」が地区を分断 広がる賠償格差+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
福島県田村市は、阿武隈山地西側の中通りに位置している。福島第一原発から20キロ圏内にある市の東側一部が、現在「避難指示解除準備区域」に指定されている。
以前は、原発から20~30キロ圏内が「緊急時避難準備区域」に指定され、原発事故による賠償を受けていた。しかし、2011年9月30日に「緊急時避難準備区域」は解除され、現在、賠償金も打ち切られている。東京電力から支払われている賠償額の一例は、下記の通りである。
■原発事故の損害賠償
文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の指針に基づき、東京電力が支払う。財物や精神的損害などがあり、帰還困難区域は故郷喪失慰謝料が上乗せされる。同省の試算によると、30代の夫、妻、子供2人の持ち家4人世帯が福島県内の都市部へ移住した場合の総額は帰還困難区域で1億675万円、居住制限区域で7197万円、避難指示解除準備区域で5681万円。
【東日本大震災3年 第1部・福島のいま(2)】「見えない線」が地区を分断 広がる賠償格差+(3/3ページ) - MSN産経ニュース
旧緊急時避難準備区域に住んでいた一部の方の気持ちとして、記事には以下のような思いが書かれている。
避難指示区域は財物や精神的損害への賠償が続いているのに、20~30キロ圏の住民は財物賠償は対象外、その他の賠償も平成24年に打ち切られた。住民の心にわずかなひずみが生まれたのか。
20~30キロ圏の50世帯ほどのうち家族全員が帰宅した家は1割程度。残りは20キロ圏と同様、放射線量への不安から避難を続けている。吉田さんは「避難先の家賃など負担が大きいのに、賠償は打ち切られ、生活は本当に厳しい」と話す。市へ格差の是正を求めているが、担当者は「重く受け止めます」「検討します」と繰り返すだけという。
【東日本大震災3年 第1部・福島のいま(2)】「見えない線」が地区を分断 広がる賠償格差+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
同じように避難生活をしていても、道路を1本挟んで「避難指示解除準備区域」の方と「旧緊急時避難準備区域」の方では、賠償額に大きな差が生まれている。記事には、田村市に住んでいる方の苦しい胸の内が次のように書かれていた。
「今までは気心が知れた地区の人間同士でいがみ合うことはなかった。賠償で地区が分断され、つらい」
旧緊急時避難準備区域に住んでいた方の避難状況について
田村市の「避難指示解除準備区域」と「旧緊急時避難準備区域」に該当する方の状況はどうなっているのだろうか。調べてみると、田村市の公式WEBサイトにアンケート結果があった。アンケート概要については下記の通りである。
■調査概要
1.調査対象: 避難指示解除準備区域及び旧緊急時避難準備区域の全世帯の代表
(分散避難している場合は、それぞれの代表者) 932 世帯
2.対象地区:避難指示解除準備区域: 都路町第8 行政区小滝沢地区
都路町第9行政区
旧緊急時避難準備区域:都路町 (上記の避難指示解除準備区域
を除く)
常葉町 黒川行政区、田代行政区
掘田行政区、山根行政区
船引町 横道行政区
3.調査時期: 平成24 年11 月29 日(木)~12 月13 日(木)
4.調査方法: 郵送法
5.回収数: 603 世帯(回収率64.7%)
アンケート結果によると、旧緊急時避難準備区域に住んでいた方の6割近くの方が、原発事故後に、震災発生当時住んでいた地区以外の場所で生活しているという。この傾向は、若い世代になるほど強く、10~30代の方の実に9割以上の方が、別の地区で暮らしている。
住居種別について、家賃無償の仮設住宅(民間住宅等の借り上げ型を含む)に入居している方は、避難指示解除準備区域の方が約7割なのに対し、旧緊急時避難準備区域の方は約4割の入居となっている。
同様の問題は他でも発生している。
道路を一本挟んで、賠償額が大きく異ることに起因する、元住民の方たちのわだかまりは、田村市に限ったことではない。
昨年8月、「はままつ東北交流館(※1)」と「株式会社エマ観光(※2)」が共同企画した、福島の被災地を見るツアーに参加した。その際に訪れた福島県富岡町でも「帰宅困難区域」と「居住制限区域」の境があり、やはり同様の問題が生じていることを、富岡町に住んでいた案内役の方から聞いていた。
下記の写真、一見大差がないように見えるゲートの奥と手前だが、賠償問題ではこの門を境に大きな差があり、そこに住んでいた一部の方たちの間にも、壁を作ってしまっているようだ。
(※1)「はままつ東北交流館」は福島の双葉町から浜松市に避難しているスタッフが
避難者支援・震災の風化防止啓発・東北物産販売を行っている団体で、福島県の被災地視察ツアーを企画している。館長は、震災前に福島県の双葉町に住んでいた佐藤大さん。
(※2)株式会社エマ観光は、静岡県磐田市に本社を置く旅行業者。1965年8月設立。はままつ東北交流館と共同で、福島県の被災地視察ツアーも企画している。
賠償条件の違いについて
避難区域のレベル分け、賠償問題については、どこかで線を引いて決めなければならないのは当然だ。しかし、やはり多くの人が指摘するように、線引きされた境付近では、わずかな違い(ほぼ同じ?)にも関わらず、賠償条件が大きく異なることに問題があるように思える。
「なぜ、賠償の差がこれほど大きいのか?」
それについては、冒頭の紹介記事の中では、1つの推測が書かれていた。平成16年の新潟県中越地震に関して研究をしていた、青砥穂高さんによると「人々が故郷へ戻る、戻らないという選択を、国の制度や政策が誘導している側面があるのではないか」とのことである。
真偽のほどは不明だが、地元に戻る戻らないは、住んでいた方が決めることであり、いずれの選択もしやすい賠償制度にすべきではないかと思う。
現在、原発事故による避難区域は3つにわかれていて、避難区域とそうでない場所での賠償額の差は大きいようである。今後、より区域の細分化を行い、境の賠償金額の格差を小さくするなど、できるだけ住民の方同士のわだかまりを減らして、避難生活を送っている方々の心の負担を軽くしてほしいと思う。
福島県田村市
Text & Photo:sKenji
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